第一話 後宮の門扉は開く

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第一話 後宮の門扉は開く

 (れい)の国の都・万保(ばんぽう)は、それ全体が一つの城であり、長い城壁で囲まれている。  もし、城壁を歩いて一周しようとすれば、朝出発して夕方までかかる。それほど、万保は広大だった。  城壁には十二の門が設けられ、中に入れば坊里(くかく)ごとにまた壁で囲まれ、そこにも門。  ひときわ高い壁に囲まれているのが、宮城(きゅうじょう)だ。  宮城内のあちらこちらも、様々な門が数多く設けられ、区切られていた。仰ぎ見るような高さの楼閣の門から、屋根がついただけの小さな門まで、その数は五十に近い。  さて──  宮城の西に、通明門という門がある。  楼閣と言うほどではないが、立派な屋根がついていて、朱塗りの扉に金の鋲がずらりと打ち込まれた門だ。  閉ざされた扉の内側に、美しい女が一人で立っていた。  扉の派手な朱色の前で、淡い水色の襦裙(じゅくん)を身につけた妃は、どこか儚げに見える。 「(しゅ)(へき)妃様!」  若い侍女が一人、足早に戻ってきた。 「お荷物の手配は終わりました。先方はもう、門の外に迎えに来て下さっているようですよ」  妃はうなずく。 「わかったわ。もう少し待って」  門のこちらは、掖庭(えきてい)宮──一般的には『後宮』と呼ばれる場所だ。皇后や妃嬪、宦官たちが暮らしている。  彼女は、朱壁妃。(あざな)雹華(ひょうか)という。  令国皇帝の妃たちは、星座になぞらえた名前で呼ばれるのが通例だ。壁妃も『壁』という星座からとって、そう呼ばれる。  しかし今日、彼女は、後宮を去ることになっていた。    宮の外廊下を渡ってやってきた宦官が、ちょこまかと急ぎ足で石段を下り、雹華に歩み寄った。 「申請してみましたが、やはり無理です。春燕(しゅんえん)様には、会うことまかりならん、と」  雹華は小さく、肩を落とす。 「そうですか。大事な侍女ですから、最後に一目、会いたかった」 「もうあなたの侍女ではありません。春燕様は主上の目に留まり、妃になられるのですから」  宦官は淡々と言い、雹華は目を伏せる。 「そうでした、失礼を。でも……」 「その春燕様を殺そうとした疑いのあるあなたが、会えるはずがありません」  宦官は口調を変えずに言い、雹華も静かに答える。 「私は、殺そうとしてなどおりません」  もう何度も繰り返されてきたこのやりとりに、二人とも少々飽きているのが口振りに出ている。  ふと、何か思うところあったのか、宦官はやや口調を和らげた。 「後宮のような場所で、こんな疑いをかけられて、生きていられる方が奇跡というもの。真実はどうなのか私は知りませんが、あなたは幸運です。主上の恩情で、下賜という形でここを出され、新しい人生を歩むことができるのですから」 「……本当に、そうですね。ありがたいことです」  うつむいたまま微笑む雹華を、後ろに立つ侍女が心配そうに見つめている。  宦官が促した。 「さあ、門の外で、あなたの夫になる人が待っています」 「ええ。……お世話になりました」  雹華は両手のひらを胸に向けて重ね、軽く頭を下げた。  そして、四年間の思い出を振り返りながら、宮を見上げる。 「こんなにも、後宮を立ち去りがたく思うなんて。十五歳でここに来た時は、想像もしませんでした。……それでは」  彼女は、門扉に向き直った。    ──その、朱塗りの門扉の外側。  男が一人、ぶらぶらと歩いている。  (りん)銘軒(めいけん)は、衛尉寺──宮城を警衛する役所で働く衛士(えじ)だ。主に門卒(もんばん)の仕事をしている。  宮城の門は、門扉も一つだけではないような、巨大な楼閣が多い。  そんな立派な門の前で、銘軒は少々浮いて見える。いつも皮肉っぽい笑みを浮かべている一方、鋭い目つきをして、ならず者のような(すさ)んだ雰囲気があるからだ。  とにかく、彼は立っているだけで凄みがあり、よほどの者でなければその門を悪意を持って突破しようなどと思わないだろう。  さて、銘軒は今日も、とある門の前にいる。  ただし、今日は門卒としてではない。門の前を行ったり来たりしながら、出てくる人物を待っていた。  十日ほど前に突然、 「主上より、妃の一人を林銘軒に与える」  と知らせが来たのである。 「ありがてぇこったが、何で俺に」  いぶかしそうにつぶやく銘軒に、仲のいい同僚が彼の背中を叩いて言う。 「褒美に決まってるじゃないか。一年前、太上皇陛下の御列が襲われた時、お前がお救い申し上げたんだから」  離宮に向かおうとした太上皇が、宮城の西にある芳林門を出たところで襲撃された事件があった。先帝時代の政策に恨みを持つ一派によるものだった。  ちょうどその時、門卒として芳林門を守っていた銘軒は、襲撃者たちを撃退するのに一役買ったのである。  銘軒は口をゆがめて笑う。 「あーあ。家族を持て、結婚はいいぞとうるさい周囲を何とかかわしてきたのに、主上から賜るんじゃ断れねぇ。家族なんか、足を引っ張るだけの存在なのに」 「銘軒……」  言葉に詰まる同僚の顔を見て、今度は銘軒が彼の背中を軽く叩く。 「嫌な言い方をして、悪い。まあでも俺にしてみれば正直なところなんだよ」 「……お前が、褒美に値することをしたのは間違いないんだから。何かのきっかけだと思って、妻になる人を大切にしろ」  友人の言葉に、銘軒はへらっと笑う。 「主上が下さるなら何でも家宝だ、もちろん大切にするよ。家宝だから売れないのは残念だが」 「銘軒」 「冗談、冗談。迎える準備をするから手伝ってくれ」  すでに結婚している同僚と、その妻の助言を聞きながら、銘軒は妻を迎える準備をした。    その間に、銘軒の耳にはある噂が入ってきた。  下賜される妃に主上のお手つきはなかったようだが、つい最近、自分の侍女を毒殺しようとした、というのである。  その侍女は主上の目にとまり、今日明日にも妃になる、という話だった。 (侍女に主上が目をつけたのを察知して、嫉妬のあまり毒を盛ったか?)  妃は自分の食事にわざと毒を入れ、侍女に試毒(どくみ)させたらしい、と聞いた。  もちろん噂にすぎないが、本来なら試毒は宦官の役目のはずだと、銘軒は知っていた。それを、その日に限って侍女がやったというなら、妃が何か企んでそうさせたと疑われても仕方ない。 (女の争いは怖いねー)  門の前で足を止め、銘軒は考える。 (とにかく、波風立てる妃を一人、後宮から出してしまえ、と。で、誰を引き取り先にしようかとなった時、褒美にかこつけて体よく選ばれたのが俺、ってわけだ)  銘軒は国に、そして主上に忠誠を誓っているが、正直、今回の件には少々困っている。  門の両脇には、銘軒の同僚衛士が門卒として一人ずつ立っている。顔にありありと好奇心を浮かべて、銘軒の妻になる女を待ち構えているようだ。 (噂も知らねぇで……)  銘軒は呆れてため息をつく。  やがて──  宦官の手によって、扉は内側から開かれた。  緊張に強ばった表情の女と、斜に構えた男の視線が合った。  門を挟み、初めて出会った二人は、これから夫婦になる。
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