104人が本棚に入れています
本棚に追加
「見に来てよかった……。川野、本当にありがとう」
律希は、紗奈が繋いでくれた方の手を見つめて言った。俯いたまま軽く微笑むと、紗奈がこちらの顔を覗き込んで聞く。
「私は何もしてませんよ?」
「それでも、川野にはたくさん助けられたから」
紗奈は、やはり不思議そうに首を傾げるが、律希は穏やかな表情でうなずくばかり。
優しい春の風が2人の間を吹き過ぎ、意味もなく幸せな気持ちになった。
「春ですね〜」
「春だね」
言うともなく紗奈が呟けば、律希も同調する。
基礎時代に、かけがえのない幸せを噛み締める2人の未来人。それは、少し不思議で、素敵な空間だった。
その時、見送りを終えて、店内に戻ろうとしたさやかが、ふと紗奈と律希に目を止めた。
「あのー、ご来店のお客様ですか……?」
「えっ!?」
誤算だ。完全に油断してしまっていた。
「い、いえ……すみません、見てただけです!」
紗奈が慌ててそう言い、律希がそんな紗奈の手を強く引いてささやく。
「話すな。逃げよう」
いくら安定時代とはいえ、接触は厳禁だ。2人は手を繋いだまま、基礎時代の路地を駆け抜けた。
途中でパッと振り返るが、さやかは追って来ていない。
何事も無かったかのように街を彩る春の日差しを見て、律希と紗奈はほっと息をついた。
「危なかった……」
「……そ、そうですね。完全に油断しちゃいました」
そう言い合って2人は、ふとお互いに目を向ける。走ったせいで上気した頬と、早めの呼吸がお揃いだ。
しばらく黙って見つめ合う2人。すると、不意に律希が表情を崩して笑い出した。
「な、なんですか。一ノ瀬さん」
「いや、だって……!」
なぜ笑っているのかは、自分でもよく分からない。しかし、慣れない過去の世界で、春の陽気の中を駆けたことが、なんだか楽しかったのは事実だった。
「なんでだろう……、やっぱり、楽しかったから?」
「笑ってる理由ですか? そんなの、私に聞かれたって知りませんよ」
紗奈は呆れたように、頬を膨らませる。
しかし、それも長くは続かず、じきに彼女も声を立てて笑い出した。
「ほら、川野も笑ってる。なんで?」
「一ノ瀬さんが笑ってるからでしょう! あー、もう苦しいです。嫌!」
「別にやめればいいじゃん」
「無理です。なんだか、面白くなってきちゃいましたもん」
春の陽気にあてられて、ただ何も考えずに笑い続ける2人。彼らが笑うのをやめて、未来に帰るのは、最低でも5分以上後のことである。
──世界の歴史を守る、若き時間警察たちの未来。
小さな兄妹の未来が輝かしいものであったように、彼らのそれもまた、希望に満ちたものであることを。
700年の時を超えて、人々を照らし続ける太陽が、その願いを静かに受け取った。
(完)
最初のコメントを投稿しよう!