秋の行楽🍁第四段@京都

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⇒つづき 開山堂の後、さっきの回廊を戻り、いよいよ通天橋へ! ↓前ページの回廊入り口左側を反対から撮ってみた。 87f65f0d-aa2e-4756-9daa-82619865bb15 この回廊を奥へと進んでいくと現れる【通天橋(つうてんきょう)】※⑥ bed30530-d5ee-4cfb-94d5-28cd71938d2b 見るからに人がいっぱい(笑) ちなみにこれでも最盛期の頃よりは人が少ないようです。 紅葉の時期は、撮影どころか橋の上で立ち止まることすら禁止だったと聞いたことがあります(;^_^A そして上写真↑の人がいっぱいいるところから撮った画像がこちら。 1770ec41-98c2-411d-8897-76a92cc9d60f 【通天橋】から臨む【臥雲橋】(※①) 一番初めの写真の反対バージョンです! さっきはあちらからこちらを撮りました。 通天橋を通り抜け、次は昭和の作庭家・重森三玲(しげもりみれい)氏によって造られた【方丈庭園】(※⑦)へと向かいます! 【恩賜門(おんしもん)】 見取り図に書かれた「方丈」の文字のちょうど前くらいです。 129d38fe-5c94-496c-9b54-f6605acbf395 方丈は、明治14年(1881)に焼失し、翌年に英照皇太后、昭憲皇后から、再興のための賜金がありました。 ゆえに方丈の唐門を恩賜門と呼ぶようになったそうです。 菊の紋がついているのは天皇家ゆかりだからなのですね。 ちなみに「方丈」とは、禅宗寺院における僧侶の住居のことです。 この方丈には東西南北に四庭が配置されていて、「八相成道」に因んで【八相の庭】と称されているそう。 そのお庭を造ったのが名作庭師である重森三玲氏。しかも作庭家デビューを飾った記念すべきお庭だそうです! さっそく見ていきましょう! 【東庭】 d867cba2-ab4c-48b8-b165-ff8ad70777a5 雲文様地割に円柱の意志で北斗七星を構成しているため、『北斗の庭』と呼ばれています。後方(写真右上)の生垣は天の川を表しているとのこと。 方丈庭園の中では比較的小さなゾーンなのですが、小さな庭に小宇宙を作りだすなんて、さすが名作庭家です✨ 【南庭】 a612a9e3-10f0-4eaf-acd5-61b31e841ef1 南庭は、広さ210坪の枯山水庭園です。 奥(写真左上)に見えるのは、先ほどの恩賜門です。 手前の巨石は、中国の仙人住む島に見立てられています。 その下に渦巻く左門は「八海」を、西側(画面奥)の築山は「五山」になぞらえているそうです。 恩賜門を内側から撮ったもの。 7e08b197-d671-487d-bef0-52b071fa0c25 【西庭】 55576829-f67e-4a56-8503-c2355f64bc51 サツキの刈り込みと砂地とを四角に切り取り、大きな市松模様になっています。 秋なので刈り込みは緑色ですが、サツキの花が咲く時期にピンク色の市松模様を見てみたいものです💗 ちなみにこの西庭から先ほどの通天橋を見たのがこちら。 a103bda9-4ae1-45c7-a8d8-a14b5e59aebd すごい人ですね(笑) これでも平日の午前中だったので、マシなほうかも。 11月後半の土日は、さぞすごい人だったことでしょうね(;^_^A 【北庭】 6dc3c2ce-3971-4911-b4b4-81500ffdcf33 苔と敷石で作られた市松模様✨ なんてモダンでアーティスティック!! この敷石は、もと恩賜門に使われていたものを再利用したそうです。 作庭にあたって唯一の条件として提示されたのが、 『本坊内にあった材料は、すべて廃棄することなく、もう一度再利用する』 ということ。 これは禅の教えである「一切の無駄をしてはならない」というところからだそうです。 従来の日本庭園とはひと味違った庭園が生まれたのは、そのように厳しい制約の下だったことに驚きです。 新たなものを生み出す苦労や完成したときの感動に想いを馳せました。 重森三玲氏はすごい! といったところで、方丈庭園は終了✧ ですが、まだまだ第四弾は続きますよ~! まーだまだです!(笑) ひとまず今回はここまで。 続きをなるべく早くお届けできるようにがんばります! ではまた!
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