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いよいよ本番だ。この日のためにどれだけ準備してきたことか。
自分にできることは全てやったつもりだ。自分が走るコースは何べんも確認したし、頭の中でシミュレーションもしてきた。コースは楕円状に広がっており、改めて見渡すと想像よりも広く感じる。何度も想定してきたとはいえ、いざ本番となるとやはり緊張するものだ。
審判なのだろう、コース上にはところどころに人が立っており、こちらを凝視している。
こちらはといえば、みんな様々な表情をしている。緊張でガチガチになっているもの、本人なりのリラックス法なのか口をぽっかりあけているものや、どんな練習をしてきたのか、全身傷だらけになっているものなどもいた。
かく言う私も先日転んでしまい傷を作ってしまった。しかしそんなこと構っていられない。伸るか反るか、いよいよ本番が迫ってきているのだから。
そんなことを考えていると隣にいた奴が馴れ馴れしく話しかけてきた。
「やぁ、いよいよ本番だな。緊張してるかい?」
私は正直話しかけられることを鬱陶しく感じた。本番前は自分なりのやり方で集中力を高めたいからだ。
アスリートが本番前に自分なりの方法で集中力を高める儀式のようなものをすると聞いたことがある。ルーティーンといったか。
もちろん自分をアスリートなんていうつもりはない。私なんていわばどこにでもいるような既製品のようなものだ。それでも自分なりに本番である今日のために必死になって努力してきた。
「命がけ」なんて言葉をしょっちゅう言う奴は信用できないが、しかし今日が一世一代の勝負の日だということは痛いほどに理解している。
だからこそ走り出す前に自分なりのやり方で集中しておきたいのだ。過去にやってきたことを思い出し、闘志を燃やす。それが私にとってのルーティーンだ。
話しかけられた後、そんなことを考えていると隣の奴はさらに続けて
「俺、今回が初めてなんだよ、いやぁ緊張するなぁ。君も初めてかい?」
どうやらルーティーンに集中させてはもらえないらしい。しつこい奴だ。私はさすがに腹が立ってきた。
「ああ、私も初めてだ」
とぶっきらぼうに答えた。まったく勘弁してほしい。今日この瞬間に懸けているのは私だけではないだろうに。
「そうか!君も初めてか!正直不安だったんだ。今日初めてなのは俺だけなんじゃないかって。
いざこうして見回してみるとみんな百戦錬磨の強者揃いに見えてさ。でも君がいてくれて良かったよ。そういえば緊張したときの対処法を知ってるかい?周りの人を全部じゃがいもだと思えばいいらしいよ。君もやってみるといい」
ここまで集中をかき乱されると、私は怒りすら感じてきた。よくしゃべる奴だ。うるさいったらない。私はぶん殴ってやりたい衝動をどうにか抑えて
「それはいいね」などと適当に相槌を打って、早く本番になってくれと祈った。
そうこうしているうちにいよいよ本番の時間が迫ってきた。隣の奴が
「互いにベストを尽くそう」なんて言ってるがもう知ったこっちゃない。
こいつに対しては集中を乱された怒りを感じてはいるが、それにとらわれてはいけないとすぐに思い直した。
怒りで我を失って本番で実力を出せなかったら、それこそ悔やんでも悔やみきれない。
私は怒りを感じている今こそ、今までやってきたことを思い出し、平常心を保とうと努めた。
そうこう考えているうちについにスタートの時間となった。
3,2,1、0と同時にゲートがオープンし、みんな一斉に走り出した。
私も快調な滑り出しで、前を走っているものにピタリと続いて走っている。
ふと後ろを見るとさっきまで隣にいたあのおしゃべりの奴が私の後にピタリと続いている。
こいつにだけは負けるわけにはいかない。
コースに沿って順調に走っていると少し妙な感じを覚えた。
あれだけ入念に準備したのに少しも順位を上げることができない。
遅れているわけではない。前を走るものに距離をあけずにピタリとついて走っている。
スピードも落ちていない。
先ほど感じていた怒りの感情もすでに置き去り、今では100%集中している。
それでも抜き去ることができないのだ。
私は少し困惑しつつも平常心を保とうと努めた。
怒りだけではなく、焦りやとまどいで心がかき乱されると、必ず体にも影響が出るからだ。
しかし、気になってそっと後ろを確認するとやはりあのおしゃべりも離れずにずっと私についてきている。
なるほど、うるさい奴だったが、なかなかの実力もあるようだ。もしかしたらあのおしゃべりが彼なりのルーティーンだったのかもしれない。
そんなことを考えながら走っていると、前方のコースの脇に人が見えた。中年と若い人物の二人組だ。
彼らも審判だろう。
彼らの横を通り過ぎようとした時、中年の方が私をヒョイと持ち上げて言った。
「見ろ。こういった傷モノを見逃さずに拾い上げるのが俺たちの仕事さ」
「本当ですね。それにしても、よくこれだけ速く流れていくのに見極められますねぇ」
「そうか、お前はここの工場に配属されて今日が初日だったな。
まぁこれも慣れさ。お前も数をこなせばものになってくるよ」
私を見ながら若い方が中年の方に聞いた。
「拾い上げたそれはどうするんですか?」
「廃棄だな。売り物にならんよ、こんな傷ついている缶詰」
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