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「さやか……だよね」
律希はそう呟く。口調自体は弱いが、その言葉は確信に満ちていた。
身体は確かに大人びていても、あの時の笑顔はそのままで。その女性は、迷いようが無く、いつかの女の子だったのだ。
「……そうですね。さやかちゃんです」
紗奈も、律希に同意して、嬉しさに潤む目で店内に視線を注ぎ続ける。
店内では、さやかがこれまでで1番の笑顔を浮かべて、袋に入れたパンをお客さんに渡した。そして、エプロンのしわを伸ばしながら、彼女が入り口の方までお客さんを見送りに来たので、律希と紗奈はハッとして角に隠れた。
「ありがとうございましたー!」
「こちらこそ〜。また来るわねー」
お客さんは常連らしく、そのやりとりには気安い雰囲気がある。しばらく手を振って見送ってから、さやかはふぅと肩の力を抜いて腕時計をちらっと確認した。
「遅いなぁ、お兄ちゃん。11時20分には来るって言ったのに……」
『お兄ちゃん』という言葉に、紗奈と律希は顔を見合わせる。
「優斗君のことでしょうか……?」
「多分……いや、絶対そうだよね」
2人がそう言い合った時、さやかが「あっ!」と声を上げる。
「お兄ちゃん、遅い! ご予約時間もう過ぎてますよー?」
さやかが声をかけた方向を見ると、半袖の運動着姿の男性が、「ごめん、ごめん」と言いながら走って来ていた。彼の後ろには、彼と同じようなデザインの服——恐らく何かのユニフォームだろう——を来た小学生くらいの子供たちが、5、6人ほどついて来ている。
男性は、あずまパンの前に到着すると、後続の子供たちに向かって両手で「ストップ」の合図を出した。
「はい! それじゃあ、これからこのお姉さんがみんなの分のお昼ご飯をくれるから、手分けしてグラウンドまで運んでくれ。いいか?」
「はーい!」
子供たちが声を揃えて答えると、男性は満足げにうなずく。そして、彼はさやかの方を見ると、こう言った。
「というわけでさやか、受け取りさせてください!」
「毎度ありがとうございます。でも、今度からは予約時間に遅れるのは無しよ。大口注文は特に、予約時間にちょうど焼きあがるように焼いてるんだから。うちの焼き立てのパンが絶品なのは、お兄ちゃんも知ってるでしょう?」
「もちろん。こいつらもよく知ってる。だから走ってきたんだよ、な?」
優斗は子供たちを振り返って同意を求める。すると彼らは、口々に言い出した。
「俺、あずまパンのパン大好き!」
「僕も好き! さやかお姉ちゃんのパン食べると、試合も勝てる気がするんだ」
「今日は何のパン? 楽しみ!」
子供たちの声に、さやかは膨らませていた頬を緩めて、にっこり笑う。心底嬉しそうな様子で、彼女はかがんで子供たちに目線を合わせた。
「今日のパンは、さやかお姉ちゃん特性のもちもちチーズパンです!」
さやかが宣言すると、子供たちは一斉に、
「やったー!」
と歓声を上げる。なぜか、優斗まで一緒に手を挙げていたので、さやかは「もう、お兄ちゃんったら」と苦笑した。
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