店長適正テスト

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店長適正テスト

「美波さん、顔真っ青ですけど大丈夫ですか?」 「えっ?うん、ほらこの通り大丈夫だよ!」 美波さんは自身のチャームポイントだと言っていた満面の笑顔を見せてくれたが、唇が紫に変色、おまけに両目の目尻が微かに痙攣していてとても大丈夫そうには見えない。 緊張するのも無理はない。 今日はなんと言っても美波さんにとって運命の日なのだ。 その知らせを聞いたのは1週間前だった。 「大変!大変!大変!斉藤くん!」 右手に一枚書類を持ちながら美波さんが僕の元に来た。 「どうしたんですか?何かありましたか!」 「来週来るんだよ!社長が!」 そう言って右手に持っていた書類を見せてくれた 「先輩…逆です」 「えっ?あっごめんね!」 美波さんが持っていた逆さまの書類を持ち替えて改めて見せてくれた。 書類には【店長適正テストのお知らせ】 と記してあった。 「店長適正テスト?そんな制度あったんてますね」 「私も初耳」 確かに今は店長が居ない。 前月に店長が退職してしまった。 感じのいい店長だっただけに社員だけではなく、アルバイトの人達も悲しんでいた。 店長が居なくなってからは、 面倒見の良い社員の美波さんが 店の指導役といった立場で 僕たちが働いている 【ブルースター】というカフェを回していた。 そこで恐らく本社から正式に店長になるチャンスが来たのだろう。 「にしても、私に務まるのかな…」 だんだん美波さんの顔が不安で歪んでいく。 不安になるのは心当たりがある。 お客さんからコーヒーの注文を受けたのに 間違えてココアを提供したり、 いらっしゃいませ!の掛け声を いらっしゃいます!と変な丁寧語に直して その場にいる全員が クスクス笑いに包まれたりと 少し天然ぽい。 本人もその自覚があるから 不安になっているのだろう。 「大丈夫ですよ!先輩は店長に向いてます!」 実際美波さんは周りからよく慕われている。 誰にでも分け隔たりなく接しているし、 常に笑顔で居る。周りの同僚も誰一人美波さんに対しての悪口は聞いたことがない。 だからそんなにネガティブにならないでほしいのに。 「美波さん!自信持ってください!美波さんにはその器量があるんですよ!だから店長になるチャンスが来たんです!」 「だよね!だよね!そうだよね!私頑張るよありがとう!斉藤くん!」 さっきまで沈んでいた美波さんの顔が ニコッと笑顔になり、生気が戻ってきたようだった。気持ちの切り替えが早い。  その後は元気を取り戻したようで いつも通りに仕事を行っていた。 そして本番の今日 緊張でガチガチになった美波さんに戻っていた。 テストは15時に始まる予定になっている 社長はスーツ姿で一人来店するらしい。 ただ店には一般のお客さんもいる為 少し店内はてんやわんやしている。 現時刻は14時55分 後5分で開始だ。 受付にいる美波さんの様子を伺う。 表情が引き攣っていて目に感情が宿っていない。 まるでマネキンのようだった。 この調子で大丈夫かな? そんな心配をしていると 入り口のドアが開いた。 ドアの奥からスーツを来た男性が立っていた 「いっ、いらっしゃいませ!」 美波さんがいつもの掛け声を上げたが 声が上擦っている。 心なしか社長も微笑んでいる気がする。 「どうぞ、こちらへ」 美波さんが席案内を始める 手と足がロボットようになっている 関節が関節として機能していないようだ。 美波さんの足取り合わせ社長も歩き出す。 社長が目の前を通る寸前に軽く会釈した。 その後は席に着いて美波さんが いつも通りの接客をしているようだった。 どうやら落ち着きを取り戻したらしい。 取り敢えず一安心だ。 このまま行けば何事もなく終わるだろう しかし、事件は起こった。 美波さんが注文された ブラックコーヒーを社長の席まで運ぶ。 慎重にブラックコーヒーを持ち 社長の席に到着した。 「こちらがブラックコーヒーです。ごゆっくりどうぞ」 そう言ってコーヒーを社長の前に 置こうとしたときに、手が滑りコーヒーが 全部社長のスーツにかかってしまった。 「申し訳ございません!」 美波さんがすぐさま謝罪の言葉を発したが その場に立ち尽くしたまんまで 動く様子が無かった。 完璧に頭が真っ白になり、思考が停止している。 その様子を見た僕はナプキンをキッチンから 取り出し、慌てて社長の席まで行き 「申し訳ありません、お怪我はないでしょうか?」 と声を掛けながら手に持っていたナプキンで 溢したコーヒーの後処理をした。 拭いている最中に脳裏にある言葉が浮かんだ 僕と美波さんの立場逆転してね? 肝心の美波さんの方を見ていると 未だ固まっているようだ。 「もう大丈夫だから、会計をお願い出来るかな?」 社長から少し怒り気味の声で会計の申し出の要請がきた。 「はい、申し訳ありません」 美波さんがすぐさま返事をしたが、やはりさっきのミスを引きずっている様で声に躍動感が無い。 こういう時に気持ちの切り替えの早さをやってほしい。 会計に向かう美波さんの足取りは軽かった。 だが良い意味ではなく、絶望に苛まれ 力を失ったように捉えられた。 レジに着き会計を始める美波さん。 今にでも泣きそうな顔でレジ操作をしている。 僕はその光景を見ているのが苦しかった。 殺伐とした乾いた空気がカフェ内を包み込む。 そんな重い空気の中 「佐藤美波さん。君に言いたいことがある」 社長が口を開いた。 その言葉に美波さんは小さい声で はい。とつぶやくように返した。 「私、ブルースターの社長、川崎と申します。今日は店長適正テストとのことでここに来ました。」 美波さんがコクッと頷く。 「早速だが、テストの結果を伝える。」 その言葉でより現場の空気が重くなった。 「君の接客は少し欠点がある。トラブルが発生した時に立ち尽くすのは一番やってはいけないことだ。それを今日君はやってしまった。」 社長の言葉を一句一句噛みしめるかのように 美波さんは首を縦にふる。 「よって君は」 その場にいるバイト仲間、社員さん 全員が結果内容を察していた。 失格という悲しい結末を。 「店長テスト合格だ」 えっ?と思わず声を漏らしてしまった。 美波さんも目を見開いていた。 「確かに、臨機応変にはまだまだ対応不足かもしれない。だがアレを見た瞬間感激したよ」 社員が指差す方向には 子供達が書いた ブルースターで働いている人達の似顔絵が飾ってある。 「この絵を見た時に思ったんだ。この店は愛されてるんだなって。今まで数々のブルースターの店を回ってきたがこんなに絵を飾っている店は見たことない。」 そう、美波さんはお客さん達にも フレンドリーに話しかけていて 常連さんも多い。美波さん目当てで来る 人も居るくらいだ。 それに子供達にも話し掛けていて デザートやおもちゃなどを無償提供している。 またレジ横には白紙とペンが置いてあり 店に来た子供達が飽きないようにと、 美波さんが独自に設置したもので 皆これを使って遊んでくれるといいな。 と不安がっていたが その不安をよそに 子供達は店にくると真っ先に紙とペンを持っていって遊ぶ様子が毎日見れる。 また、会計時に描いた絵を渡してくれるのだが、殆どが美波さんの似顔絵だ。 お陰で後ろの壁一面が美波さんの似顔絵で埋まりそうな勢いだ。 「この位誰からも愛される人は、そう居ない。きっと人間性が素晴らしいのだろう。だから店長に任命するよ。しかし、後日トラブル対応に関してのマニュアルは送るからしっかり目を通すように。」 「はい!ありがとうございます!」 ようやく美波さんの顔に活気が出てきた。 「それじゃ、ごちそうさま」 会計を済ませて出ていく 社長の後ろ姿が単純に格好良く見えた。 「ご来店、ありがとうございました!」 美波さんの一声で全員が頭を下げて 見送った。 後日出社すると 本社からトラブル対応マニュアルが 分厚い冊子で3冊まとめて送られ 一冊一冊、丁寧に目を通す いつもと違う雰囲気を醸し出す たくましい新店長の姿が見えた。
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