2人が本棚に入れています
本棚に追加
脳裏で、あの日の光景がよみがえる。
つまり彼は――自分の種を送った彼女を怒らせるために――自分の子を早く産すために、わたしを利用したのだ。
自分の事だけを考えて。わたしを――何より彼女を。こんな酷い状況に陥れたのだ。
「……っ……」
悲しさ。悔しさ。そして、怒り。
それらの感情が血液に溶け、全身をぐるぐる回った。
「許せない……」
小さく言う。すると彼は、「かわいい。もっと怒りなよ」と口角を上げた。
身体中に、熱がはしる。ぎりぎりと唇を噛み、わたしはゆっくりと立ち上がる。
全身が、震えていた。
「……彼女は、あなたの事が好きだった。本当に、好きだったんだよ。そんな彼女がこんな姿になって、あなたはどうして平気でいられるの?」
「そんな事ないよ。すごく感謝してる。こんなにもたくさん、俺の子を産んでくれたんだから」
「じゃあ、どうしてあなたは今そんなふうに笑っていられるの? どうして悲しい顔をしないの?」
「自分の価値観を押しつけないで欲しいな。俺は彼女の事を愛していたし、愛し合ったし、今も愛してる。ただ、子が産まれる時には雌は死ぬ。俺からしたらそれは当たり前の事で、悲しい事じゃない。むしろ喜ばしい事だ」
「……っ……」
話にならない。握りこぶしをつくって、彼の事をきっと睨む。
すると彼は――わたしに近づいて、頭をくしゃくしゃと撫でてくる。まるで、さっきそれらにしていたみたいに。
全身が、一気に粟立った。
「おまえは、本当にかわいいね」
「……っ、ふざけないで」
「ふざけてないよ。本心から言ってるんだ。言ってなかったけど、俺はおまえの事、彼女と同じくらい好きだよ。ずっと好きだった。彼女を怒らせるためだったとはいえ、でなきゃキスなんてしない」
「ふざけないでって言ってるでしょ……!?」
「あの時のおまえ、きょとんとしていて、すごくかわいかったな。おまえだって、俺にキスされて、なんならまんざらでもなかったんじゃないの?」
「良い加減にしてっ!!!」
彼の事を、どんと突き飛ばす。わたしは、彼の事が憎くて、悔しくて、腹が立って、たまらなくなった。
でも、わたしのいらいらは、彼には伝わらない。
それどころか、彼は先程よりも一層笑顔になった。
そうして、また、言う。
「もっと怒ってよ」と。
その時、ふと思った。彼はこうしてわたしを怒らせて、わたしをそれらのエサにするつもりなのではないか、と。
でも、それでもわたしの彼に対する怒りはおさまらない。おさまるはずがなかった。
わたしは彼に近づいて、その顔を思いきり叩く。
震える手で、泣きながら、何度も何度も彼の頬を叩いた。
ぷしゅ、という音が――わたしの耳に届くまで。
「……、え……」
続いて、ぶしゅ、という、大きな音。その音と共に、彼の顔は紅に染まった。
――何が、起きたの?
わたしが何も分からないでいると、彼はわたしの額に口づけてから、その両手でわたしの事をやさしく包み込んだ。
「……良かった。今度は立ち会えた」
――と。そんな事を言って。
「……。何、言ってるの……?」
わけが分からない。
「おまえこそ、何言ってるんだよ。もっと喜んでくれよ。俺とおまえの子だよ」
わけが分からない。
「……な……に……?」
わけが、分からない。
想像を絶する痛みの中で、わたしは彼の腕の隙間から、自分のお腹を見る。
ああ……という、声にならない声が、わたしの喉から漏れた。
「――ほら。あの時おまえに送った、俺の子だよ。
……でも、安心して。ちゃんと俺が、責任持って育てるから」
目を閉じる。
彼が最後に、つけ加えるように言った「愛してるよ」の言葉は。わたしの耳から、ずっと離れなかった。
最初のコメントを投稿しよう!