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・おわり。
あれから、どのくらい時間が経っただろう。
先程までわたしと話していた彼女の姿は、もうすでに美しかった彼女のそれではなくなってしまっていた。
そして辺りにたちこめる異臭は、慣れたのか、あるいは麻痺したのか、あまり気にならなくなっている。
悲しいのか。怖いのか。わたしはただ、その場で泣く事しか出来なくなっていた。
「……あれ、残念だな。立ち会えなかった」
その声に、ゆっくりと顔を上げる。そこには彼が静かに立っていた。
それらが、彼に反応し、彼の廻りを取り囲む。彼はそれらを愛でるようにして、「よしよし」と頭を撫でてあげていた。
「…………なの?」
「ん?」
「どういう……事、なの?」
わたしは、かすれた声を出した。乾燥しきったその唇は、まともに動いてはくれそうにない。
しかし、とりあえず彼にわたしの言葉は届いたようだ。彼は愛おしそうに彼女とそれらを見つめながら、「……つまり、こういう事だよ」と愉快そうに言った。
「……俺はね、本当はヒトではないんだ。今は擬態してヒトの姿でいるけれど、本当はこいつらみたいな姿をしている」
「嘘……でしょ?」
「嘘じゃないよ」
そう言って、彼はごりごりと音を鳴らし、私の前で身体をねじり、ひねり、その姿に変わる。
それを見てわたしはえずいてしまうけれど、吐き出すようなものはもう何も残ってはいなかった。
彼は話を続ける。
『おまえは知らなかっただろうけれど、この世界にはヒトの姿をしたヒトではないものたちが、ヒトに混じってたくさん生活をしているんだよ。俺もそのひとりって事だね』
「彼女に……何をしたの?」
『決まってるだろ。俺の種を送ったんだよ』
彼は、しゅー、と息を吐き出した。
『……悲しい事に、俺たちの種族は全員男なんだ。産まれてくるのも全員男だし、同族同士で交わる事は出来ないから、子孫を残すためには他種の雌と交わるしかない。
中でもヒトの雌は、俺たちがもっとも産りやすい身体を持っている。丈夫だし、あたたかいし、大きい。
それに何より、ヒトは俺たちが最も必要としている栄養素を持っているから好きだよ』
そこまで言って、彼はまた、めぎめぎと音を立ててヒトの姿に戻る。裸の状態から、数秒で服を着た状態へと変わった。
もう、目の前で何が起きても、何を言われても。わたしは驚かなかった。
彼は、空を見上げる。そしてあの日と同じような含み笑いをして、わたしに言った。
俺たちの種族が最も愛しているのは、『怒り』と呼ばれる感情なんだよ――と。
「……怒りの感情っていうのは、どの生物でも大なり小なり抱くものだけど。中でもヒトが抱く怒りは、他のどの生き物よりも大きくて、汚くて、醜い。
そしてその感情を抱く時、ヒトはおまえが想像出来ないようなエネルギーを体内に宿す。それは俺たちが産る時、最高の栄養源となるんだ」
その言葉に対して、わたしは。
何も言う事なんて出来なかった。
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