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* 安価なアンカーなんて、ない。 *
***
珍しく外回りの仕事が早々に終了した午後。
先輩と缶コーヒー片手に、波止場でひと休みしている時のことだった。
「なあ、お前。アンカーって、分かるか?」
「えっと、ハイパーリンクのことで良かったですか?」
「ぶはっ、え? ここでハイパーリンク来る? リレーのアンカーとかでもなく、ハイパーリンク!?」
コーヒーを海に向かって、先輩は盛大に吹き出している。
そもそも職場の同僚という関係上、資料でもお馴染みハイパーリンクしか突如振られた『アンカー』というワードからは浮かばないだろう。
しかし、先輩だってリレーのアンカーを話題に出したわけでもないはずだ。
そのくらい察する能力は持ち合わせている。
とは言え、ヒイヒイと笑い続けている先輩に向けて、何と返せばよいのやら……。
ひとまず、先輩の出方を伺うことにする。
「まあ、リレーのアンカーが無関係なことくらい察してるか」
「……」
「まあ、アンカーって、ほら。そこで活躍中の錨(いかり)も、なんだけど」
そう言って、先輩は停泊している船を指す。
その様子を見て、ようやく合点がいく。
なるほど。
目の前に見えたからこそ振った話題でもあったのか……。
「錨って、まあ。安価ではないんだよな。あれだけの重さの物、だ。安価ではない」
「……まさか。アンカーだけにって、言いたいわけですか?」
安価なアンカーなんて、ない。
確かにスッキリ見事なオヤジギャグだ、とは思う。
だけど、敢えて素面で言うほどのギャグかと問われると正直疑問符が浮かんでくる。
そんな心情が透けて見えていたのかもしれない。
「そのまさか。何だけど……」
「?」
「実は、更にもう一歩踏み込んだことを言ってみたかったり」
先輩は少しだけ、言葉をためてからゆっくりと語り続ける。
「安価でないアンカーはない。つまり、安価でない錨もない」
「…………」
「……まあ、先方の怒りもいい加減なものではない、と思うんだ」
「先輩……」
今日、珍しく外回りが早く終わったのは理由がある。
私が先方の逆鱗に触れたから、だ。
激昂された先方の真の怒りのポイントの把握は出来ていない。
だけど、十中八九……。
「それと、だな。説明不足で引き起こした怒りは、教育係の不手際でもあるわけで」
説明不足の不手際によって引き起こされた反応を目の当たりにして、激しくヘコむ私を元気付けようとしてくれていたのなら……。
こんなに有難いこともないだろう。
「……先輩!!」
「な、なんだ?」
なら、私がすべきことは一つしかないはずだ。
「先方が安心してご利用いただけるプレゼン、作り直しましょう!」
怒りの理由は、多種多様。
だけど、その理由が説明不足で起こしたことなら努力次第で巻き返せる!!
落ち込んでいる暇なんてない!
優しく励ましてくださった先輩と、大事なクライアントに対して
私が出来る唯一で確かなことでもあるのだから。
【Fin.】
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