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質問に答え終わった樫野は少女に言う。
「もう満足しただろう。僕は今から復讐を始める。帰ってくれ」
「残念ですが帰るわけにはいきません。むしろ私はそのために来たんです」
「は?」
少女はニタリと笑う。
「私は『死神』という職業をしているんですよ。樫野環さん」
「死神……?」
いきなりこいつは何を言い出すんだと思った。
だが、彼女の言ってることが本当だとすれば、自分の部屋に入れたことが納得できる。
しかし死神と聞いて納得出来ないこともある。
「死神なら来る時間が早すぎたんじゃないか? 僕はまだ死んでないぞ」
「はい。死んでないから来たんです……あなたを死なせないために」
死なせないだって?
どうして死神が人が死ぬのを阻止しに来るんだ。
樫野の中に疑問の嵐が吹き荒れる。
「樫野先生。あなたは世界中で評価される漫画を描きました。いまや子供からお年寄りまであなたの名前を知らない人はいないでしょう」
「……だからなんだ」
「ご自分の描いた作品が民衆にどれだけの影響を与えるかご存知ですか? 例えば先生の考えた一番人気のキャラクターが『俺、ショートヘアが好きなんだよね』といった場面がありましたね。あれでどれだけの女子が髪を切りにいったと思いますか。あれでどこの美容院も満席になる異常現象が起きたんです」
「……くだらない」
「そう、くだらないんです! でもこれって危ないんですよ。先生の作品で世の動きが変わってしまうんです。考えてもみてください。これで先生が死んでしまったら作品は、キャラクターはどうなるんですか?」
「……」
そんなこと考えたことがなかった。
自分はいつでも復讐のことばかりで、奴らがいかに苦しむことだけを考えてきた。
そうだ。思い出した。
妹の誕生日だったあの日も国民的スターの後を追って亡くなる人が後を経たなかった。
あの人が亡くなったのは事故か自殺かは覚えていないが、あの一件で多くの死者が出てしまった。
もし自分がこの瞬間死を選んだら、どれだけの人が死んでしまう?
呆然と立ち尽くす樫野に死神は言う。
「樫野先生、あなたは価値のある人間になりすぎたんです。あなたが死ねば多くの救われない魂でこの世が飽和してしまいます。あなたのやることは復讐なんて生易しいものにはならないのです」
「じゃあ、僕はなんのために……」
今までの生きる糧だった復讐も実行できない。
「もう、自分には何もないじゃないか……」
「ありますよ」
死神は強い声音で言った。
「復讐をするには先生は多くのものを与えすぎたんです。そう、与えること。先生には人々に感動や喜び、悲しみなどを作品を通して伝えることができる」
死神は樫野の手を握り笑う。
その温度のない手は少女のように小さく幼かった。
「先生は復讐のためと云えど、多くの人に希望を与えてきました。それは紛れもない事実。先生のおかげで明日の朝陽を浴びられる人たちがいるんです。あなたはこれから作品で人々を幸せにしてください」
「そんな、今さら復讐に生きてきた僕が人に希望を与える作品なんて考えられないよ」
うつむく樫野に「むぅ」と少女は唇をとがらせる。
「まぁ、どうしてもっていうなら作品の中に自分の過去を描いちゃうのもありですよ。辛気臭い話は人気出ないですけどね。いくら先生でも打ち切りになっちゃうかも」
「それは……嫌だな」
「でしょう? それに私は先生の【Z】のファンなので連載を続けてくれないと困ります」
「ファンというのはキャラ作りではなかったのか」
「ガチのファンですよ。あの世でも大人気ですからね。先生の作品は」
「そうなのか」
「だからあの世に来ても先生には漫画を描いてもらいますよ。まだ来させませんけど」
それは参った。
しかし、あの世にも作品が届いているのなら、もしかしたら妹の手にも届いていたりするのだろうか。
「……ならもう少し頑張ってみないとな」
俺が言うと死神の少女は安心したように微笑んだ。
いつの間にか窓からは淡い光が入ってきていた。夜明けだ。
「あなたは復讐なんかよりも素敵なものに囲まれて死ぬ方があってますよ」
そう言い残すと死神は朝陽に溶けるようにして姿を消していった。
姿を消す寸前、何かを言っていた気がするが、一体なんと言ったのだろう。
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