カミングアウト(1)

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カミングアウト(1)

「では、小沢さん、片桐さん、安藤さんの昇進をお祝いして、乾杯!」  4月のはじめ、システム2課のメンバーで、昇進祝いが開催されていた。 2課の課長から、システム部の部長補佐に昇進した小沢、2課の課長に昇進した片桐、そして、主任に昇進した祐実の3名が今回の昇進者だ。 3月の終わりに内示を受けた祐実は、2年前、入社したときに自分のなかでひそかに立てていた目標を達成できた、と喜びを感じていた。  2年前、祐実はどん底からの再出発を誓っていた。 別れた夫、祥吾と結婚したのは、27歳の時。祥吾の実家は、その地域の旧家だということで、結婚する前から跡継ぎの男子をと切望されていた。祥吾自身は次男であり、あまり跡継ぎだとか、旧家だとかいう意識はしていなかったものの、祥吾の兄はそんな実家に嫌気がさして距離を置いていた。  結婚して1年ほど経とうとしていたころに、祐実の妊娠が発覚する。祥吾は喜び勇んで実家に報告するが、ほどなくして祐実は流産してしまった。祥吾の実家の義母は、いつまでも仕事をしているからだ、祐実の体になにか問題があるのではないか、と祐実を責め立てた。  なんとかうまくやり過ごそうと我慢していた祐実も、やがて耐えきれなくなって、祥吾と話し合った。祥吾のことは、変わらず好きだった。体が回復したころから妊活に取り組んでいたが、1年間結果は出なかった。どうしても跡継ぎを、というのであれば、その実家から守ってもらえないのであれば、離婚してほしい。  欲しいのは、祐実との間の子どもだ。まだ若いし、妊活として始めてから1年しか経っていない、と祥吾は拒んだ。しかし、幼少のころから、実母の期待に応えようとふるまってきた祥吾は、実母には強く言うこともできず、祐実との間で板挟みになってつらい状況になってしまった。祥吾を苦しめたくなかった祐実は、結局別れを選択した。  離婚を機に、祐実は転職することにした。祥吾とは同じ会社、同じ課に所属していて、自分が旧姓に戻って周りから腫物扱いされるのはたくさんだったし、離婚したのに毎日祥吾と顔を合わせるのも、嫌だった。これをきっかけに、新しくキャリアアップするのだ、と前向きに考えて、転職活動をした。  そこで出会ったのが、今の会社だった。これまでの祐実の経歴を評価してくれたし、提示された給与も、転職前の会社と変わらず、むしろ少し上積みした金額を提示してくれた。  採用通知をもらって、祐実は通勤に便利な沿線のマンションへ引っ越し、離婚も成立。旧姓にもどして今の会社に勤めだし、今年で3年目になる。そのときに、入社して3年~5年以内には、昇格する、という目標を立てていた。  二次面接のときに、小沢が面接官の一人だった。小沢の部署での増員を目的としていた募集だったようだ。 「中島 祐実さん」 「はい」 「今日は、ご足労いただきありがとうございます。最寄り駅は・・・ここだと、来るのに時間がかかったのではないですか。」 耳を疑った。低めで、ゆったりと落ち着いた心地よい声。 「はい、一時間半、かかっています。でも、引っ越しの予定がありまして、こちらで採用となった場合には、通勤に便利なところを候補にしようと考えています。」 「なるほど。履歴書を拝見しました。まず、退職理由と、当社の志望動機をお聞かせいただけますか。」 「はい・・・」 聞きほれてしまうようないい声。やっぱり、似ている。  妊活や、義実家との関係について祥吾と話し合っている最中、気分転換に、なにかいつもとは違うことをしようと思った。精神的につらい日々のなか、現実逃避したい、と思ったのだ。  ちょうどスマホを買い替えたところで、動画配信サービスのキャンペーンを 見つけ、試してみることにした。そこで見つけた外国のドラマ、「避暑地の恋人」。タイトルを見たことがあるな・・・と何の気なく見始めたところ、ハマった。  婚約者に裏切られた主人公が、傷心旅行先のリゾートで一夜の恋をするが、その相手が職場に上司として現れて、本物の恋に発展していく・・・というストーリーだ。その上司はやり手で職場では厳しいが、二人になると甘くやさしく主人公を口説いてきて・・・、こんなことがあったら、とついうっとり見入ってしまっていた。  その相手役の吹き替えの声に、とても似ているのだ。・・・ルックスも、好みの方かもしれない。    自分に語り掛けられていることについうっとりとしてしまいそうになるが、面接中だ、と我に返って気を引き締め直す。ほかの面接官からも、業務経験や、もし採用となった場合の目標についての質問が飛ぶ。  面接官それぞれに視線を移しながら、質問に答えていく。なかでも、小沢と目が合ったときには強く視線を感じるような気がした。どこかで会ったことがあるのだろうか?それとも、なにかまずい回答をしただろうか・・・と考えたが、なるようになれ、と思いながら面接を終えた。
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