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7
「あんた、山下さんちの孫か」
ユメちゃんが泣いている。
気が付けば、近くに熊の気配がない。
大森さん達が追い払ってくれたのかもしれない。
僕は、体を起こそうと足に力を入れた。
けれど、うまく動かない。
指先が少し震えるだけで、それ以上が出来ない。
目も開けている筈だが、何も見えなかった。
「ゴマが」
ユメちゃんが言った。
その直後、大森さんが僕の傍に立った。
「この太い尻尾は、山下さんちの犬か。
もう死んでるんじゃないか」
「嘘、ゴマは死んでない」
「お嬢ちゃん、それより今はあんたが病院に行かないと。
手から血が出てる」
「私じゃなく、ゴマを病院に連れて行って」
ユメちゃんが泣いてお願いをしている。
誰かが「仕方ない」と呟いた。
「お嬢ちゃん、犬はあんたのおじいちゃんに伝えておくから。
だから、今はあんたが病院だ」
それだけ言って、ユメちゃんは誰かに抱きかかえられた。
「ゴマ!」
ユメちゃんの叫び声が聞こえたけれど、相変わらず目は何も映さない。
ユメちゃん達の足音が、少しずつ遠ざかって行く。
車のエンジン音がしたかと思うと、その後はまるきり人の声がなくなった。
辺りは、虫や蛙の声が聞こえるだけだ。
僕はどれくらいそのまま横たわっていたのだろう。
真っ暗な世界では、時間の感覚が全くない。
家に帰らないと。
僕は紐に繋がれていなくても、迷子にならないんだから。
そう思って何度も力を入れるも、燃えるように熱かった全身は地面に同化したまま、少しずつ冷たくなっていく。
お父さん、お母さん、ユメちゃん、おじいちゃん。
ぼんやりとした意識の中、僕は家族の名前を呼んだ。
弱かった僕に戦い方を教えようとしてくれたお父さん。
敵に怒って立ち向かうんだと言ってくれた、頼れる人。
僕を息子だと言ってくれたお母さん。
家族は誰一人欠けては駄目だと教えてくれた、優しい人。
僕を格好良くて強いと言ってくれたユメちゃん。
それなのに、僕を護ろうとしてくれた、信頼すべき人。
そして、おじいちゃん。
「ゴマ」
ふと、おじいちゃんの声がした。
幻聴なのだろうか。
耳を澄ますと、またその声が聞こえる。
「ゴマ、ゴマなのか」
僕の体に、ごつごつした手が触れる。
土と野菜のにおいがする。
おじいちゃんだった。
本物のおじいちゃんが其処に居た。
おじいちゃん。
全身が温かくなるのを感じた。
けれど、やはり動く事は出来なかった。
嬉しくて飛び上がりたい気持ちになったが、重い尻尾は一振りも出来ない。
「ゴマ、こんな体になって。
お前は」
おじいちゃんの掠れた声が弱々しくなる。
その顔を舐ってあげたくても、もう僕には何も出来ない。
「痛かったろう、ゴマ。
怖かったろう。
でも、偉かった。
お前は本当に偉かった」
おじいちゃんが、僕をそっと抱き上げた。
「誰よりも強い犬だ。
世界で一番強く、本当に戦うべき時を知っている賢い家族だ」
僕を抱いたおじいちゃんが、ゆっくりと歩く。
優しく揺れる腕の中が心地良い。
「ゴマ」
おじいちゃんが僕を呼ぶ。
「ゴマ」
返事が出来ない僕は、一度大きく息を吸った。
おじいちゃん。
おじいちゃん、聞こえているよ。
僕はちゃんと聞いているよ。
畑に何度も連れて行ってくれたおじいちゃん。
最期に僕を包み込んで褒めてくれた、温かい人。
僕は、山下家の家族になれて幸せだよ。
臆病だと笑われるばかりしていたけれど、家族の愛情を疑う日は一度もなかった。
深い、もったりと重い眠りが襲ってくる。
抗う事が出来ない。
おじいちゃんの声も遠くなる。
ゴマ。
山下家のゴマ。
真っ黒な体をして、太い尻尾を持ち、「わん」としか喋る事が出来ない。
それが僕だ。
それでも僕は、またこの家族と一緒に暮らしたい。
その時また臆病者に戻っていたとしても、皆は笑って許してくれるかな。
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