怒らない町

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「……そういうわけで、今じゃ皆穏やかな顔をして、怒るような人がいなくなったんですね」  こう言う旅人に、農民は黙ってうなずいた。  いつの間にか夜も更けて、外からは涼やかな虫の音が聞こえてきた。  小さな電灯がかろうじて照らすその家の中には、いつの間にか夜の静寂が忍び込んでいる。  気づくと、旅人は傍らに人の気配を感じた。この家の娘だった。  彼女はその両手で、そっと旅人の腕をつかんだ。ふいに、彼の胸は高鳴った。  この展開は一体なにか、もしかしたらこのまま、この娘をもらってくれみたいな話になるんじゃないだろうか。  日本はまだ比較的経済的に豊かだし、一部のアジアの国々の人は日本に行きたがっているとか言う話も聞くし……  すると突然、そうやって鼻の下を伸ばしかけた旅人の腕をつかむ娘の力が異様に増した。  それはもう明らかに、恥じらいがちな愛情表現なんて力の入れようとは完全に別物。  旅人が何かを尋ねるように、あるいは救いを求めるように農民のほうに顔を上げると、農民はゆっくりと口を開いた。 「あなた……怒ってますよね?」  旅人は絶句した。  確かに、怒ってる?と普段から人に聞かれることは多かった。でもそれは、生まれ持った三白眼とやぶにらみのせいだ。 「違います、全然怒ってないです」  すると、 「ごまかそうったってだめだよ」  とそんな声が聞こえた時、家の戸ががらりと開いた。  そこに立っていたのは、道に迷った旅人に方角を教えてくれたあの男だった。 「今どき怒ってるやつってのは貴重だから、この町じゃあ今日、そんな人間は研究所に高く売れるんだ……俺はお前にこの町を紹介して、それで俺は見返りをいただいたってわけ」  男は懐から袋を取り出して、おもむろに掌でもてあそぶ。中からは、貨幣がちゃりんちゃりんとこすれる音。  その時旅人の耳には、家を取り囲む人々の足あとが聞こえた。  そればかりではなく、そんな無口な人影がむんむんと発する静かな殺気が完璧に彼には感じ取れた。  ああ、もう、きっと俺は助からないんだ。そう思う旅人に向かって、農民が口を開いた。
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