3 まるで麻薬のような

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3 まるで麻薬のような

 月曜日の1時間目は化学の授業だった。  新田が教科書にない難解な問題を出し、クラスメイトの一人が当てられ、解こうとしているが、なかなか解けなくて悩んでいる。  新田の年齢はまだ25歳で、大学で教員免許を取得した後に一回普通の会社員として勤め、何となく教師に転職したらしい。だが、何となくで、というのは恐らく違うだろう。  安西もだが、新田も本心がなかなか読めないところがあり、生徒に向ける優しさの裏側で何か考えているのかもしれない。  ーーじゃなきゃ、結婚したてで俺とキスをする関係を受け入れるわけがないしな。  そう考えると、新田と安西は案外似ているところがあるのかもしれない。  と、授業中にあれこれと考えていたら、新田が当てていたクラスメイトを座らせ、俺の方を見た。  垂れ気味で涙ボクロのある新田の目は色気があり、女子生徒によく騒がれる。  俺も一瞬でも目が合うと鼓動が騒ぎ、まともな思考を掻き乱される。  新田の目が、ゆっくりと笑みの形になり、薄い唇で俺の名前を呼んだ。 「藤野、この問題を解いてみて」 「……」  いつものことだが、俺は新田と視線を交わらせたまま、1、2秒ほど沈黙する。  最初の頃はただドキドキして固まることがよくあったが、今はこの時間を楽しむだけの余裕が出てきた。  新田と視線で会話する。  先生、もう一度俺を呼んでよ。  その気持ちが伝わったかは分からないが、新田が今度は先ほどより笑みを広げて、口を開いた。 「藤野」 「はい」  立ち上がりかけた、その時だった。 「新田」  低音が響き、はっと視線を滑らせると、斜め後ろに座っていた安西が右手を上げていた。  新田とは真逆の目尻にかけてやや上がっている安西の目は、何の感情も宿さずに新田を見ている。 「安西、先生をつけなさい」  周囲のクラスメイトがざわめくが、安西が怖いのか、笑う者はいなかった。 「新田先生。俺がその問題解きたい」  安西がこうして当てられた者を遮ってまで自ら手を上げたことはない。  新田の目が、安西と俺の間を行き来した。  その後、探るような目を安西に向けた新田は、やれやれと首を振って頷いた。 「分かった。安西に解いてもらおう。君には簡単過ぎるかもしれないから、あんまり解かせたくなかったんだけどね」  簡単過ぎる?  俺が不思議に思ううちにも、安西が席を立ち、黒板の方に向かう。  その最中、隣の席にいた加藤がぼそっと話しかけてきた。 「安西って意外と頭良いよな。もっとも、あの見た目からは全く想像つかないけど」 「え?そうなの?」  小声で返せば、加藤が見たら分かる、というように黒板の方を顎で指し示した。  言われた通りに黒板に視線を転じれば、安西が迷うことなくすらすらと問題を解いているのが見えた。  隣でその様子を眺めていた新田が、解答が正解だというのを確信したのか、俺の方を見てきた。 「っ……?」  新田がちらりと笑みを浮かべる。普段からよく微笑みを浮かべる方だが、今回は多分な意味を含んでいるように見えた。  安西が解き終わり、チョークを置くと同時に新田の視線は外され、黒板を見て頷いた。 「文句のつけどころがない。流石だね」  クラスメイトが拍手する中、安西が席に戻ろうとするが、新田に呼び止められた。 「安西」 「何ですか」  振り返った安西を手招きすると、二人で何やら言葉を交わした後に、安西は席に戻ってきた。  何を話したんだろう。  気になって安西の方を振り向くと、俺と一瞬だけ目が合い、すっと逸らされた。 「……?」  俺が疑問に思ううちにも、1時間目終了のチャイムが鳴った。他のクラスメイトに合わせて挨拶を済ませ、安西に声をかけようとしたが、安西は長い足を動かして素早く教室を出て行った。
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