3・逃走

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 動物や木々、岩も天空も彼の友達だった。生も死も、光も影も自然の中にあった。森は全てを育み、命を育てる場所だった。 「ミナハ、俺は元々は森の民だ。俺の一族は何代も森で生まれて、森で死ぬ。ずっと山と共に暮らしてきた。西の方には永く煙を吹いている山もある。そこに住まうのは動物だけだ。それでも山の煙は出たり止んだりする。人間がいてもいなくても同じだ。山に生贄なんていらない」  青年が静かに語るのを、娘はただ黙って見つめていた。 「ズィダ、お前は私たちの村が憎くはないのか?」 「俺はもう、そういう気持ちは忘れた」  ズィダは首を振る。  なぜか、彼にとって自分の一族を殺した村のものたちは憎くはなかった。  流れてゆく血も悲しみもすべてはひとつで、それならば自分もいずれ森の一部になる。彼にとって生も死も大きな差はなかった。そのはずだった。 「森は俺たちに全てを与える。しかし森が真に怒ることはない。俺たちは人間だ。人間に森の真意は分からない。分かったふりをしているだけだ。太陽も星も動く。山も海も森も動く。全ては動くんだ、ミナハ。それに怯えて怒っているのは人間の方だ」  森そのもののような、透明な澄んだ水を思わせる、青年のまなざしだった。  一族を殺され、身分低いものに落とされてもなお、ズィダには決して折れない清い強さがあった。それと同時に、森に生きる一族の優しさと賢さがあった。ミナハはそれが好ましいと思っていた。誰よりも愛おしいと。
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