出会いの桜

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一週間後、和泉に紹介状を書いてもらったことが功を奏し、雪乃の新たな仕事場が決まった。 暁は、この街の治安維持に努める機関。街で争い事が起これば駆けつけて場を収めたり、悪事を企む者の情報を掴めば調査し、捕らえたりと街の人々を守ることが彼らの主な仕事である。 屋敷は、そこに所属する隊士たちの職場兼住居。多くの使用人が彼らの生活の世話をするため住み込みで働いており、今回、雪乃はその屋敷の女中として雇われることとなった。 「ついこの間までは次の職場どうしようって悩んたのに、それが紹介状一つで働けるなんて……。和泉様って、すごい人だったのね」 街で隊士を見かけることはあっても、機会がなければ関わり合うことがなかった暁という機関。そんなところで自分が働くことになるとは思いもしなかった。 ひとまず仕事を紹介してくれた和泉には改めてお礼をしなければ、と思いつつ、雪乃は眼前の建物を見上げた。 (ここかぁ……) 目の前にそびえ立つのは、大きな切妻屋根の門。周囲は高い塀でぐるりと囲まれており、中の様子はまったく分からない。街の外れに住んでいた雪乃も屋敷の存在は知っていたが、実際に目にするのは初めてだ。 (ものすごい豪華な屋敷って噂は聞いたことがあるけど、どんな所なんだろう……) やや緊張した面持ちで、門を見つめる。門前には、そんな雪乃をじっと見張っている門番が二人。屈強そうな出立ちで、手には身長よりも長い薙刀を持っている。 強面の二人にどきどきしながらも、雪乃は定食屋の看板娘として培った愛想笑いを浮かべて、男たちに近寄った。 「すみませ〜ん。今日からこちらでお世話になる、雪乃と申します。多喜さんという方にお会いしたいのですが、いらっしゃいますか?」 雪乃があいさつすると、岩みたいな顔の男に「書状はあるか?」と尋ねられた。雪乃は慌てて袂から封筒を取り出す。 「はい、これです」 雪乃は手紙に同封されていた書状を二人に見せた。どうやら警備の観点から、このような証明書が必要らしい。 「うむ……確認した。女中頭なら、入ってすぐ右の使用人室にいるから行ってみるといい」 「ありがとうございます」 岩男が雪乃にそう説明したあと、大きな門の左にある潜戸(くぐりど)を開けてくれた。戸の外から中を覗いてみると、右に使用人室とおぼしき建物、左には蔵がある。そして、その左右の建物の奥には、想像以上に大きい屋敷が見えた。 中庭にある池をぐるりと取り囲むように造られた屋敷は、内側が渡り廊下になっており、どの場所からも池とその周辺に咲いている花や松を鑑賞することができるようだ。治安部隊だからと、もっと殺伐とした景色を思い浮かべていたのだが、意外にも雅な佇まいである。 「すごい……」 思わず感嘆の声を漏らした雪乃だったが、左右からの視線を感じてはっとした。見れば門番の二人が一挙手一投足を見逃さないよう、じっと雪乃を見つめているではないか。 雪乃は慌てて顔をきゅっと引き締めると「では」と、作り笑いを浮かべて歩き出した。背後からはまだこちらを伺っているような雰囲気が伝わってきたが、知らんぷりだ。 (ここね……) 使用人室の入り口前に立った雪乃は意を決し、緊張した面持ちで、こんこんと扉を叩く。程なくして中から「はい」と声が聞こえたかと思うと、がらりと音を立てて木の扉が開いた。 扉の向こうにいたのは、五十くらいの女性。瞳はやや上に吊り上がっていて、眉もきりりと引き締まっている。(うぐいす)色の着物の合わせはきっちりと整えられていて、しわ一つ見当たらないところを見るに、礼儀にとても厳しそうである。 (に、睨まれてる……?) 何もしていないのに、きっと刺すような視線を向けられ雪乃は体を硬くさせた。だが、表面上はあくまでも笑顔のまま「初めまして」と、できるだけ丁寧を心がけて挨拶をする。 「今日からこちらでお世話になります、雪乃と申します。多喜さんという方がこちらにいらっしゃるとお伺いしたんですけど……」 「私ですが」 にこやかに告げた雪乃の言葉に、ぴしゃりと返事が返ってきた。厳しい視線は変わらず、雪乃の頬にたらりと冷や汗が流れる。 「そ、そうでしたか〜。精一杯がんばりますので、今日からよろしくお願いします」 にこりと無理やり口角を上げて笑ってみせたが、やはり多喜の無表情はそのままだった。 「話は上から聞きました。あなたには今日から住み込みで、ここの雑用係として働いてもらいます。しっかりと仕事を仕込んでいきますから、頭にきっちり叩き込んでください」 そう言って多喜はくるりと雪乃に背を向け、奥へと入っていく。 (機嫌悪いのかな……) びしりとして厳しい様子の多喜の背中を、雪乃が萎縮しながら見つめていると、顔だけ後ろを向いた多喜。 「何ぼさっと立ってるんです。早くなさい!」 「は、はい!」 飛んできた怒声に体を硬くした雪乃は、すかさず返事をして中へと足を踏み入れる。緊張のせいか、急に喉が乾いてきた。 (怖いんですけど、この人……) 前を歩く多喜は正しい姿勢を崩さずに、悠然と長い廊下を歩いていく。途中、すれ違った女中たちは多喜を見ると慌てて頭を下げている。どうやら屋敷内でも相当恐れられている人物のようだ。 ほかの女中たちの反応に、雪乃はこのあと何が待ち受けているのかと、少し不安になったのだった。
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