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ゆいいつのもの
好きだった。だけど、その好きがあやふやになったことがある。
好奇心で行った何気ないその先に私を待っていたのは、吐き気を催す程の緑色をしたドロドロとしたものをひたすらに吐き出さずに飲み込む地獄のような毎日だった。
目をそむけたくなるようなものでも、どうすることも出来ずに。
好きなものが好きではなくなるかもしれないのに、懲りずに私は今もそれを続けている。
「また、……下がってる」
息をつく。
キーボードを打ち込んでいた手が、ピタリと止まってはうなだれる。パソコンの隣に置いてあった、水の入ったマグカップを手にとっては口を付けて喉を動かす。
昔から、順位というものに酷くこだわりがあってそれがとても嫌いだった。生きている限りで、それはついて回ってくるのは仕様がないことなど頭では理解をしているけれども。理性と感情というものは、いつでも一致しているわけじゃないと分かっている。
「……この人の書き方も、内容も好きだけど」
私の出した小説よりも、後に出しており話数も文字数もまだまだ少ない。でも、その作品は私よりずっと遠い順位に存在している。
好きな描き方をする作家だったから、新作が出る度にわくわくとした気持ちで見に行った。またまた見つけた作品が、凄く面白くて綺麗な書き方をしているものだから、過去の話も全て読んだ。
凄いな、この人凄い。こんな凄い書き方と世界が描ける人が居るんだなと、純粋に輝いて尊敬した。
ゆっくりと目を閉じて、ブラウザを閉じては息をつく。このままでは、ダメなことを頭では理解が出来ている。いつだって、頭では一歩先のことと現状を事細かに分析して理解している。なのに、それを否定するようにして感情が悪あがきをしようとする。その酷くアンバランスなそれが、ドロドロに大きな感情を閉じ込めている鍋で掻き回されて緑色の恐ろしい何かへと姿を変えていく。
「欲しい。……その表現力も、綺麗な文章を書くだけの才能も。それらを描くことが出来る時間もお金も全てが、欲しい」
何度目か分からない深い溜息をつく。
このままではいけないことなんて、自分が一番理解している。そろそろ真面目に現実を見て、こんなお遊び紛いなことを辞めた方がいいことなんてとうの昔から理解が出来ている。
書いて何になったかなんて、もう覚えていないしどうにもなっていないのが現状だ。
結局のところ、そこから導き出される結末は一つだけ。私には、そんな才能がない。
まぁ、知っていたのだけど。
「あーあ、明日からは仕事だし、久々のシフトじゃない五連勤だし。五連勤が出来ている人、すごすぎん。マジで尊敬できるわ、あーあ、凄い」
何もかもが遠くて凄くて、反吐が出る。
ぐたり、と机に額をくっつけてはため息が出てしまうのはもう仕方がないだろう。
嫌いなものは、退屈につまらないこと。そして、好きが嫌いになること。これは、本当に嫌だってことを分かっている。
何度も好きが、嫌いになったから。
「じゃーん、アップルパイ!どう、上手く焼けたんじゃない?」
「まるで元々分かり切っていたように、大学卒業して東京に就職をして私のマンションで転がり込んで半ば強制的に同居状態の綾瀬くん。凄く腹立たしいけど、良い匂い。シナモンはちゃんと使ってるんでしょうね」
「いや、思いっきりシナモンの香してるって。てか、それを見越して結局かなり大きい部屋を借りた柚葵ちゃんもどうかと思うけどなぁ」
「うっさい。ココア」
「はいはい、どーぞ。ちょっと休憩して、ティータイムにしようぜ。いやぁ、我ながらに上手くできたんだよな。結構、才能あるかも」
楽しそうに笑っては、アップルパイを切り分けてココアの準備をしている同居人であり、恋人でもある綾瀬くんの姿を見ながら息をつく。まぁ、なんとも能天気なことだなと。
否、そうではないことはちゃんと理解しているし知っている。おそらく、アップルパイを焼いていたのは偶然だろうけど、このタイミングで持ってきて休憩を切り出したのは私の現状を見て声を掛けたに違いない。なんせ、彼は恐ろしいほどに周囲が見えているのだから。
少しだけ八つ当たりをするようにして、荒々しくパソコンを閉じてから椅子を蹴ってどける。
既に用意をされているアップルパイたちを視界に入れては、椅子を引いて座ってココアを飲む。
「めっちゃ、荒れてんね。どったのか、俺が聞いても大丈夫?」
「落ちました」
「いっそうのこと、落ちるとこまで落ちて見たら?あとは上がるだけ……あはは、ジョーダンだってば。順位が全てって訳でもないと思うけど、そういうのは俺はからっきりしだからなぁ」
紅茶を持ってきては、机の上に置いて頬杖を付きながら笑っている綾瀬くん。
まぁ、それは分かっているけれども。順位が全てというわけではないことを、勿論分かってはいる。だけど、順位や評価というものがないとみてくれないというのもまた事実なのだ。誰もが私のように、ふらりと立ち寄って良いものを見つけるなんてことをするわけでもない。
いいものであろうが、そうでなかろうが。周囲と合わせることが出来なければ大抵は弾かれる。それが世界の……いや、そうでもないか。
「頑張れ、とは言う心算はないんだけど。言ってほしい?」
「本心でそれを言っていれば、すぐさまパイ投げの体勢に入ってるよ」
「だと思った。これ、パイ投げ用じゃないからちゃんと味わって食べてよね?何か、だいぶ前にも言ったような気がするけど。どれだけ周囲の人が、柚葵ちゃんの作品を見なくても俺はちゃんとわかっている、……つもりだけど。やっぱり言葉で聞いた方が確実かなぁ」
出来立ての暖かいアップルパイを食べながら、話を右から左へと流しながらぼんやりと聞く。
「前々から思っていたけど、意外に柚葵ちゃんて真面目だよね。求められている以上のことをやろうとするし。社会人としては、良いのかも。まぁ、柚葵ちゃんの管理をする立場的にも求められるものだろうけどさ」
「私、リーダに向いていないんですよね。確かに、頼まれれば何でも基本的に出来ちゃいますけど。月報の作成だって、それなりのクオリティで二日で終わらせることが出来ますけど」
「こうやって、結構自意識過剰に言ってるくせに自己肯定力が低いの最高に笑えるんだけどね」
「何一つとして笑い事じゃないけど」
先ほどとは重さの違うため息をついてから、アップルパイを頬張る。やっぱり、出来立ての仄かに暖かいのが一番美味しい。出来立てが美味しいのは、何もアップルパイだけに限った話でもないのかもしれないけど。
「何もしていない様に見えて、常日頃からそのときの行動が楽になる様に土台を作っていることは知っているよ」
「そりゃ、どうも」
可愛げのない返事だな、だなんて毎回思っているが治すつもりなんて到底ない。何で、家にまで居て誰かに気を使わなければいけないのか。そもそも勝手に上がり込んできているのは綾瀬くんの方だ。
嫌になれば、相手から勝手に出て行けば良いだけの話。まぁ、少しだけ寂しくは思うかもしれないけれども。
「俺は、柚葵ちゃんの書く話好きだけどなぁ」
「そりゃ、どーも」
「あ、照れてる」
ココアの入ったグラスに差さっているストローを口に咥えては、そっぽを向く。
面と向かってそう言われるのは苦手だ。確かに、嬉しいことには変わらない。幼馴染である、お和花ちゃんにもよく送っては面白いだの、此処が良いだの感想や指摘を貰うことも少なくはない。
綾瀬くんだって、よく褒めてくれる。
だけど、それだけじゃあ。
「大丈夫だよ」
「え?」
「柚葵ちゃんは、自分が思っているよりも。きっと色んな人を感動させたり、何か思わせていると思うよ。知らないから何とも言えないけど、ネット小説とかって結局のところその作品の出来の良さもあるかもしれない、流行りが大事かもしれない。でもさ、見ている限りだと人とのつながりの方が大事なこと多いじゃん」
「私は仲良しごっこがしたくて書いてるわけじゃ……」
「知ってるよ。だから、此のままでも良いんじゃないかなって話。柚葵ちゃんが、良いなって思う人がいるのと同時にさ。柚葵ちゃんのことを良いなって思ってくれる人も少なからずは居ると思うから」
真っ直ぐと私を見て告げるその言葉に、嘘偽りのないことを嫌になるほどに私は知っている。だからこそ、返す言葉を言えなくなる。
本当は、最初から何もないことくらい分かっていた。色んな本を読んで、良いなって思ったところは自分なりに落とし込んで使ったりもした。それでもやっぱり、駄目なものしか出来ないことも分かっている。
私には、根本的に才能がない。
「頭を悩ませながらも、文章を考えたりとか。真面目にストーリーの骨組みを考えているのも知ってるよ。出来たときの嬉しそうに子供みたいに笑っている姿もね」
「最後の言葉、要ります?」
「要ります。それに、凄いねっていう言葉を貰えたらちゃんとお礼を言える子だからね、柚葵ちゃんは」
「お前は私の母親か」
お礼をいうのは、社会人云々よりも人として当たり前のことだろうと思いつつも突っ込みを入れる。何かしてもらった時は、お礼を言うのは最低限のマナーだ。何か、メッセージがあればちゃんと返す。それだけは私の中で決めている絶対的なルール。
それは昔からやってきていた、出会い系のものでもだ。お断りでも無視をすることなく断りのメッセージを入れる。それでもしつこい場合は、静かにブロックして消すだけの話。
「別に感想なんて、改まらなくてもいいのに。すこすこのすことかでも私は嬉しいのに」
「よく聞くネット界隈の言葉だ!」
「綾瀬くん、こっちの沼には来ないで下さいね。私、流石に綾瀬くんと性癖について語り合いたくないです」
「柚葵ちゃん、何か通知来てるよ。ほら、早く見た方がいいんじゃない?」
性癖について語り合うのはお和花ちゃんか、同じ穴のむじな……というには失礼かもしれないがその同期だけで充分なのだ。
綾瀬くんに言われて、スマホが光っていることに気付く。基本的に私はスマホはサイレントモードだ。電話のみで使用している携帯電話に関しては、ちゃんとマナーではなくて音が鳴る様にしている。
その代わりにスマホ側に来た電話は一切取ることはしない。
「……あ」
「どーしたん?」
「……いえ、何でもないです」
スマホを立ち上がて通知を確認すると、それは私が投稿した小説に感想が付いたことをお知らせするものだった。通知一人で、こんなにも気分が上下するだなんてどうかしている。
だけど、どんな感想だとしても。
『いつも、更新の際には読ませて頂いています!読んでいて、わくわくしてページを進める指が止まらなくて一気に読んでしまいます。更新は大変かもしれないでしょうが、続きを楽しみしています。いつも、わくわくをありがとう御座います!』
ゆっくりとその文字が描かれている画面をなぞっては口角が上がったのが分かる。
何度も言うが、私には才能なんてものはない。小説を書いていても、私よりも凄い人がいて尊敬をするのと同時にどうしてこの人はこんなにも上位を取ることが出来るのだろうって妬ましくなる。上位の作品を読むたびに、何でこれが上位に入っているんだろうと思うことだって未だに多くある。その度に私の瞳は、緑色へと変えている。そして、そんなことを思う自分が嫌になって画面を閉じて筆を折る。物理的に。
翡翠のように綺麗に見えるそれは、実のところはドロドロしていて気味が悪くて汚らわしい。
小説の投稿を始めた時に、私はこんなドロドロとしたものが待っているだなんてきっと知らなかった。違う、理解が出来なかった。
「当ててあげようか?」
「どうぞ」
「感想が来た!」
「問題にするまでもないですね、これは。……毎回ですが、一番こうやって言われるのが凄く嬉しいですね。何処の部分が良いとか、そんなことよりも。ただただこういってくれてありがとうって言われるのが。これを送ってくれた人は、多分何気なく思ったことを書いて下さっただけなのでしょうが。それでも、これは」
わくわく、というものはとっくに消えてしまっていたような気がする。
ドロドロとしたものだけが、嫌になるほどに積み重なって行って今に至っているとばかりにも思いこんでいたのかもしれない。
「どれだけ陳腐な言葉だったとして、何年たっても嬉しいですし。こういう何気ない言葉に、生かされているんだなって思えます」
きっと、この道を自身で選んでいる私に待っているものは綺麗なものだけではないのだろう。
人よりも、ドロドロとしたものを持ちやすい私のことだ。こうやって、才能という差を見せつけられては筆を折って好きな作家を妬んで順位が全てじゃないだなんて莫迦みたいな言い訳をして。
でも、それでも。
きっと、ごくわずかな人でも。見てくれて、こうやって言葉を伝えてくれる人だっているのも確かなのだから。
「……柚葵ちゃんの世界が、色んな人に届いたらいいね」
「そうですね。……ところで、ココアが無くなったのでおかわりを所望します」
「はいはい。アイスで良いよな?」
「当たり前です。私はパソコンを持ってくるので、それまでには用意をしていてくださいね」
言葉は何も、欲しいものだけではなくて聞きたくない現実もついてくるときがあるけれども。
結局のところ、彼らのその言葉に生かされているようなものなのだから。だから、私を待ってくれている人に少しのお礼を、そして感謝を。
「……なんてね」
先ほどまで存在していた翡翠は、いつの間にか砕かれていた。
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