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「安西」
クラス一背が高く、目つきが鋭い安西は、いるだけで周囲を萎縮させる。俺も例外ではないが、今回は聞かれたかもしれない恐怖の方が大きかった。
「たまたま、授業の質問をしに来ただけだ」
「そう、なんだ」
本当か?という目で見れば、安西は口端を持ち上げる。
「お前は違うようだけどな?」
「っ……、違うって、何が?」
しらばっくれようとしたが、安西は笑う。だが、目の奥は全く笑っていない。
「ちょっとこっちへ来い」
中にいる新田に聞かれることを危惧してか、小声でそう言うと、俺の腕を引っ張ってくる。その力の強さに痛みを覚えたが、移動するのは賛成のため大人しくついて行く。
「腕、痛い」
人気のない校舎裏に出たところで訴えると、ぱっと離された。
「俺と取り引きしないか」
「取り引き?」
安西が俺の方を振り向く。
その目が新田の指輪のように、いやそれ以上に鋭い刃を秘めている気がして、俺は思わずたじろいだ。
安西はそんな俺の動揺を見抜いているのだろう。また少しだけ唇を歪めて笑うと、俺の方へ近づいてくる。
走って逃げたいところだが、「取り引き」は恐らく先ほどの件に関係している。
我慢して後ずさりするだけに止めた。だが、それが誤算だった。
「!」
壁際に追い詰められた後、顎を掬い上げられる。
まずい、と思い、咄嗟に逃れようと試みるが、力の差がありすぎて不可能だ。せめてもの抵抗に睨みつけると、安西は喉奥でくつくつと笑った。
「何をする気だ」
「まだ何もしねぇ。お前が取り引きを呑んだらするけどな」
「こういった類の取り引きは」
「しないとでも言うつもりか」
安西の目が楽しげに細められる。
「しないと言ったら俺と先生の関係を暴いて、周りにばらすつもりなんだろ」
「よく分かっているじゃないか。それで?俺の取り引きは呑む気があるか」
「取り引きの内容を聞いてからだ」
「内容?簡単だ」
安西の指が、するりと俺の唇を撫でる。僅かに漂った甘い香りに、あれ、と思った瞬間、耳元で囁かれた。
「俺とセフレになれ」
予想通りの台詞だったにも関わらず、心の中に波紋が広がった。新田とはまるで違う腹の底に響く低音の中に、野生の獣じみた劣情を感じたからだ。
はっと顔を上げれば、間近で視線が交わる。
そこには愛とか恋とか、そんな綺麗な感情があるかどうかは分からない。
安西は本当の感情を決して悟らせず、ただ我が物にしたいがために動いている。
新田にキスを強請った自分と少し重なるが、安西ほどの貪欲さはない。
それが悔しいと思うと同時に、その貪欲さを向けられた時、自分がどうなるのか知りたい気がした。
「分かった」
「交渉成立だ」
取り引きの証とでもいうように、安西がさっと口付けてくる。新田の跡を上書きしてくる安西のキスは、やっぱり微かに甘い香りがして、新田のキスとよく似て冷たかった。
ただ、新田は俺を突き放すため、安西は己の劣情を満たすために俺を利用するという全く違う意味で。
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