押す×退く

6/13
20人が本棚に入れています
本棚に追加
/113ページ
ゆっくりと、手が震えないようにそっとペンを 走らせる。 『そんなことないよ。 変な声だって言われるから。』 それを見た鬼島君は突然、顔を上げるとギッと 睨み付けるような顔をした。 怒らせてしまったのかと思って、咄嗟にビクッと 反応してしまう。 何か言いたそうに口を開いて、少し考えた彼は 苛立たしげに軽く息を吐いた。 その仕草と同じように、教科書の端に書かれていく 文字も荒れている。 『誰がそんなこと言いやがった?』 …誰と聞かれても困るけど。 ペンを持ったまま戸惑う私に、鬼島君の容赦のない 視線が浴びせられた。 何故か分からないけど、彼は怒っているらしい。 悪い人だとは思えないけれどそれでもやっぱり 怒られるのは怖い。 鬼島君に急かされているような気がして、私は 仕方なくまたペンを動かす。 『今まで会った人達』 恐る恐る鬼島君の顔色を伺う。 彼がどんな反応を見せるのか不安だった。 ただ意外なことに、私の書いたその返事を見るなり 鋭かった瞳はどこか色を変える。 うまく言えないけど、怒りの色が消えたような。 じっと切れ長の瞳が教科書の端の文字を 見つめていた。 その横顔はさっきまでと違って、とても静かで 妙に大人びて見える。 鬼島君のことはよく分からないけど、何かを考えて いるような、そんな風に私には思えた。
/113ページ

最初のコメントを投稿しよう!