出会いの桜

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蔵から作業に必要な道具を取ってきた雪乃は、早速多喜に言いつけられた裏庭の掃除に取り掛かることにした。 「はぁ……。女中の仕事って、思った以上に大変……」 任される仕事の範囲も広く、その水準も高いものを求められる。今の雪乃は、その期待に応えられるだけの力がなく、不甲斐ないばかり。今まで雇ってくれた大将や、この仕事を紹介してくれた和泉の恩に報いるためにも頑張らねば、と思う反面、早くも気持ちは折れかけていた。 「裏庭って、ここかぁ……」 次に雪乃が任されたのは、裏庭にある花の手入れと掃き掃除。色とりどりに咲く花は美しく、見る分にはいいのだが、その美しさを維持するためには労力がかかるものである。 (こんなに綺麗な場所なのに、人がまったく通らないなんて、もったいない……) 雪乃は手桶とひしゃくを持ち、水をまいた。心地良い風が吹き、雪乃の長い髪がさらさらとなびく。濡れないようにと、たすきであげている(たもと)の間からも風が入ってくる。 「あ」 と、そのとき、風に乗って雪乃の前を横切った桜の花びら。どこから来たのかと顔を上げると、少し離れたところに大きな桜の大木があった。大きく風が吹くと、はらはらと儚げに散っていく桜。 その美しさに目を奪われた雪乃は、手桶とひしゃくをその場に置いて、桜の大木へと近寄った。近くで見る桜は、より一層美しかった。 「綺麗……」 思わず感嘆の声が漏れる。雪乃は仕事中だということも忘れて、しばしその桜に見入っていた。 「そういえば、散っている桜の花びらを掴んだら願いが叶うって話があったっけ」 雪乃は以前、客の一人がそんな話をしていたことを思い出した。そのときは「ただの迷信だ」と皆で笑い飛ばしていたが、こうして美しい桜を目の前にしていると、そんな力があっても不思議ではないのかもと思う。 「願い事かぁ……。私だったら、何をお願いするだろう」 着物や小物を欲しいだけ買えるお金。広いお屋敷。今なら優しい女中頭もいいかもしれない、だなんてありもしない妄想を繰り広げる。 「でも、そういえば桜って恋愛成就のご利益があったような……」 しばらく考えて「よし!」と意気込んだ雪乃は、落ちてくる桜に向かって手を伸ばす。すると、ふわりと風が吹き、花びらが雪のようにはらはらと舞う。雪乃はその一つをどうにかして掴み取ろうと、願いごとを口にした。 「素敵な!恋が!できますように!」 だが、雪乃の願いとは裏腹に散りゆく桜はその手から逃れるように空中を舞い、なかなか手にすることが叶わない。こんなに花びらがあるのに、一つも掴めないとは。 雪乃はぴょんぴょんと飛びながら、桜に向かって「何よ、そんな願いは叶わないって言うの⁈」と抗議の声を上げた。 「……っ!」 と、そのとき、後ろからすっと手が伸びてきた。突然のことに雪乃の動きが止まり、びくりと肩を震わせる。よく見ると、伸びてきた手の人差し指と親指の間にはさまっているのは、雪乃が求めていた桜の花。 「こんなところで、何やってるんですか」 聞こえてきたのは、男の低い声だった。ゆっくりと振り返ると、そこにいたのは切れ長の瞳をした男。長い髪を揺らした、麗しい男がじっと雪乃を見つめていた。
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