ひまわりの愛しさ

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「時雨様、もう少しゆっくり歩いてくださいよ〜!」 長い廊下をすたすたと歩いていく時雨のあとを追う雪乃。和泉の登場で、少しは場が和むかと思ったのだが、機嫌が悪そうな時雨の雰囲気を見て、逆効果だったかと、ため息をついた。 (二人が知り合いだったのも初めて知ったけど、あんなに仲が悪いとは) 穏やかな性格の和泉は、いつも目を細めてにこにこと笑っている印象が強いのに、時雨に対しては目を釣り上げて突っかかっていた。雪乃は何か二人の間に因縁でもあるのだろうか、などとぼんやりと考えていると、急に立ち止まった時雨の背中に顔をぶつけてしまった。 「わっ!ちょっと急になんですか〜……」 雪乃がぶつけた鼻をさすりながら、そう言ったものの、時雨は前を向いたままである。不思議に思った雪乃は、首を傾げながら時雨の背中を見つめた。 「時雨様……?」 動かぬ背中に、ふと名前を呼んでみた。すると、時雨はちらと首だけ動かして雪乃の方を見た。長い髪がさらりと垂れ、切れ長の瞳と目が合う。 「……なんですか」 「いや、何ですかじゃなくて……。どうかしたんですか?」 雪乃がじっと見つめると、時雨が「別になんでもありません」と、ふいと視線を外す。ますます訳がわからない、とばかりに雪乃は、また首を傾げて時雨を見た。すると、しばらくの沈黙のあと、時雨が静かに口を開いた。 「……あの医者と、ずいぶん仲がいいんですね」 「医者」と聞いて、先ほど出会った和泉のことを思い出した雪乃は「ああ」と呟いた。 「和泉様は、私が以前働いていた定食屋の常連さんだったので。街でも見かけたら、よく声をかけていただくんです」 「ほお……」 話の話題ができたと言わんばかりに、意気揚々と和泉の話をし始める雪乃。隣を歩く時雨は腕組みをして、黙ったまま雪乃の話を聞いていた。 「ここで働けているのも、和泉様が紹介状を書いてくださったおかげだったので。今日、久々にお会いして元気そうな顔が見られてよかったです」 雪乃はのんびりとした口調で、そう言って笑った。 (そういえばお礼言い損ねたな……) そんなことを考えながら、隣をちらりと見遣ると、そこには眉間にしわを寄せて怖い顔をしている時雨の姿。驚いた雪乃は「ひい!」と後ずさり、あわあわとした表情を浮かべていた。 「ど、どうかされましたか……⁈」 「いえ、別に」 すっかり機嫌が悪くなった時雨と、このまま一緒でいるのは、それはそれで身がもたない。雪乃は、 「も、もしかして寝不足で疲れてるのかも!早くお休みになった方がいいですよ……!」 と、言って時雨の背中を押した。 「わざわざ送っていただいて、ありがとうございました!」 にこりと愛想笑いを浮かべて、頭を下げた雪乃。礼を言ったあと、顔を上げれば、いつもと変わらず無表情の時雨が、じっと雪乃を見つめていた。かと思えば、ふと息を吐いて視線を逸らされる。 「では、私はここで。おやすみなさい」 時雨はそれだけ言って雪乃に背を向け、元来た道を戻っていく。雪乃は慌てて、遠ざかっていく背中に「おやすみなさい、時雨様!」と返した。その言葉に手を挙げて反応した時雨がこちらに振り向くことはなかったけれど、雪乃は見えなくなるまで、時雨の背中を眺めていた。
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