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「念の為に注射を打ちましょう」 眼鏡を掛けた先生が言う。 淡い色の壁の部屋に、色とりどりのポスター。 沢山の犬猫と薬品のにおい。 猪に襲われた夜、僕はお母さんと一緒に病院に行った。 診察台に乗せられ、僕のお尻に針を刺す。 ただでさえ傷付いた場所が痛むのに、更なる痛みを与えられた事に、僕は小さく鳴いた。 「ゴマ」 家に帰る道中、信号待ちをしていた車の中で、お母さんが言った。 お母さんの目は、真っ直ぐ前だけを向いていた。 僕はお母さんを見た。 「大きな怪我がなくて、本当に良かった」 お母さんの声が震えていた。 頬が濡れている。 僕は、ただその横顔を見詰めた。 「あなたも、私達の大切な息子。 犬であっても人間と一緒、大事な家族」 お母さんが鼻を啜る。 僕は、車のハンドルを握るお母さんの手を舐めた。 「ゴマ、慰めてくれるのね」 漸く少し笑ったお母さんと目が合った。 その瞳の中には、未だ溢れんばかりの涙がある。 「私達は、一人も欠けちゃ駄目なのよ」 お母さんが、僕の顎に触れる。 「一人も」 車の後ろからクラクションの音が聞こえる。 信号が青に変わっていた。
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