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第十五話 百年好合(生涯一緒に)【完結】
「雹華様。差し出がましいようですが、本当に後宮に戻らなくてよろしいのですか?」
鈴玉が真顔で言った。
「今ならまだ、間に合います」
「えっ?」
一瞬、雹華は唖然となった。
婚礼まで、三日に迫った日のことである。
中院に婚礼用の祭壇を作るため、中院に面した部屋に必要なものが運び込まれており、雹華は全て揃っているか確認しているところだった。
そこへ、鈴玉が改まった様子で話しかけてきたのだ。
雹華は、ハッとして鈴玉に向き直る。
「ごめんなさい、鈴玉がどうしたいか、聞いておくべきだったわ。もし戻りたいなら、私から房妃様にお話を」
「私は雹華様のおそばにおります。そうではなくて!」
鈴玉は胸の前で、折り目のついた一枚の紙をパッと広げて見せた。
「雹華様は銘軒様でよろしいのですか、という話です! これ若渓からの手紙です。あの方はちょっとどうかと思うって、心配してますよ!」
「若渓が? 旦那様と、どこかで会ったのかしら……これ、読んでいいの?」
手紙を受け取ると、雹華は目を通した。
「……あっ、瑞雲宮の前まで来てくれていたのね。ええと、でも、恐ろしい衛士に脅されて追い払われた……? それが、旦那様だったらしい、という話?」
「『雹華様に毎日あんな態度をとっていたらと思うと、心配でなりません』と書いてあります」
鈴玉は憤慨している。
「後宮に行かれて以来、旦那様と雹華様は二人きりで過ごすことが増えたので、私も目が届かない時間が多くなりました。まさか、ひどいこと言われたりされたりしていませんよね? もしそうなら」
「俺と雹華が何だって?」
いきなり、居間に銘軒が入ってきた。
頭を下げた鈴玉は、スッと手紙を回収して胸元に入れ、ツンと顎を上げて確認作業に戻る。
苦笑してしまいながら、雹華は立ち上がって銘軒を迎えた。
「旦那様」
「ったく、雹華が人たらしなおかげで、夫になる男に対する周囲の目が厳しいったらねぇよ」
銘軒はぶつぶつ文句を言う。
「俺は雹華を主上に託されたってのに」
「そう、そうなのよ、鈴玉」
笑い出しながら雹華が言うと、鈴玉は「それなら……」と口ごもる。
後できちんと話しておかなくては、と思いながら、雹華は銘軒に向き直った。
「これからお仕事ですか?」
「ああ、その前に」
銘軒はさらりと言う。
「雹華のご両親が、万保に着いたそうだ。もうすぐここに来られる」
「えっ」
ぎく、と表情を固くする雹華。
冤罪が晴れたとはいえ、雹華が「お下がりのお下がり」であることには代わりはない。
銘軒は笑う。
「大丈夫だろ。お父上としては雹華に後宮に戻ってほしいのかもしれないが、俺も形ばかりとはいえ従三品だ。一応な」
官人の階級でいうと、五品以上は特権が多い。
雹華の父のような商人にとって、銘軒が身内になるのは悪くない話のはずだった。
そしてやってきた雹華の両親は、雹華を一言も叱らなかった。
「まさか銘軒殿のようなお方と身内になれるとは!」
「今後とも何とぞよしなに!」
父はあからさまに揉み手をし、母はその隣でぺこぺこ頭を下げる。
銘軒はにこやかに挨拶した。
「ようやくお会いできて幸甚です。実はちょうど、主上から賜ったものがあるので一緒に見ていただければと、お待ちしていました」
彼は、皇帝から贈られた豪華な婚礼衣装を披露し、ダメ押しをする。
「これはこれは! なんと見事な!」
「百年の幸せが約束されるような婚礼ですわ!」
雹華の両親はそんなふうで、三人で「はっはっは」と賑やかに茶を飲んでいる。
その傍らで、雹華は恥ずかしさに小さくなっていたのだった。
「何だか、申し訳ありませんでした……親戚になるというのに、商売っ気が漏れ出ておりましたよね……」
両親がいったん宿に引き上げた後、雹華はため息をつきながら銘軒に謝る。
銘軒はニヤリと口角を上げた。
「俺にとっては親戚の繋がりより、金が絡んだ方がわかりやすくていい。金の切れ目が縁の切れ目になると、はっきりしてるからな」
「…………」
「でも」
手を伸ばした銘軒は、雹華の手を丁寧に取る。
「あんたとは、金の繋がりじゃないから、縁が切れることなんてない。わかってるだろ?」
「……はい」
雹華は頬をほころばせる。
「何があっても、おそばにいていい、ってことですよね?」
「それに、逃がさない、ってことだ」
二人の手が、強く握りあわされた。
そして、その手は婚礼の今日、赤い紐で繋がっている。
令国の婚礼のならいで、布で作った赤い花が中央に咲いた紐の両端を、花婿と花嫁はそれぞれ手にしていた。
ゆっくりと歩いていく二人は、鮮やかな赤に豪奢な刺繍の入った婚礼衣装を身につけている。花嫁の方は、魔除けのために赤い絹布を被っており、顔は見えない。
中院の祭壇の前で拝礼する二人を、雹華の親族や銘軒の上司・同僚たちが見守った。
儀式が終わると、いったん花婿と花嫁は退席し、新婚夫婦のための部屋に引き取る。
部屋に入るなり、銘軒はパッと、雹華の魔除けの布を取り去った。
「やっと顔が見られる」
雹華は驚いた表情だったが、すぐに幸せに輝いた笑顔を見せる。
二人は抱きしめ合うと、互いの髪を撫でた。
「生涯、一緒だからな。わかってるな?」
いつも確認するような言葉を挟む銘軒に、雹華はうなずく。
「はい。白髪になっても、一緒にいましょう」
事件のその後は、皇帝や春燕が婚礼の後でと思ったのか、数日後に伝えられた。
厨房で働く女官の一人が、自害しているのが見つかったという。
厳しく取り調べられた衛士の宦官は、それを聞いて、ある人物の名前を白状した。
やがて、北瀟宮の高斗妃が、後宮を出て離宮に移った。病気のためという発表がなされた。
この数年後、彼女は妃としてのつとめが果たせないということで退き、春燕が斗妃の位を継ぐことになる。
そして、雹華はなぜか、忙しい日々を過ごしていた。
「おい。また後宮に呼ばれたのか?」
不機嫌そうな銘軒の目の前で、雹華は申し訳なさそうに月琴を抱えた。彼女はすでに、楽人ふうの装いになっている。
「春燕からの、たっての頼みごとなのです。後宮内で問題が起こって、密かに相談したいと」
「何でいちいちあんたなんだ」
「たぶん、銘軒様のことも頼りにしているのではないかと」
「そりゃ、雹華に何かあればすぐに行くよ。行くけどよ」
はー、とため息をついて、彼は雹華を睨む。
「やっぱり後宮の方が居心地がいいとか、言い出さないでくれよ?」
「大丈夫ですよ。時々、実家に戻るようなものです」
雹華はにっこり微笑んだ。
「私は、旦那様のおそばが一番、居心地がいいのですから」
【追放サレ妃は後宮に戻りたい 完】
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