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 短大を出て社会人になり、友人が結婚する際の保証人になって欲しいと頼まれた。  本籍を書く必要があると知って、慌てて戸籍謄本を取りに行った。  そこで初めて、戸籍謄本に父親の本籍や住所が本来ならば載っていることを知った。  しかし私の戸籍に、父親の記載は無かった。 「母さん、父さんって認知もしていないの?」  家に帰ってそう聞くと 「私がいらないって言ったのよ」  と返された。 「母子手帳に名前は書くのに?」 「そうね」  なんだか腑に落ちない。認知もしない父親の名前を、母子手帳に書くだろうか?  認知すらしなかった子供に、何度も会いにくることなんてあるだろうか?  しかし、そんな疑問に答えてくれる人はいなかった。  その頃私は派遣社員として働いていた。簿記の資格を取り、経理に回されるようになった。  自分で言うのもなんだが、はっきり言って社員よりも仕事はできる。そのせいで社員からは疎まれていた。 「ここ、間違ってますけど」  社員にそう指摘すると、舌打ちされることもよくあった。 「君さあ、派遣のくせに生意気だよ」  はっきりとそう言われたこともある。 「私より仕事ができるようになってから言ってくださいます?」  そう言い返すと、 「そういうところだよ、可愛くねぇ女」  捨て台詞を吐かれる。可愛くない女。中学の時にも言われたな、と苦い思い出が甦る。 「あなたは気が強いからね。それだけ強ければ一人で生きていけると思うけれど、たまには人に頼りなさい」  母にはそう言われた。  そんな母が倒れたのは、私が26の時だった。  
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