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 カチャ、と鍵のシリンダーが回る音で目を覚ます。  そろりそろりと物音を立てないように、母は荷物を置き、静かに座って服を着替える。  その背中に声をかけた。 「ねえ」 「わぁ、びっくりしたあ、咲起きてたの」  一瞬飛び上がった母は、私を見ると安心したようにふふっと笑った。眠れなかった?ホットミルクでも作ろうか?と優しく言う。 「立花要一って、だれ」  それを聞いた母の動きがびたりと止まった。 「そっか、母子手帳……」  そう呟いた後、一瞬右上を見て、静かに目を閉じた。そしてゆっくりと目を開けて、話し始めた。 「あなたの、お父さんよ」 「……そりゃ、父親の欄に書いてあるし、それはわかってるよ」 「それもそうか」  てへ、と舌を出す母。 「昔『大人の事情』で父さんが家にいないって言ってたじゃん。あたしもう10歳になるんだよ、教えてよ」  ふう、と息を吐いた母が立ち上がる。ホットミルクでも飲みましょうか、と台所へと向かった。私も後に続く。  ことん、とマグカップが目の前に置かれる。ダイニングテーブルに向かい合って座り、母は話し始めた。 「要一さんには、大阪に家族がいるからよ」 「……は?」 「咲ができた時にはね、もう要一さんは結婚していたの。咲が5歳になる時に、要一さんに息子さんが生まれたから、なかなか来れなくなったの。全部お母さんが悪いの」 「どういうこと?ウワキってこと?」 「そうねえ……」  マグカップを見つめたまま、母は哀しげに言う。  要一さんに一目惚れして、結婚しててもいいから、と迫ったらしい。 「だから咲がつらい思いをしているのは、全部母さんのせい。要一さんは悪くないの」 「なにそれ。意味わかんない」  ばん、とテーブルを叩いた。マグカップがぐらぐらと揺れる。なんだかそれすらもイライラして、まだ湯気の昇る牛乳をシンクに流して捨てた。 「父親がいないのをバカにされたり、母さんが昼も夜も仕事してるのは、母さんのせいってこと?」 「……そうね」  小さな声で母は答える。ぎゅっと唇を噛み締めて、俯いたままこちらを見ない。 「なにそれ、サイッテー」  私はそう言い放ち、布団を敷いてある和室に戻った。音を立てて襖を閉める。 「咲」  母が襖の向こうで呼んでいたけれど、無視して布団にくるまった。  母がそんな最低な人間だなんて知りたくなかった。  私のことも知らずに、父親や母親に愛されて育っているであろう、立花要一の息子にも腹が立った。  結局、二分の一成人式の冊子は何も書かずに出した。  担任は頭を抱えていた。だが、嫌味ったらしく 「うちには父もいませんし、母も仕事でいませんし、おじいちゃんもおばあちゃんもいないので聞きようがありませんでした」  と言ったら、黙り込んでしまった。  どいつもこいつも大嫌いだ。
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