episode 1 道院寺と名前の呪い

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episode 1 道院寺と名前の呪い

part 1 この世に生まれたら、まず、名前を付けられる。名前は、親が我が子を思いながら付けた大事なものである。 しかしながら、自分自身は、これを呪いだと思う。名前という呪い。こう考えるのには訳がある。 瑞希 早苗(みずき さなえ) この名前のせいで大変な目にあったのは言うまでもない。 なぜなら、俺は純粋な26の男だからだ。 「せーんせ、肘怪我したぁ」 3時間目の授業が終わった休憩時間。 1人の男子生徒が酷い擦り傷を負って保健室の扉を開けた。 「だいぶ酷いな。そこ座ってな」 パソコンと睨めっこしていた俺は生徒の傷の具合を確認して後ろにある巨大な棚から消毒液とガーゼ、包帯などを取り出した。 俺は市立吉崎(よしざき)高校の保健室に勤務する養護教諭になった。しかし、実際なってみると大変なことが多い。所謂(いわゆる)偏見が多い。エロい女先生じゃないとかイケメンじゃないだとか。余計にたくさん言われてきたものだ。1番酷かったと言えば、 『名前が女だから美人のお姉さんかと思ったのに、最悪』 やはり名前は一生付きまとうらしい。一種の呪いだ。ねぇ、母さん。なんで俺にこんな名前を付けたのですか、全く。流石に聞き飽きました。 「何してたんだよ。ちゃんと洗ったか?」 「野球だよ。スライングしたらこんなことになった」 どうやらこの生徒は授業で思い切りベースにスライングしたらしい。自慢げに喋っていたが、俺が問答無用に消毒液をかけたら小さく悲鳴を上げてぷるぷると震え出した。痛すぎて顔が歪んでいる。……なんか悪いことしたな。 「そう言えば、先生、知ってる?『黄泉坂(よみざか)の道院寺さん』の噂」 包帯を巻き終わって用具を片付けている時に肘をぶんぶん回していた生徒が急に声をかけた。 「黄泉坂の、道院寺さん?誰だそれ」 「黄泉の国………死者の世界の黄泉坂っていうあの世の入口の街があって、そこに、立派な煉瓦(れんが)造りの駅があるんだ。そこに道院寺さんっていう変わり者がいるんだって。その人に見つかったらもう二度と帰れないんだって」 「なんだそれ。てか、やたらに詳しくね?」 手首を曲げて幽霊のポーズをする生徒の頭を軽く叩く。 「そういえば、先生って、ここの人じゃなかったですもんね。昔から伝わってるこの街の伝説です。その黄泉坂ってとこに行く方法は分からずじまいらしいんですけど、昔、黄泉坂に連れていかれた人が居て結局帰ってこなかったって噂です」 目にかかる前髪をかきあげた生徒はそのまま立ち上がると扉の方へ歩いていく。そして扉に手をかけると振り返り 「先生も、道院寺さんに連れていかれないように気をつけてくださいね」 と意味深げに呟いて出ていった。 数日後の日曜日。 休日を利用して遠出をしようと着れずにクローゼットに閉まっていた黒のスラックスに少し大きめのカッターシャツにカーディガン。小さめのショルダーバッグを肩に掛けて電車に乗った。髪型も目立たないように前髪を伸ばしていたのをワックスを使って軽くかきあげる。横を軽く跳ねさせていっちょ上がり。周りからきゃあきゃあと黄色い悲鳴が上がるのは無視しておく。俺の顔がそんなにキモイのか、と内心ショックを受けながら腕組みして揺られていた。数日前に生徒から言われた『黄泉坂の道院寺さん』の話。それは本当にあるのだろうか。黄泉坂に連れ去られた方が、偏見を言われることもなくなって、楽になるんじゃないのか。それが最善なのではないのか。そう思うようになっていた。そして、自然に眠気に襲われてそのまま意識を手放した。 がたん、と何かが当たる音と衝撃に目が覚めた。寝過ぎたようだ。うんと背伸びをして周りを見渡した。 「人が、……いない、だと」 おかしい。さっきまで満員だった電車の中は空っぽ。俺一人しかいなかった。車窓から見える外はまるで夕方のようにオレンジ色になっている。慌てて右手に付けている腕時計に目をやる。 9:00 うん、まだ朝だ。なのにこの空はおかしい。そして、開けっぴろげになっている自動ドアからは秋の肌寒い風が通り抜ける。 ここにいては何も進まない。恐る恐る電車から降りて辺りを見渡す。立派な煉瓦造りの広い駅だった。ただ、改札はなかった。車掌も、乗客もいなかった。俺はある1つの可能性に行き着いた。 『黄泉坂っていうあの世の入口の街があって、そこに、立派な煉瓦造りの駅があるんだ……』 そう。ここはあの黄泉坂駅だ。いや、待てよ、もし、ここが黄泉坂だとして、俺はどうすればいいんだ?行く方法が分からないのなら帰る方法なんてないに決まっている。そして、そこにいる道院寺さんって奴。そいつに会ったら帰れないとか。なんとか。 俺が何もかにも疲れ果ててしゃがみ込んだ時だった。 「なんか美味しそうな人間がいるね」 よく通る声だった。高すぎず低すぎない、中性的な声だった。ゆっくりと顔を上げるとそこには白衣を着た若い男が立っていた。確かさっきまで人の気配なんてしなかったのに。 「あの、茶化してます?気持ち悪いですよ」 「誰が気持ち悪いだ。そこでどうすることも出来ずにしゃがみこんだ大の大人に言われたくないわ」 この人の言っていることは正論だった。恥を心に突き刺してきた。 「いや、初対面に言われたくないです」 「あぁ、俺も嫌だ。まぁ、そんなことはどうでもいい。お初にお目にかかる。俺は道院寺だ。お前らの世界の『黄泉坂の道院寺さん』本人だ。喜べ」 ………いや、喜べねぇだろ。いや、喜ぶべきなのか?よくわかんないや。というか、本人は自身が怪談になってるのを知っているのか? 「おい、俺も名乗ったんだから、お前も名乗れ」 「嫌です」 「あ"?」 ネットとかで見たことがある。なんだったっけ。あぁ、ウルフとかなんとか。襟足が長いやつ。それで、黒に赤メッシュ。顔は整ってる部類なんだろうな。それを文章に表せと言われても今の俺の語彙力では無理なので想像にお任せするが、とにかく、見た目ヤンキーそうな白衣イケメンがゆっくりと近づいて顔を覗き込む。目が怖い。 「なんだ、お前、やたらに顔整ってるじゃねぇか」 くしゃ、とセットしていた髪を崩すように撫で回した。 「そりゃ、どうも。で、俺どうなるんすか?噂通りなら連れ去りますか?」 「………いや、なんでお前を連れ去らないといけないんだよ。デタラメに決まってるだろ。そもこも、俺はそんな趣味ねぇよ」 呆れたように眉をひそめている。いかにも機嫌悪いと言っているようだ。 「じゃあなんで行ったっきり帰ってこないっていう伝説出来てんだよ」 「こっちもこっちで困ってんだよ。たまに居るんだよ。どさくさに紛れて黄泉坂に迷い込む人間が。因みに、そういう人間を元の世界に帰してやるのが俺の仕事だ。帰すのにも条件があるから、その条件が揃うまでの間、俺が面倒みるんだけど、帰りたくないって駄々こねて居候になるやつばっかなんだよ。どうにかしてくれよ、少年」 「少年じゃねぇよ。せめて青年にしろ」 俺にうるうるとした目で見つめながら言うのは良してくれ。男……道院寺は白衣のポケットから黒の手帳を取り出して広げる。中身は見えない。 「お前をあっちに帰してやるから、名前教えろ」 「………瑞希早苗」 「…………へ?」 そんなに目を見開いてぽかんとするな。 「………まさか、女だとは」 「違ぇよ馬鹿」 べし、と頭を叩けば、いてっ、と声を上げて叩かれた頭を抑える。 「悪かったって。……あぁ、そういう事か、」 「なんだよ」 「お前、かなりこの名前にコンプレックスを抱いてるんだなと思って」 「そりゃあそうだろ。てか、それがどうした」 幼稚園から何年からかわれてきてると思っている。人生の半分をこの名前でダメにしてるんだからな。てか、道院寺は自分で納得しているが、それと迷い込んだことに関係があるのだろうか。 「んー、なんでもない。こっちの話」 その場に立ち上がれば道院寺の前に仁王立ちする。こいつ、俺より背が高い、だと。 「他にもそういう名前を付けられてからかわれ続けて死んじゃった同僚がいるんだよ。そいつのことを思い出した。今や改名して黄泉坂で働いてるよ」 「……ごめん、情報量多くて頭入ってない」 ため息をついた道院寺は俺が立ち上がったと同時に駅の外へ歩き出した。 「ここは黄泉坂。ここの住人は全て1度死んだ人間だ。そして、転生されるまでの数日をここで過ごす。しかし、問題が多くてな。それまでに精神的に病む人が多い」 こつこつと駅の中に響く足跡を聞きながら後ろについて行く。 「俺が勤める黄泉坂病院はメインが精神科でね。学校にカウンセリング行ったり色んなことをしているわけなんだ」 そんな話をしているとふと道院寺が足を止めた。 「ようこそ、死者の国 黄泉坂へ」 俺の方を振り返って腕を広げた。奥が少し騒がしい。構内から外を覗く。目の前に噴水があり、広場のようになっていた。見た限りあっちと変わらないようだ。ただ違うとしたら、血塗れだったり餓死しそうなほっそい人が平然と歩いているところだろうか。 「なんだろう、ありえないもの見てる」 「お前からしたら変なんだろうな。ここでは普通だ。あぁ、あと、突然だけどお前、俺の助手しない?」 「突然過ぎるので丁重にお断りさせていただきます」 「だぁかぁら、なんでそんなツンケンなんだよ」 むす、と頬を膨らませて俺の肩を掴みぶんぶんと振ってくるイケメン。イケメンが何やっても可愛く見えるのは本当らしい。目が回る……。 「条件が揃うまでに暫くはかかる。それまではここで過ごすしかない。普通に生活すればいいだけ。あ、因みに、よくあの世の物を食べたら帰れなくなるとかよく言われてるけど、そんなことはないからな。ココ最近改良が進められていて色々変わったらしい。まぁ、ともかく、ここで過ごすために、お金が必要だ。この世とあの世じゃ、価値も何もかもが違う。だから、アルバイトだと思ってやってくれていい。なぁに、安心しろ。学校のカウンセリングのお手伝いってところだ。優良物件だと思わないかい?」 一方的に言われて頭の回転が追いついていない。俺と同じ立場ならそうなると思う。 でも、 元の世界に戻っても、あの偏見と戦わなければならない。少しなら、ここで息抜きしてもいいかもしれない。 「……時給が良ければ考えます」 「それは俺が保証しよう。決まりだな」 いや、考えるとしか言っていないのだが。道院寺は早とちりが激しいらしい。あいつの中で了承を得たと思っている。 「勝手に決めないでくださいよ。とりあえず、よろしくお願いします」 「あぁ、よろしく頼む」 あの時の笑顔は未だに脳裏に焼き付いてる。 なんだか眩しくて、綺麗で、 酷く懐かしかった。               part 2に続く
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