策略

1/1
前へ
/1ページ
次へ

策略

 たった一度。それだけだ。  その一度で彼女の心は俺から離れてしまった。 「ごめん!! ほんとにごめん、反省してる! もう絶対二度としない!!」 「だから、別れるって言ってるじゃん」 「聞こえない!! 頼む別れないでくれ、って待ってくれよ!」  顔の前で両手を合わせて謝っていると彼女はいつの間にか歩き出しており、俺は慌てて背中を追いかけた。  連日この調子である。何度謝っても許してもらえない。最近はこうして話の途中で立ち去ろうとすることが増えてきて、いよいよ焦っている。  彼女は優しい。だから謝り続けていればきっと許してくれると思っていた。しかしこれはもしかすると本気で別れられてしまうかもしれない。  いや、そんなことはありえない。そんなことをありえさせてたまるものか! 「まじでごめん! 許してほしい、俺が好きなのはお前だけだ!」  意を決し、他の生徒もいる廊下で声を張り上げる。彼らの視線と一緒に彼女も振り返ってやっと俺を見た。 「っそういうことでかい声で言わないでくれる!? 何がなんでも絶対別れるから!」 「あっ、おい!」  彼女がついに走り出して、少し遅れて俺も駆け出すが彼女の方が足は速い。追いつけないまま彼女は階段を駆け下りていってしまい、俺は遠ざかる足音を二階で聞きながら彼女の消えた階下を眺めるしかなかった。  絶対に諦めない。 「彼女全力で嫌がってんのに?」 「それは俺が悪いから。だから、許してもらえれば嫌がられることもない」 「その許すのを嫌がられてんじゃねえの」  聞こえたくない言葉を聞いた気がしたが、気のせいなので素知らぬ顔をする。ちょうど教室内が騒がしいのでかき消されたということで。  前の席に横向きで座る友人は無言で俺の顔を見つめ、話題を変えた。 「そもそも何したんだっけ」 「……お互い部活が忙しくて彼女となかなか会う時間が作れなくて、それで前に告白してくれてた同じ委員会の後輩と、浮気しかけて……」 「浮気したって言え」 「――心は浮気してなかったし!! でも浮気……客観的に見ればなあ……!」 「……お前、ほんとに反省してんのか?」 「してるよ!! なんで彼女にも伝わらないんだろ、まじで悪かったと思ってるのに……!」  心の底から反省しているし心の底から謝っている。だが彼女はまるで許してくれる気配がないし俺の反省を信じてくれていないようだった。どうして。 「言葉だけじゃなくて他に何かしたら? お菓子あげるとか」 「もうやった。飲み物もやった。けど駄目だった。押し付けても知らん間に机の上に返されてる」 「ああ、なるほどそういう……」  思い当たる節があるのだろう、合点のいった表情で呟く。それより一緒に考えてほしい。彼女に許してもらえる策を。  とはいえ思いつく限りのことは既に実行した。こいつに提案してもらっても、恐らく新規のものは出てこないだろう。 「……伝わるまで、謝るしかないよなあ」  決意を新たにしつつ、同意を求めて友人を見る。友人は悟った顔で言った。 「彼女さんに同情するわ」  昼休み、教室まで彼女に会いに行くと、ここにはいないと言われた。一階の渡り廊下にある購買に飲み物を買いに行っているらしい。 「ありがと!」  教えてくれた女子にお礼を言って、小走りで購買へ向かう。  一階に続く階段の踊り場のところで、ペットボトル片手にこちらへ上がってくる彼女を見つけた。 「理奈!」  彼女が顔を上げ、その目に俺を捉えた瞬間踵を返した。  逃がすか。俺はすぐさま後を追い、渡り廊下で繋がれた隣の校舎の二階で理奈を捕まえた。階段の上り下りと体力は俺の方が上だ。 「なあ、別れるなんて言うな。あの子とのことは、本当にごめん。でもほんと一時の気の迷いで、好きなのはお前だから」 「……うそ」 「ほんと。お前に告白された時、まじで嬉しかった。俺も好きだったから。ずっと」  理奈が押し黙った。ようやく俺の気持ちが伝わったのかもしれない。右手に掴んでいる、彼女の細い手首を少し強く握る。もっと伝われと祈りを込めて。  長い長い沈黙。 「……で、さ。そろそろ許してくれない?」  言った直後、空気が凍りついたのを感じ、冷や汗で寒気がした。 「そろそろ? やっぱり謝ればいいと思ってるんでしょ。本当に悪いと思ってない」 「は!? なんでそんな風に言――」 「今までもずっとそうだったじゃん!!」  突然理奈が大声を出した。思わず肩が跳ね、若干気後れしてしまう。 「女友達多いしその人たちと遊びに行くし! 告白も時々されるし!」 「遊びに行くっても他に男もいるし……告白は全部断ってるじゃん」 「でも不安なの! 言わなかっただけでずっと思ってた。悠斗は気付いてなかったと思うけど!」 「……え」  不安だった? たったそんなことが? 本気で?  ……いや、そうか。理奈には“そんなこと”じゃなかったんだ。いつも「楽しんできてね」って、「また?」って、笑っていたからわからなかった。俺が他の女子と深く関わったり、好意を向けられたりする度に不安だったんだ。  理奈がここまで怒って初めて、彼女の優しさに甘えていたことに気付かされた。謝る時でさえ、理奈なら許してくれると甘えて、本当に心から謝れていなかった。理奈はそれを見抜いていたのだ。  策なんていらなかった。の言葉があればよかったのだ。  俺は理奈の手首を放した。そして、その体を強く抱きしめた。 「ごめん。ごめん、理奈。俺全然駄目だった。本当に、ごめんな」  理奈は何も言わない。それでも、俺は口を動かし続ける。 「もう女友達と遊びに行かない。女子含めたクラス全体の打ち上げとかは仕方なく行くかもだけど、絶対男とだけいるようにする。告白も絶対それ以降気を持たれないようにひどく振るよ。お前が好きで、お前がいいんだ。お願いだから、別れないでほしい」  しばらく沈黙が流れた。  やはりもう駄目なのだろうか。遅すぎただろうか。 「……今の、ほんと?」 「ほんと!! まじ!! 本気!!!」  食い気味に発したそれは叫ぶような声量が出ていて、静かな廊下の向こうまで響いた。我ながら必死すぎて少し恥ずかしくなる。  腕の中から理奈の小さく笑う音がした。 「今言ったのがほんとなら、いいよ」  理奈が体を捻って振り返ってくる。その顔に浮かぶのは期待した通りの優しい微笑ではなく、まるで密かな企みが上手くいったかのような、ある種の恐ろしさを感じる笑みだった。 「約束、守ってね」  馴染みの優しい笑顔になって理奈が言う。  彼女の「怒り」という策略に、俺はまんまと嵌ってしまったようだ。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加