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3・逃走
頭にかぶっていた冠を振り落とすように外し、娘は走り出す。石細工の装身具が、硬い音を立てて地面に転がった。
後ろを振り返ることなく、ミナハは青年と共に手を握り合い、森の中に飛び込むようにして逃げた。村に戻る道とは逆の方向に向かって。
残された者たちには、逃走した巫女の声が木立の向こうから聞こえた。
「すまない。村に戻って伝えて。私はズィダと生きる」
そして二人は森の奥に消えた。その後に降り始めた雨が、二人の足跡を消した。
逃げるときに降り始めた雨はまだ続いていた。雨足は少し弱まっている。
ズィダとミナハは川のほとりの岩場で、巨石の影に座っていた。
娘は帯を走りやすいように結び直し、青い石の装身具はまだ腕と首に残っている。
川の水を飲み、顔の化粧は雨の中で自然に落ちていた。
痛む足をさすりながら、娘はぽつりとこぼす。
「私たちのことは山が許さないだろうか」
見張りをしていたズィダは娘を見た。
「山の火は神の怒りだというが、俺はそうは思わない」
ズィダの胸の中にはいつも空白の諦念に近いものがあった。子供の頃に無理やり村に連れてこられ、沢山殴られて、怨恨を溜めてもいいはずだった。
だのにいつもズィダの内側にはどこか悟ったような落ち着いた気持ちがあった。
なぜ怒りが生まれないのだろう……。
森で生まれ育ったせいだと彼は思った。
彼の心の中にはいつも、幼い頃から深い森があった。
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