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カミングアウト(3)
「コーヒーは、酔い覚ましにいいらしいよ。」
小沢に連れてこられたのは、駅前のコーヒーショップだった。ホットコーヒーを前に、祐実はだんだんと冷静さを取り戻す。
「いつも、飲んだ後は一杯飲んでから帰るんだ。店が開いてなかったら、コンビニのコーヒーとか。飲みながら一駅あるくと、家に着くころにはいい感じに覚めてる。」
「い、いただきます・・・。」
小沢が頼んでくれたコーヒーに口をつける。一瞬でも違う想像をしてしまっていた自分が恥ずかしい。
「ブラックでいいの?」
「はい、食べた後なので。」
小沢も何も入っていないコーヒーに口をつけた。
「デザートとか、食べる?」
小沢が店頭のガラスケースに目を向ける。
「や、今日はもう・・・。お腹いっぱいです。」
「なかなか美味しかったよね。あの店。ボリュームもあったし。」
「はい。私はラムのローストが、美味しかったです。柔らかくって臭みもなくて・・・」
「美味しかった!看板メニューなだけあるよね。ポテトグラタンも美味しかった・・・俺、ゴルゴンゾーラチーズが好きでさ・・・」
「私も好きです!こういう食べ方もあるんだって、つい食べ過ぎちゃいました。」
今日の店は、もう一人の昇進祝いの対象だった片桐が、生ものが苦手、ということで幹事が探してくれたスペイン料理の店だった。小沢も料理が気に入っていたようで、その話題だけでも話が膨らんでいく。
いつもあんなに緊張していたのに、お酒のせいか、小沢の話術のおかげなのか、スルスルと言葉が出てくる。もしくは、カミングアウトして開き直ってしまったのか・・・。
小沢がちらりと腕時計を見る。22時をとうに過ぎていた。コーヒー一杯で、つい話しこんでしまった。
「もう、こんな時間か・・・。遅くなって、旦那さんに叱られない?」
小沢の言葉に、祐実はきょとんとする。
「・・・誰かと、勘違いしてませんか?・・・私、独身ですけど。」
祐実の返答に、小沢は慌てる。
「えっ、でも・・・、面接のときと、苗字が・・・」
「あっ・・・、覚えてたんですか・・・」
祐実ははっとする。そして、正直に答えた。
「私、バツイチなんです。」
小沢は、唖然としている。
「面接のときは、離婚成立前で・・・。入社するタイミングで、旧姓に。」
「そうだったのか・・・ゴメン。」
小沢は、余計なことを言ったというように口を押える。
「いえ、隠してるわけでもないし。みんな旧姓しか知らないって思い込んでました。」
祐実は、手のひらを小沢のほうに向けて、気にしていないと意思表示をした。実際もう2年も経つのだ。一人暮らしも慣れたし、元夫への未練もない。
「・・・俺も、バツイチなんだ。」
「えっ・・・」
今度は、祐実が驚いた。
「3年前に、離婚してる。安藤さんが入社してくる少し前・・・かな。」
「そうだったんですね・・・。」
確かに、家庭の匂いは感じなかったが、こんな素敵な人を周りが放っておくわけがないよね、と勝手に既婚者認定してしまっていた。
コーヒーショップの店員が閉店の片付けをしている空気を察して、コーヒーカップを片付け、店を出る。駅の改札へと歩きながら、小沢が尋ねる。
「・・・安藤さん、離婚してからは・・・」
続きの言葉を察して、祐実は返事する。
「彼氏も、いないです。だから、遅くなってもいろいろ言う人もいないので、大丈夫ですよ。」
「ずっと?」
「・・・ずっと。そういう小沢さんは、いないんですか。」
「いない。」
「ずっと?」
「ずっと。ちなみに、子どももいない。」
駅の改札を通って、ホームへ降りる階段に差し掛かる。今度は祐実が口を開く。
「でも、そろそろいいトシなんで、婚活しようか考えてるとこです。」
「・・・再婚、したいんだ?」
「んー・・・、まあ、はい。やっぱり、子ども欲しいので。まあ、できなきゃできないでいいんですけど・・・。ずっと一人なのも、寂しいかなって。・・・まずは、彼氏からですけどね。」
自嘲気味に祐実は笑顔を作る。小沢は立ち止まって少し考え込んだあと、言った。
「それ・・・、俺じゃ、ダメか?」
祐実は驚いて目を瞠り、振り返る。階段を降りながら、小沢は続ける。
「新しい出会いってなると、婚活サイトとか、マッチングアプリとか?・・・俺はやったことないんだけど・・・。それよりも先に、手近なところで一度手を打ってみないか?・・・上司ではなく、一人の男として見てほしい。」
突然の告白に、何も言えない祐実をじっと見つめる。
「もし、付き合ってみて、ダメだなってなれば、元の上司と部下。何か不利益があったと思ったら、その時点でハラスメント窓口に訴えてくれていいよ。ちゃんと責任はとる。まあ、もう直属の部下じゃないし、社内で顔を合わせる機会も減っていくと思うから、そんなに気まずい場面もないと思うけど」
祐実は、まだ何も言えない。あまりに急な展開に思考が停止している。小沢が畳みかける。
「安藤さん、俺の声がタイプだって言ってたけど。」
「いいましたけど・・・それ、蒸し返します?」
「俺も、安藤さんがタイプだ。」
祐実は慌てて目をそらす。その声で、そんなこというなんて・・・と鼓動が激しくなっていく。
「そーゆーフォローは結構です。」
「フォローじゃないよ。・・・真面目な話。」
「酔っぱらってますね。」
「少し酔わないと、理性が邪魔して言えないな。・・・今、清水の舞台から飛び降りるような気持ちだ。」
「・・・それ、使い方あってます?」
祐実は小沢を見上げる。小沢は祐実から視線を外さない。
「俺と、付き合って。」
「そういう冗談は・・・」
「本気だよ。」
小沢が一歩近づいて、祐実の手を取る。
「俺と、付き合って。」
祐実の手を顔の高さにまで上げ、指にそっと口づけた。小沢は少し微笑みながら、祐実から視線をそらさない。こんなドラマみたいなシチュエーション、心臓に悪い。
「あの、そういうの・・・」
「ダメか?」
その声で囁かれると、きゅんとしてしまう。
「私のこと、そんなに知らないですよね・・・」
やっとのことで反論する。
「そうか、俺のことも知ってもらう必要があるよな。・・・じゃあ、まずはそこからだ。」
本当に、いいんだろうか。酔いが冷めたら、やっぱり無かったことに、ってなるんじゃあないだろうか、と祐実は考える。
「えっと・・・。じゃあ、今度、素面の時に、同じことを言えたら、ってことで。」
「信用されてないな・・・。じゃあ、来週、酒抜きで食事に行こう。そのときに、もう一回口説くから。」
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