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瓦屋根に格子戸、店先には各々の店の個性が表れているのれん。深い朱色を基調とした建物が立ち並ぶこの街は、日ノ国随一の賑わいを見せる「城都」という名の街である。
城都は文字通り帝が住まう城郭がある、政や経済の中心地。中でも、織物業が盛んなこの地域では、派手な柄の煌びやかな着物、それに付随する小物などを売る店も多く、流行の発信地という役割も担っているのだ。
大通りには茶屋や居酒屋、呉服屋、宿屋と、さまざまな店が並び、夜にはこの辺り一帯にぶらさがっている赤提灯の明かりが城都の夜に華を添える。昼間とはまた違った顔を見せる街では、連日酒や肴やと飲み歩く人々の楽しげな声が響く光景が日常だ。
雪乃は、そんな城都の端に位置する「花ごころ」という定食屋で給仕係として働いている町娘である。昔から大将一人で切り盛りしてきた店で、豪華ではないが素朴な味わいと安さが売り。常連客も多く、夜は酒呑みたちの憩いの場でもあったのだが──。
「え、大将……嘘ですよね」
「すまねぇな、雪乃ちゃん。俺も店を閉めるのは心苦しいんだが、親が病気で寝込んじまってな。これを機に里に帰ることにしたんだ」
仕事場へ着くや否や、店主から「話がある」と呼ばれ席についた雪乃は、思いもよらぬ言葉に呆然とした表情を浮かべた。が、すぐにはっとして顔を青くさせると「じゃ、じゃあわたし、明日から無職になるんですか⁈」と、大将に詰め寄った。
「いやまあ、俺もそこまで鬼じゃあないさ。そんなすぐに追い出すようなことはしねぇよ」
「本当ですか⁈ 急に出て行けって言われても、居座ってやりますからね⁈」
鬼気迫る勢いで、そう言った雪菜に、大将は「雪乃ちゃんならやりかねんな」などと言って朗らかに笑う。
「だって、この間新しい着物買ったばかりで懐が寂しいんです!今、追い出された、わたし家も追い出されちゃいますよ〜!」
悲壮な顔をして、そんな泣き言を言う雪乃。
「なんだ、また着物を買ったのかい。ついこの間、買ったばかりってぇのに好きだねぇ」
「可愛い着物を見て、着て楽しむのが、わたしの生きがいですから!」
親指をぐっと立てた雪乃が真面目な顔をして、そんなことを言うので大将はしわだらけの顔をさらにくしゃりとさせて大笑いした。
「まあ、ひとまず雪乃ちゃんの新しい働き口が見つかるまでは、ここにいるつもりだから安心しな」
「絶対ですよ、絶対!」
「わかった、わかった」
切羽詰まった顔で詰め寄ってくる雪乃に、苦笑いを返す大将。その言葉に安心したのか、雪乃は「よかったぁ〜……」と脱力して椅子に座りこんだ。
梅の花が描かれた膝よりも少し長い薄桃の着物に、黄金色の帯、梅結びの帯紐。そんな着物の上につけている、馴染みの呉服屋に頼んで刺繍を加えてもらった前掛けの端をつまみながら、雪乃は憂うつそうに小さくため息を吐いた。
「でも、次の働き口なんてそう簡単に見つかりますかね。わたし、この辺りにある店はほとんど回りましたけど、どこからも断られて、ようやく大将に拾ってもらったのに……」
雪乃の言葉に大将は腕組みをして、ううんと唸った。
「こう言っちゃなんだが、雪乃ちゃん、一生懸命やってくれるが不器用だからなぁ」
しみじみとそう言われると、耳が痛い。
「ちょっと、ぐさりと刺さる発言やめてくださいよ。まるで、わたしが能なしみたいに!」
「働き出して何回皿割ったっけなぁ。あと、料理するって練習して食材いくつ無駄にしたんだったか」
大将がからかうと、雪乃は「ば、ばれてたんですか……」と、顔を引きつらせる。そんな雪乃を見て「当たり前だ」と、また大笑いする大将。
「まあ、心配ないさ。うちでしっかり修行したんだ。きっと、すぐに次の働き口も見つかるだろ」
その眼差しには実の娘に向けるような、やさしさがこもっていた。世話になった大将からの温かい言葉に、今度は「大将……」と、ぐすりと鼻を啜る雪乃。
この店で働き始めてから一年。これまでさまざまな店で働いてきたが、なかなか長続きせず、働き口が見つからないと困っていた雪乃を拾ってくれたのが、この花ごころの大将だった。この店は、雪乃にとっては返しきれない恩を受け、さまざまなことを学ばせてもらった場所でもある。
「……ここで働けなくなるのは寂しいですけど、わたし頑張って次の仕事場探しますね!」
雪乃は両手の拳にぎゅっと力をこめ、ぱっと明るい笑顔を見せた。お世話になった大将を安心させるためにも、早く新しい働き口を見つけなければ、と思う。すると、大将もにかっと笑い返してくれた。
「花ごころの看板娘、雪乃ちゃんなら大丈夫だ!うちで鍛えた経験を活かして、次の職場でも頑張ってくれよ」
「はい!」
雪乃が元気よく返事をすると、まるで彼女の門出を応援するかのように髪につけた桜の花飾りが大きく揺れた。
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