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僕の彼女は花を降らせる
僕の彼女は花を降らせる。
色とりどりの花を。
どうやらそれは最近始まったことではなく、幼い頃からなんだとか。
「綺麗な花だね。でも、どうやって出てくるの?」
付き合いたての頃、そう訊いたことがある。すると少し困ったような顔をした彼女は、しばしブルーグレーの花を降らせてから、
「気がついたら、ふわっと出てくるからわからないの……」
と答えた。
その様子がリスのようでかわいかったのは、僕だけの秘密だ。
それからというものの、僕は花の勉強をするようになった。
それまでは一抹の興味もなかった。花といえば桜とかたんぽぽとかバラとか。そういう一般的なものしか知らなかった。でも、それではもったいない。せっかく彼女が降らせてくれるというのに。
そうして、植物図鑑をペラペラとめくる日々が始まった。
彼女は相変わらず、はらはらと色とりどりの花を降らせていた。おかげで、彼女の家も僕の家も、花で飾られていた。
「ごめんね、しゅうくん。今日もお花が出てきちゃって……」
そうやって、彼女は少し恥ずかしそうに頬染めて花束を差し出すのだ。受け取るほかないだろう。
僕は大学進学を機に上京した。一人暮らしだ。一人暮らしの男の家に、花瓶なんて洒落たものがあるわけもなく。最初に渡された日、ペットボトルに挿すことになってしまったのは苦い思い出だ。
せっかく彼女からもらったものなのに。
美しい状態にできないなんて。
項垂れ、玄関に沈んだのをよく憶えている。
反省した僕は、ネットでリサーチを重ね、かわいい系とアンティーク調と、それから色ガラスで彩られた花瓶を購入した。
彼女とは大学二回生のときに付き合い始めた。彼女が「実はね……」と自身の不思議体質について告白してくれたのもその時期だ。そしてそれから花のお裾分けは続いている。花瓶は空になったことなどない。なんなら今では、追加購入を検討したくらいだ。それも一度や二度ではなく。
植物図鑑を何冊か読破したある日。確か、付き合って一周年の記念を終え、十二日が経った日のこと。
僕は重大なことに気がついた。
彼女が降らせる花が、まったくわからないことだった。
どんなに詳しいと評判の図鑑でも。どんなに分厚い図鑑でも。彼女が降らせる花を、満足に掲載していなかったのだ。
「……ちっ、つかえないな」
そう呟いた僕は、善は急げとばかりに近くの花屋に駆け込んだ。その日の朝、彼女がこれまた恥ずかしそうに差し出してくれた花の写真を、スマホに忍ばせて。
「すいませーん」
「はいはい、どうされましたか?」
商店街の一角にある花屋。そこには教授然とした店主がいる。前に小一時間、花の保存について質問していたからだろう、僕を見つけた彼は「ああ、君はあのときの」と破顔した。
「実はこの花の名前が知りたくて」
僕は店主に花の写真を差し出す。
どれどれ……とそれを覗き込んだ店主は、ふーんとかうーんとか言いながら髭を撫でつけた。
「悪いんだけど、わたしはこの花を知らないねぇ……」
「そうなんですね」
「これは君が買ったのかい?」
「いえ、彼女にもらったものなんですけど、彼女はこの花が好きみたいで」
「そうか。もしかして彼女は大学とかで花の研究をしてたりする?」
「え?」
「いやぁ、なんせ初めてみるような花だからね。新種のものかな、なんて思っちゃって」
流石にないよね、と店主は笑う。
「僕も彼女も、大学は人文学部なんですよ」
そう言ってから、店主に礼を告げて店を去った。
翌日。
やはり花を持ってきてくれた彼女に、「ずっと気になってたんだけど」と話を切り出す。
「なあに?」
「この花ってなんていう名前なの?」
彼女が持ってきてくれる花は、色の違いはあれど、同じ花だ。
四枚から六枚ほどの花弁をつけた、小さなかわいらしい花。どこか、童話に出てきそうな雰囲気を醸し出す花だった。
「あ、あのね、しゅうくん」
「うん」
これまた恥ずかしそうにもじもじとする彼女は、アクアマリン色の花を降らせる。それもやっぱりかわいらしい形をしていた。
「お花、あんまり詳しくないからわからないの。お花は好きなんだけどね。でも、よくわからなくて。ただこのお花は、昔、絵で見たことがあるお花だと思う」
なるほど、と僕は納得する。
彼女の降らせる花は彼女の中から出てくる花だ。つまり彼女の知識の中からしか出てこない。だからこれはきっと、彼女の想像の中の花なんだろう。
後日、彼女の家に遊びにいった僕は彼女の本棚にいくらかの花の写真集を忍ばせた。すると数日後、彼女は実在する花を僕の家にお裾分けしに来てくれた。
やっぱりそういうことなんだな、と思いながら、僕は花を「ありがとう」と受け取った。
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