最期のキスでもいい

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最期のキスでもいい

俺のハーフパンツに指を引っ掛けたまま大河は固まった。 「どうした?」 「その、いいのかなって……。ここまで来たのに。俺、結婚するんだから、これって浮気って言えるのかなって……」 「迷ってるなら、やめたほうがいい」 「はい、すみません。……お願いしたのに、ヘタレですね、俺って」 「真面目なんだろ?」 「でもこんな性格だから、童貞も処女も捨てられなくて」 「俺はうらやましいよ、大河が。……俺も、一度、一度の経験を大切にしていけばよかったのかなあ」 「烏丸さん……?」 「大河。たったひとつでいいんだ。ひとつでいいから、いい恋をしろよ」 「はい!」 翌日、俺は大河をヘリポートまで見送ることにした。 ヘリが飛び立つまで時間があったので、ふたりで島を歩くことにした。 大河がふと俺の手を握る。俺のよりふたまわりくらい大きな手だった。 「恋人ごっこか?」 「はい」 大河は無邪気に笑った。 「烏丸さんは、俺にとってたったひとつの恋なんです」 「昨日会ったばかりなのに重いなあ、その言葉は」 でも大河のひとことは、心地よかった。大河の手はしっとりと汗ばんでいて、俺の手に吸い付いてくるようによく馴染んだ。 今日の海風は少し冷たかった。 島の夏が、終わろうとしている。 「大河。俺、昨日誕生日だったんだ。いっしょに誕生日を過ごしたのは大河が初めてだった」 「それじゃあ俺、烏丸さんの初めての男ですね」 「誰にも言うなよ?」 「はい!」 「大河」 俺は大河を抱きしめた。 「いつか、昨夜の判断が正しかったって思う日が来るから」 「烏丸さん……」 「誰とでもすぐしている俺が言うのはおかしいよな」 もう一度、もう一度、大河とキスをしたい。でも、それはだめだ。 俺の思い出なんか、作らなくていい。 「俺は忘れないよ。おまえと、したこと。最後までしなくたって、ずっと、俺は覚えてる」 「烏丸さん!」 大河は俺の唇を奪った。偶然開いていた俺の口のなかに、大河の舌が滑り込む。 丁寧に、優しく、深く。昨夜のくちづけを思い出す。目を閉じて、俺は体を震わせた。 「このキスも忘れないでください」 俺は頷いた。このくちづけが、俺の最期のキスでもいい。 「烏丸さん。出会えてよかったです。さようなら」 「ああ。さよなら」 大河を乗せたヘリが、雲ひとつない空を飛んでいく。太陽があまりにもまぶしくて、俺は目を細めた。 いつか、行きずりの愛あふれるこの島がいやになったら。この島を出る日が来たら。 大河。おまえに会いたい。 家族と幸せに暮らすおまえと、視線だけで語りたい。 一線を越えなかったことに、後悔はないと。 【終】
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