正義を語る者達へ告ぐ

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「私の子供達は救われ、悪い悪いオオカミはいなくなり、森に平和が訪れた。みんな喜んだわ。私も満足だったのよ。それなのに、森の外にベリーを取りに行ったところで私自身が別のオオカミに喰われて殺されるなんてツイてないわ。……しかも、死んだらこんな場所に連れて来られて、地獄に堕ちろと言われるなんて」 「地獄行きの理由はなんて言われたの?」 「私?オオカミを拷問して殺した上、その死をみんなで喜んだから、ですって!は?ってかんじでしょ、私は自分の子供達を守っただけ。悪いオオカミを退治しただけよ、それの何がいけなかったの!?」  彼女は目を唾と飛ばして怒っている。しかし、桃太郎には神様の言い分も分かるような気がしていた。第三者だからこそ、冷静にものを判断できるとでも言えばいいだろうか。  確かに、彼女には子どもを守る権利と義務があっただろう。狼の腹を裂いて、子どもたちを救出したことを咎められる謂れはないに違いない。実際、神様も“オオカミを死に追いやったこと”を大きく責めている様子ではない。問題は、その後だったのだろう。  肉食の動物が、草食動物を食べなければ生きていけないのは当然だ。なぜなら彼等の体は、草を食べて生きていけるようにはできていないのだから。人間のように、腹が立つからと隣人を殺したり、金品を盗んで贅沢をしようだなんて考えていたわけでもない。生きるために、うやむなく小山羊たちを狙ったのだろう。例えそれが、母山羊と他の動物達にとってどれほど理不尽なことであったとしても、だ。  お互いの身を守る為、生きるために殺し合うのは必定である。桃太郎だってそのつもりで鬼を殺し、人々を救ったのだから。しかし、ならば無用な苦しみを与えることまで認められて然るべきなのだろうか。医者でもない人間に腹を派手に裂かれて縫われて、オオカミが長生きできたとは考えにくい。ましてや石まで詰められてしまったら、そのままものを食べることができなくなって死ぬ未来は目に見えている。きっと相当苦しい思いをしたことだろう。そんな結果が見えているなら何故、彼女はいっそ一思いにオオカミを殺してやらなかったのか。腹を切り裂く隙があるなら、喉や心臓を突くなど容易であったはずだというのに。  実質拷問で無用な苦しみを与えた上、その存在を悪ということにして自分を正当化し、みんなで喜びあってしまった。――ひょっとしたら、彼女を殺した別のオオカミは、死んだオオカミの家族であったのかもしれない。その家族が、復讐に来たのかもしれない。  ならば彼女の死は。彼女が受けた罰は、実に正当なものということになるのではないか。 「オオカミは、悪だったの?だから、拷問されて殺されても仕方なかったの?」  思わず口にした僕に、彼女は眉を吊り上げて言ったのだった。 「私は自分の子どもと森の仲間を守ったのよ。それが正義でなくてなんだというの?罪だ悪だと詰られる謂れはどこにもないわ」
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