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◇◇◇
「時雨君、女中の雪乃って子と良い仲なんだろう?」
空が茜色に染まる夕暮れ時。隊長である佐助の執務室へできあがった書類を届けにきた時雨は、その書類を確認しながらそう言った佐助の言葉に、眉間にしわを寄せた。
「……どこ情報ですか、それ」
「ほかの女中や、馴染みの店の女将とか。まあ、情報源はいろいろだけど」
相変わらず遊び好きな隊長に、時雨は「暇なんですか」と、ため息をつく。
「これも大事な仕事のうちだよ。そんなことより、雪乃って子と良い仲というのは本当かい?」
「事実無根です」
きっぱりと断言する時雨に、佐助は「本当に?」とにやついた笑みを浮かべる。
「君が隊舎で彼女を部屋まで送っていくのを見たって話や、菓子屋で二人を見かけたって話も耳にしたんだけど」
「違うのかい?」と問うてくる佐助に、じっと瞳を見つめられる。いつも飄々としているくせに、こんなときは鋭いから侮れない上司だと、時雨は思った。
「……隊士の代わりに夜食係になっていたので、部屋の近くまで送ったことは事実ですし、囮捜査のお礼の一環として馴染みの菓子屋に連れていったことも事実ですが、『彼女と良い仲なのか』という質問に対する答えは『否』ですよ」
ぶっきらぼうにそう返した時雨に、「へぇ〜、あの時雨君が、そんなことを」と笑みを深める佐助。おもしろそうだ、と言わんばかりに絡んでくる上司に、時雨の眉間のしわはますます深くなる。
「特定の異性と、そういった話が一つも出なかった君に、そんな相手ができたことは良いことじゃないか」
にこりと笑う佐助に、「だから、彼女は——」と抗議しようとした時雨だが、その前に「でもね」と強い口調で、それをさえぎった佐助。
「……今は距離を置いた方がいい」
真剣な眼差しと、真剣な声色。普段とは違う顔つきになった佐助を、時雨はただじっと見つめ返す。
「どうやら彼女のことを探している賊がいるそうだ。なぜ追われているのかは知らないが、もしかすると先日の誘拐事件のように……君との関係を理由に狙われている可能性もあるからね」
「それは——」
時雨は佐助の言葉に何か言いかけたが、途中でやめて口を閉ざした。そう言われて思い出すのは、本当は怖いくせに強がって笑っていた彼女の姿。
「……心に留めておきます」
「一応、別の部下にも探らせているけど、時雨君も注意は払っておいてくれ」
「承知しました」
返事を聞いた佐助は、「悪いね、二人の関係に水を差すような話になっちゃって」と申し訳なさそうに笑っていたが、時雨は表情を変えぬまま「別に構いません」と言って立ち上がる。
「話はそれだけですか」
「うん、この書類もこれでいいよ。下に回しておいてくれ」
書類を受け取った時雨は、「では、失礼します」と言って部屋を出ていく。その後ろ姿を見つめる佐助の顔は、どこか心配そうな表情をしていた。
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