・そして。

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・そして。

 次の日、わたしは彼と顔を合わせる事をしなかった。  もちろん、その次の日も。その次の日もだ。  でもその間、何か特別な事があるという事はなかったし、彼の方からあの日の事を言ってくるというような事もなかった。  あれは、もしかしたら夢だったのだろうか。わたしはそんな事を考えた。あんな事を突然されるなんて、やっぱりどう考えても普通じゃないし、そう考えた方がむしろ自然な気すらした。  けれどある日、それを否定するように、わたしはその事実をもう1度突きつけられた。彼にではなく、彼の彼女に。  彼女がわたしに接触してきたのは、あれから1週間経った日の放課後だった。部活が終わって帰ろうとすると、彼女は校門の前でわたしの事を待っていた。 「……ちょっと、いいかな」  その端麗な顔と似つかわしくない暗い声に、ざわ、と背筋が冷たくなる。  わたしは「ごめん、先に帰ってて」と友達に言って、彼女と向かい合った。無言で歩き出す彼女の背中を、静かに追った。  この1週間、わたしはあの日の事を必死になって忘れようとしていた。彼に「なんであんな事したの」と言うよりは、なかったものだと思う方が気が楽だったし、それが正しい選択だと思えたからだ。  でも、彼女はこうしてわたしに会いにきた。モデルみたいな体型で歩く彼女は1度も振り返らずに、その長い髪を揺らしながらどんどん前を進んでいく。 ――彼女は今、怒っている。それは背中を見ただけでも伝わってくる。  そんな彼女に、わたしは声をかける事なんて出来なかった。  辺りはもうすっかり暗くなっていた。近くの公園まで来たところで彼女は立ち止まり、息を吐いてから、ようやくわたしの事を見てくる。  改めて、わたしも彼女の事を真っ直ぐに見つめる。電灯に照らされた彼女の顔は驚くほど白くて――ひどくやつれている気がした。  その唇は、少しだけ震えている。わたしはその場から逃げ出したかったけれど、それでもしっかりと彼女の事を見続けた。 「ねえ」 「……うん」 「説明してくれる? あの日の事。あの日、あなたが彼と何を話して……彼と、何をしたのか」  彼女が、じり、と間合いを詰めてくる。わたしは小さく首を振り、「……違うよ」と声を絞り出した。 「……本当に、違うの。誤解だよ。わたしは彼と、何か特別な話をしたわけでもないし、特別な関係でもない。……それに、あれだって……本当に、事故みたいなものだったんだよ」 「事故。……そう。やっぱりあれ、見間違いじゃなかったんだね」  その言葉に、はっとする。瞬間、彼女の顔が、ゆらりと揺れた。  ビー玉みたいな大きな目は、さらに丸く、さらに大きくなって、わたしを放さなかった。 「……1週間」彼女はつぶやくように言った。 「1週間。この1週間、ずっと彼にあの日の事を問いただしてたの。だって……あんなの、誰だって驚くでしょ? 帰りに近くのケーキ屋さんに寄って何か食べようねって約束してて、教室に行ったらあんな事になってて……あなたがわたしの立場だったとしても、え? ってなるでしょ?」  まるで、抑えきれない、というふうに。涙の筋が、彼女の頬を伝う。その手がゆっくりと伸び、わたしの肩を掴んだ。 「ねえ、そうでしょ? おかしいでしょ? でも、彼は『なんでもない』の一点張りで、何も教えてくれないの。だから……だから、恐かったけど、あなたに直接会いに来たの。ねえ、教えてよ。あなたは彼のなんなの? どうしてあんな事になったの? わたしは……どうすれば良いの?」
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