過去の話(3)(※)

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過去の話(3)(※)

「それは・・・、やっぱり結婚して、家族になって、恋愛感情が薄くなってしまって・・・っていうことでしょうか。」 「いや。」  小沢はボトルに残ったスパークリングワインを、自分のグラスと祐実のグラスに注ぎ分けた。 「振り返ってみても・・・多分、最初から、熱烈な気持ちはなかったんだろうと思った。次、結婚するなら、もっと自分が好きになった人にしよう、って。・・・相手にも失礼だし、よくない結果になるってこともわかったから・・・。他の誰にも渡したくないって思えるくらいの相手にしよう、って決めてる。」  じっと、祐実の目を見る。祐実が視線を逸らすと、小沢は力を抜いて微笑む。 「ま、おかげで、今はこうやって好きな人と付き合えているわけだし。既婚者のとき出会ってたら、こうはいかないでしょ。」 小沢はメニューを開いて、祐実に差し出す。 「次、何飲む?」 「・・・軽めで、サッパリしたものがいいな・・・」 メニューを眺める。その姿を小沢は楽しそうに見つめる。 「?なんですか?」 視線に気づいた祐実が、小沢に問いかける。 「いや、・・・ちょっと酔った姿もかわいいなと思って。」 「もう・・・」 祐実はメニューを小沢に渡しながら顔を逸らす。 「私は、シャンディガフにします。」 小沢が飲み物を注文しようと呼び鈴を鳴らす。 「じゃあ、次は私ですかね・・・。」 祐実は、自分の離婚のことを話そう、と口を開こうとする。 「ちょっと待った!」 小沢が手を挙げて制止する。 「俺の話聞いたからって、無理に言わなくていいよ。」 「お互いを語り合う、っていったじゃないですか。」 祐実は不思議そうに首を傾げる。 「そうだけど・・・」 「自分ばっかりスッキリして、ズルくないですか・・・」 小沢が苦笑する。 「じゃあ・・・ほんとに、言いたくないことは、言わなくていいから。」 「もちろん。」  新しく運ばれてきたグラスに口をつけ、ふうと一呼吸おいてから、話し出した。 「別れた夫は、前の会社の、同僚だったんです。私も、小沢さんと同じような感じですね。教育係みたいになって・・・同い年だったんですけど。一緒にいる時間が多くなって、いつの間にか、付き合うことになってたような。」  祥吾との出会いは、祐実が前に勤めていた会社に、祥吾が中途採用で入社してきた時だった。同じグループに配属され、同い年だから話しやすいだろう、というだけの理由で、祐実が教育係という名の世話係になり、仲を深めていった。同い年ながら、計画性のある祐実が祥吾をリードしていくような関係性を保ちながら、二人は男女の仲となり、付き合って2年ほどで結婚した。  結婚式は祥吾の地元で盛大に行うこととなり、こじんまりとした式をしたかった祐実は正直なところ辟易した。しかし、これから家族になるのだから、と自分を言い聞かせ、祥吾の地元にも馴染もうと心掛けた。生来の気遣いする性格で、周りとはそれなりにうまくやっていたと思う。   「私、流産したことがあるんです。」 小沢は、ぎょっとした顔をして祐実を見た。祐実は寂しそうに笑う。 「結婚して・・・1年を過ぎたころ、妊娠がわかって・・・でも、次の検診にいったときに、心音が確認できなくて。稽留流産、っていうらしいです。お医者さんは、妊婦さんには原因があることはほとんどないですよ、って言ってくれたんですけど・・・。」  祐実は、当時のことを振り返りながら、テーブルの上の小さなろうそくに目を移す。ろうそくの炎が揺れている。妊娠がわかったときは、戸惑ったけれど、嬉しかった。けど、すぐに突き落とされた。今はもう、立ち直っているけれど、当時は気持ちを切り替えるまでそれなりに時間はかかった。 「義理の実家から、結構つらく当たられて。元夫は、かばってくれてはいたんですけど・・・もう、耐えられなくなって、別れてもらいました。」 祐実は、グラスを両手で支えるように持つ。少し手が震えた。あの後、子どものことを幾度となく言われて、祐実は限界を迎えた。祥吾と同じベッドに眠るのが、苦痛になってしまったのだ。 「だから・・・小沢さんが・・・。もし、再婚を考えていて、子どもがほしい、っていうのであれば・・・」  続きは、言いたくはなかった。小沢の存在は、そのくらい大きくなってしまっていた。でも、これ以上、深い仲になる前に。これ以上、好きになってしまう前に。引き返すのなら、ここで止めてほしかった。 「話さなくていいって、言ったのに・・・。」 小沢が祐実を見つめる。祐実は、少し涙目になって小沢に答える。 「ずっと、心のなかに溜めてた。けど、これを黙ってるのは卑怯かな、って。」 「そんなことない」 小沢が、祐実の手を握る。 「祐実を大切にする。・・・俺は、ずっと本気だよ。」 「さっきの話、聞いてました?」 「うん、ちゃんと聞いてた。そのうえで、言っているんだよ。」 小沢は真剣な表情で祐実の瞳を見つめる。祐実は息をのむ。 「もっと俺に、心を開いて。・・・大切に、するから」 小沢の顔が近づく。そっと唇が触れる。 「ちょ・・・」 祐実は顔を離してあわてて回りを見る。小沢は平然としていて、祐実が逃げられないように頭の後ろに手を回し、引き寄せ、再び唇に触れる。舌を割り入れて、奪うように深く押し入る。鼓動が上がり、甘い感覚に頭の後ろがしびれる。涙がこみあげてくる。 「なんのためのカップルシートだっつの。」  唇を離した小沢は、とろけるような表情を浮かべた祐実の濡れた唇を親指で拭う。 「そんな顔されたら、マズイ。止まらなくなるから・・・。」 小沢が自分の肩に祐実の頭を乗せる。祐実は鼓動がさらに上がる。 「俺が、過去の話で怖気づくと思った・・・?むしろ、もっと大切にしたいって思ったよ。」 ふと小沢を見上げると、口元は笑っているが、目は真剣だ。 「わからせてやる。どれだけ俺が本気か。もう、遠慮しない。・・・本気だしていくよ。」 耳元で囁かれた迫力に、腰が抜けそうになる。もう立ち上がれないかと思った。
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