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【1】  ここはいつもの稽古場。まだシンジの奴は来ていないようだ。ったく人にネタを作らせておきながら、あいつはいつも時間にルーズだ。ま、ネタは俺の方で考えたいのもあるからそれは別に良いと言えば良いんだが。すると10分後、稽古場の扉が開き、シンジが入ってきた。 「お疲れ」―「よう。お疲れ。」 入って来るなりいつも通りの挨拶をし、いつも通りに俺も返す。 毎度のことだから、ちょっと遅れた位でいちいち詫びたりなんかしない。俺たちがコンビを組んでからかれこれ5年。色んなことが当たり前であり、色んなことがなあなあになっていた。 「ネタ、入れてきたか?」 開口一番、いや挨拶の後だから開口二番か。いずれにせよ、シンジが俺の斜め左前に(地べたに)あぐらを搔くなり、唐突に俺は切り出した。 「ああいや、わりい入れてねえ。」 こいつはネタを入れてない、覚えてきてないと言った…当たり前のような、いつも通りのような素振りでこいつは”ネタは入れてない”と言った。 地方営業の中にはお馴染みのネタを使い回すコンビも結構いたりする。でも出来るだけ新作を引っ提げて一つ一つをこなしていきたい…そんな思いがネタ作り担当としての俺にはあったし、コンビとしてもそれがモットーだった。 (―――) 少しの沈黙があってから、俺が再び口を開いた。 「…お前、いい加減にしろ。」 コンビの俺たちにとってはよくあることだが、突如として喧嘩の狼煙は上がり、俺はキレ始めた。 「何が?…ああいやだから、ごめんて」 「言えば良いってもんじゃねえよ。」 「…」 黙るシンジ。 「だいたい何だお前。いつも遅れてきやがって。いっつも俺が待ってんじゃねえか。…んで?お前の方は…何だ?全然ネタは入れてこねえしよお。俺らがなるべく新ネタ行きたいっていうのあんのによお。んで(ネタ)作ってんの俺だよ、」 ここまで言って、それまでうつむいて聞いていたシンジがふと顔を上げた。視線がこちらに向いた時、俺は始まる(…また喧嘩だあ)、と思った。 今にも言い返しそうな湯気を体の周りから立ち上げて、 ―「…だから、、、はあ(吐息)。…だから、だからこっちだってさっきから言っ…」 沈黙。何かを喉につっかえたようにシンジは突然沈黙した。 「…あ、、あれ…」 ―「何だよ、言えよ!」 「…あいや、…んんん゛、、、あれっ、、」 「何だよ。」 「いや、、、それが、その」 「何だよ」 「何かよくわかんねえけど、、、怒れねえんだよ。」 「ああ゛!?」 「いやだからその、、、今怒ろうとしたんだけど、何かその言葉が出ないっていうか、そのこういう時どうすれば良いのかわからなくなっちゃって」 「は?」 「何となくはわかるんだよ。こういう時は“怒るんだ”ろうなって。でもそれが、、、その“怒る”ってのがどんな風にだったかなって―わからなくなったていうか。わからなくなっちゃんたんだよ。」 「お前何言ってんの?」 「だから“怒る”っていうのがわからないんだよ」 …怒る素振りも見せず、そうシンジは言ってきた。 「何、どういうこと?お前何?ネタも覚えてきてなけりゃ今度は“怒り方忘れちゃいました”っていうわけ?」 「…んんん、んまあそういうことなのか、、な。うん。」 「意味分かんね」 「いやまあ俺も」 「いやお前はわかんだろうよ…お前いい加減にしろよ」 こいつの言っていることが仮に、万万が一だけどそうだとしたら、ここで頑なに疑いの目を向け続けたことに対しても苛立って語気を強めてくるはずだ。 「いやあ…そうだと良いんだが。。」 ―違った。予想通りの結果は来なかった。いつも通りの返しで来なかった。 「何か申し訳ない」 俺は何かちょっと気持ち悪い感じがした。…その気持ち悪さっていうのはある意味こいつを、シンジに対する心配の気持ちでもあるんだが。。。例えば、何か脳の病気?心の病気?とか、そっちの心配になってきた。 「お前、、、大丈夫か?」 「うん…大丈夫、だと思う」 「タクヤほんとにごめん、とりあえずネタ合わせしよ」 「…ああ」
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