1 傲慢と煩悶

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 ちょっとおこだった桂山の笑顔は、困ったことに華の心の柔らかいところに、しっかりと焼きついてしまった。大仕事を処理した後の土日に特に用事が無かったこともあり、華は丸2日、あの営業課長のことを考える羽目になった。  この会社に入社したころから、ちょっと気になる存在ではあった、かも知れない。感染症が拡大して自粛ムードが広まる直前に転職してきた華は、この会社の忘年会や新年会はもちろん、経理課単独の飲み会も経験していない。新入社員と一緒に課で歓迎お茶会は開いてもらったが、他の課の人々と接触する機会が全く無かった。  それでも桂山課長のことを全く知らない訳ではなかったのは、彼が自ら伝票の処理をしに経理課のフロアに訪れることが多いのと、よく話題を提供してくれるからだ。この会社には「性的少数者のための相談室」なるものが存在し、桂山はほかの部署の課長クラスの人たちとともに、そこの相談員を務めている。相談室はニューズレターを月一回発行しており、桂山がそこに書くちょっとしたことが、何気に面白いのである。  あの人って癒し系だな、と華は一番新しい相談室のニューズレターを眺めながら、思った。癒し系って付き合ったことないな。でもゲイだしなぁ、しかもアメリカに留学中の彼氏がいるとかだったっけ。でもちょっとお近づきになりたいな。  華は悪い癖がむくむくと湧き上がってきたことに、自分で辟易(へきえき)した。高校生の頃くらいから、受け入れてもらえるかどうかを考えず、好意を持った男性にアタックせずにはいられない。前の会社では、それで大失敗した。家庭を持つ男性にダメ元で告白……いや、ただ自分の思いを伝えたかったからそうすると、相手が交際しようと言ってくれた。それで丸2年、不倫していた。相手の奥さんにバレそうになったので彼に別れを告げ、仕事がキツくなるばかりなのに給料が上がらないのも腹に据えかねて、大学新卒から8年勤務した会社を辞めた。  不倫は不毛だ。相手は結局のところ、奥さんは女としては見られないからなんて言って、華とやりたいだけだった(と華は解釈している)。ではゲイに(こく)るのはどうか。桂山は同性愛を自覚するのが遅かったらしく、女性との結婚歴があるようだ。バイセクシャルではないのだろうか。ああだめだ、遠方に彼氏がいるなら略奪の可能性が発生する。もうそういうのは、真っ平ごめんだ。
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