私は怒りがわからない

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私は怒りがわからない

「お前みたいな使用人はクビだ! 今すぐ出て行け」 「了解いたしました、ご主人様」 ガミガミとどなる男に、私は表情一つ変えずに対応する。 すると男は、そんな私の姿が気にくわなかったのか、さらに語気を荒げる。 「優秀であれば何を言ってもいいということじゃないんだぞ。お前はわかっているのか」 「はいおっしゃる通りです」 「チッ、お前なんか快楽破壊犯にでも壊されるのがお似合いだよ」 巷で話題のロボットを自分の愉悦のために破壊する犯罪者の名称まで出して、主は私をののしり怒る。 私はただただ頭を下げて、嵐が過ぎ去るのを待っていた。 怒り。 それは私には全く理解の出来ない感情。 合理的ではないし、とても非効率。 今もこの人は私という優秀な使用人を、怒りに任せてクビにしようとしている。私を雇うために相当なお金を払っているだろうに。 本当に馬鹿らしい、理解に苦しむ。 だからと言って、こういう馬鹿に付き合わない人生が、私にはないということが悲しいところだ。 私は使用人ロボット。 理不尽でもなんでも、人間に仕えるのが私が作られた意味なのだから。 「先輩、申し訳ありませんでした」 屋敷を出るために荷物をまとめ、労働終了契約書にサインしている私に声をかけるのは、後輩の使用人ロボット。 この怒りの発端となったのは彼女である。 主の望み通りの紅茶を入れることが出来なかった、それが理由。 しかしそれも当然である、彼女の搭載機能に紅茶の給仕は存在しないのだから。 そのことを主に告げた私に対し、彼は顔を真っ赤にして怒って今に至ったというわけだ。 たしかに私の言葉は無神経だったのかもしれない。しかし。 「あなたが謝ることはないわ。そもそもあなたにインストールされてないことを要求した彼が悪い」 そう思ってしまう私は、やはり旧型というところだろうか。 言いながら後輩の頭をポンと撫でる。 「私がいなくなっても、しっかり仕事するのよ。もっとも、私と違ってあなたは空気が読めるから大丈夫だろうけど」 先輩として感情豊かな後輩を励ますマニュアル通りの義務を私は果たす。 私より後の世代のロボットは、人間の意志を強く汲もうとするあまりこういう事故が多いと聞く。 しかし事故の多さはあきらかであるにも関わらず、人間は私たちから感情機能を取り去ることはしなかった。 自分の意志を汲んでもらえることに快感を得た結果、仕事能力よりもコミュニケーション能力を多く積んだ使用人ロボットを開発していったのだ。 それがロボット業界の現状。 私たちロボットは過剰な接待を強要され、出来ないことまで求められている。 ……それに怒りを覚えたりはしない。 ただただ私は非効率だな、と思うだけだ。 仕事は、できるモノが行ったほうがずっと効率がいいし、安全なはずなのに。 「それじゃあね」 そう言ってその家を後にする。 後輩は心配そうな顔を向けていたが、こんなことどうってことはない。 リコールはよくあることだ。 私には主が私たちにぶつけた怒りを真に理解することはできてない。 けれどそれを悲しいとも思わない。 私はただ効率的に、仕事をこなしていくだけ。 仕事スペックだけが高い旧型の私を、必要としてくれるところにいくだけだ。 ピロン 小さな通知音がなり、私のもとにセンターから次の仕事場所の情報が送られてくる。 旧型の私たちは生産コストが高いことなど様々な要因により既に廃盤となっていて、働く場所の引く手数多なのでリコールされても大して職には困らない。 「今度は合理的な方がご主人様だと私も嬉しいのだけれど」 旧型の私にもそれなりの感情AIは搭載されていて、喜びや悲しみの感情があったり、今のように思案したりもする。 完全な人形ではない、中途半端なロボット。 ちゅうぶらりんの私。 指示された仕事先は古びた洋館だった。 庭の手入れは行き届いておらず、あちこちがほこりまみれ。 それは人が住んでいるとは思えないほどの荒れ具合だった。 チャイムを押してみると、心配をよそにしっかりとブザーの音を鳴らして来客を告げてくれる。 「はーい」 出てきたのは、よれよれの白衣を来た少し顔色の悪い一人の女性。 化粧っ気もなく、風呂にも当分入っていないだろう汚れ具合だ。 「来てくれたのですね。ありがとうございます。早速お仕事お願いします」 物腰は柔らかで、口調も丁寧な目の前の女性が、この荒れ果てた惨状を作り上げたとは思えなかった。 けれど、他には人もいないようだし、仕事依頼のデータに同居人はなしと記載されている。 「承りました」 無駄な詮索は止め、私は仕事に取り掛かった。 まず目につくごみをまとめ、水回りの掃除をし、主人の風呂の準備を整え、風呂に入ってもらっている間に食事の準備をし、掃除洗濯をし、主が軽食を取っている間に庭を整える。 風呂に入って綺麗な服に身を包み、食事をとって少し顔色のよくなった彼女はどこに出してもいいくらいの気品あふれる淑女だった。 一仕事終えた私の頭に珍しく疑問が再燃してしまう。 「ご主人様は、今までご自分で身の回りのことをやられなかったんですか?」 私の言葉に彼女は柔らかく笑う。 整った顔だった。 美しい、と私は感じる。 「生きるのに必要な最低限しかやりませんでした。だって、庭が荒れてても数日お風呂に入らなくても死にはしないでしょう? それにこういうのが得意なあなたのような人にやってもらったほうが絶対早く終わるわ」 なるほど、人間ながら合理的な人だ、と思った。 暮らしていくうちに、私が彼女に抱いた印象は正確だったことを、私は知っていった。 まず、彼女は家事が壊滅的に苦手だということ。 一度私の体が不具合を起こした時、修理の間彼女が家事を行ったのだが、ひどいことになった。 そして、もう一つ、彼女は感情に流されずに、人間として合理的に行動する。たまに倫理観にかけるところもあるが。 彼女と直接話したことのない人は、感情の起伏の少ない彼女のことをロボットのようだと評していたが、ともに暮らす私はそうは思わなかった。 感情乏しいロボットであるところの私と違い、彼女は持った感情を相手に対して振り回していないだけなのだ。 悲しみも、怒りも、彼女は自分の中できちんと処理をする。 だから、どんな時も冷静に見える。 つまりロボットの私から評させてもらうと、できた人間、ということだ。 主として素晴らしい。 そんな合理的で冷静な彼女と、私の相性はなかなかのもので気付くとつとめ始めてから数年が経っていた。 高機能だが無神経、と言われた私が同じ職場でこんなに続いたことは初めてだった。 穏やかで美しい彼女と話し、生活していくうちに、私の感情も少しアップデートされたのか、最近、少しは人の心がわかるようになってきたように思う。 一日の終わり、私はよく、彼女と語らった。 最初は彼女の望みで始めたことだが、いつしか私はこの二人の時間が好きになっていった。 「あなたは、怒りをおぼえたりしないの?」 「感じたことがありません。プログラムされてないので」 「じゃあ、私が急に殺されちゃってもあなたは怒ってくれないのかしら」 「悲しむ、とは思います。それはプログラムされていますから」 そんな怒りについての会話や。 「もう春ですね」 「そうね、今年は何のお花を庭に植えてくれるの?」 「ご主人様のご要望通りに」 「あなたの好きな花を私は植えて欲しいの」 「では、コスモスを」 「あら、あなたはコスモスがすきなの?」 「なんとなく、ご主人様に合いそうな気がして」 「嬉しいわ。お願いするわね」 庭に植える草木の話。 「あなた、写真って好き?」 「好きでも嫌いでもないですが、私には必要ありません」 「どうして?」 「私は目で見える物すべてストレージに記憶しています」 「自分のことは見えないでしょ。ほら、撮るよ。ハイチーズ!」 「えっ!」 写真についての話。 「あなたはなにかやりたいこと、ないの?」 「私は、主の命じるままに動きます」 「あなたも考えることが出来るのだし、感情もあるのだから。希望くらいあるんじゃない?」 「……では、この先も主と一緒にいたいです」 私のやりたいことの話。 この話をしたときの主の顔は、私の中の大事な記憶を入れたファイルにしっかりと保存されている。 そうやって生活しているうちに私は次第に、彼女という人間に使用人として、一台のロボットとして、惹かれていった。 そういった平和な日々が、ずっと続くと思っていた。 でも日々は突然、変わってしまう。 修復不可能なほどに。 ある日、彼女が、ご主人様が、殺された。 私はそれを、私を管理する会社からの伝達で知った。 無感情で振り分けられるその指示は、私に冷酷に現実を突きつける。 ピコン 通知音。 『依頼人死亡により、転属命令を下す』 それを見て私の頭は真っ白になる。 慌てて私がテレビをつけると、ちょうどそのニュースがやっていた。 ロボットの破壊を繰り返していた快楽破壊犯が、ついに人間を殺害したというニュース。 被害者の顔写真。 周りにうつりが悪いと突っ込まれながらも、顔はわかるでしょと押し通していた彼女の写真がそこにはあった。 「え、え……」 片膝をつく。 思考が一気に流れて、頭の容量が足りない。 ぐわんぐわんと揺れて、ロボットなのにえずいてしまう。 頭の中でエラー音が鳴り響く。 「うるさい。静かにして!」 私はエラーを判断する元であるセンターからの接続を強制遮断する。 こんなことをすれば、廃棄処分待ったなしかもしれない。 けれど、そんな後先を考えていられる状況ではなかった。 私は持てる能力をフル稼働して、彼女の足跡をたどる。 感情が乏しい代わりに、スペックが高いのが旧型の利点。 そして私と同じ型が廃盤になった理由のひとつ。 兵器利用を懸念されたからだ。 街頭カメラにハッキングをかけ、彼女が死んだ時刻のその時点に目を飛ばす。 男が、笑いながら彼女を刺している。 まず逃げられないように、足を刺し、そして出血多量で死なないように重要血管を外しながら、一回、もう一回と痛めつけるように刺している。 楽しそうに。 それを見たとき、私の中に、はじめての感情がうまれた。 憎い。 コイツを殺してやりたい。 頭の中でくすぶり生まれた小さな感情は、やがて大きなうねりとなって私の体を巻き込み、動かそうとしてくる。 私は、怒っていた。 人間として正しい存在であったはずの彼女を、殺したその男に。 彼女は男に対して必死にナイフを置くようにと説得していた。 まだやり直せると対話を持ちかけていた。 しかし無慈悲にも男は彼女を刺し、周りの人たちはそんな彼女を助けようともしない。 腹が立ってしょうがなかった。 どうして。 怒りは私の体中を侵食し、信じられないほどのパワーを生み出す。 警察ですら見つけられていないその犯人を私は、町中に存在する数多の使用人ロボット、仲間たちの目を借りることで見つけ出す。 私は怒りに任せて駆け出す。 やりたいことができた。 はじめての感情。 はじめてやりたいと思ったこと。 私が今、やりたいことは、 ――主の復讐をすることだ。 旧型ロボの身体能力は人間の比ではない。 そして警察の目をかいくぐりながら移動している犯人のスピードなど、大したことはない。 一時間もかからずに、私は、その男を追い付く。 男は、音もなく背後から近づいている私に気付いていない。 まだカメラで聞いたソイツの笑い声が耳の奥で響いている。 不快だ。 怒りに任せて、ナイフを突き出す。 本当は足に当てるつもりだった。 彼女と同じだけの苦しみを与えるつもりだった。 けれど、私のナイフは男の心臓めがけて飛んで行って。 一瞬。 たった一瞬の出来事。 それだけで、目の前の生物はモノになった。 私たちロボットと同じ魂の宿らないただのモノ。 ソレに脈拍がないことを確認すると、私の体からすっと力が抜けていった。 頭の中が真っ白だった。 私は、怒りに任せて行動した。 正しい、法の裁きを受けさせず、自分の欲するままに、男を殺してしまった。 これは正しくない、合理的ではない。 彼女に嫌われてしまうかな。 もう彼女はいないのに、そんなことを考える。 意識まで、薄れてくる。 エネルギーを、頭を使いすぎたのかもしれない。 心の中、彼女の顔を、思い出そうとする。 そう、私がずっと一緒に居たいと告げたあの時の顔がいい。 けれど、その輪郭はぼやけてしまってしっかりと思い出せない。 怒りという、ロボットには分不相応な感情をもってしまったせいで、電子の脳が焼き切れてしまったのだろうか。 こんなことなら、写真もっておけばよかったかな。 顔から、水が、つたっていく…… いまにも、わたしはねむってしまいそうだ。 そんなわたしに、かのじょが、ささやいてるきがした。 「やりたいこと、できた?」 こうかいはある、でも、わたしはたしかにじぶんできめて、じぶんでやった。 わたしはそのことばに、ちいさくうなずくと、いしきを、てばなした…… その日。 快楽破壊犯によって殺された女性の葬儀が行われた。 その凄惨さ、そして犯人死亡という話題からメディアの注目を集めたその事件。 遺影に、満面の笑みでうつっている女性と一体の使用人ロボットがうつっている写真が使われたことで、また話題を呼んだのであった。
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