4. 呪いの刻印

2/2
59人が本棚に入れています
本棚に追加
/57ページ
 この世界ではかつて、人間と精霊との間で大きな戦が繰り広げられた。戦は苛烈さを増し、人間は銃火器(ぶき)を用いて、精霊は比類なきその魔力(ちから)を用いて互いを殺し合った。やがて、それだけでは飽き足らず、その大地と海、さらには世界そのものをを滅ぼしかけた。  それを危惧したそれぞれの代表が戦を終わらせ、再び大きな争いが起こることを防ぐため、世界を三つに分け、和平条約を結んだのだという。 「そうだ。だが、あんたはあれだけ派手にあんな術を使っておきながら、平然としてる」 「平然……とはしていないと思いますが」  実際に三日も寝込んでいたのだ。首をかしげたディルに、ロイは首を横に振った。 「そういう問題じゃない。いいか、この世界には法則(ルール)がある」 「法則……?」  木霊のように問い返すディルに、わずかにロイが頬を緩める。だがすぐにその表情が厳しく引き締まる。 「盟約と呼ばれている、精霊たちの代表と人間たちの代表が大戦後に以降の争い事を避けるために交わした和平条約の一部だ。そのひとつがこの世界の住人に課せられた『禁呪の使用の禁止』。狭間の世界の住人に課せられたのが、『魔力を持つ者の銃火器(ぶき)の所持と使用の禁止』だ」  こちらの顔を窺ってから、ロイは続ける。 「『盟約』は厳密に監視され、もし破った者がいれば、即座に『狩人』と呼ばれる精霊たちが、殺しにやってくる」 「無茶な話だ……」 「全くだ。だが、そもそも先の大戦自体が無茶なもんだった。世界の滅びを防ぐためには、取り急ぎ規則(ルール)を決めて、なんとか秩序を取り戻す必要があったんだ」  ディルが黙り込んでいると、ロイは怪訝そうな顔をしながらも、話を続ける。 「で、ここで疑問が生じる。あんたは明らかに禁呪を使用した。なのに、『狩人』は来なかった。そんなことはあるはずがないのに」  ロイはじっとディルの顔を見つめる。だが、そんなことを言われてもディルにもわからない。初めてディルが禁呪と呼ばれるそれを使ったのは、実のところ、もう随分昔のことだった。そして、この手首のそれはまったく別の機会に刻まれたものだ。  黙ったまま答えないディルに、ロイはたたみかけるように言葉を続ける。 「だが、あんたの腕には明らかに盟約違反の呪いの証がある。俺の記憶に有る限り、これを刻まれて生き残った者はほとんどいない——ここから導かれる答えはひとつだ」  そう言ってから、じっとディルを見つめる。 「——あんた、狭間の世界から来たんだな?」  言ったきり、ロイは今度こそ黙って、ディルの答えを待つつもりらしかった。立ち尽くすディルに、黒い獣が気遣うように寄り添い、服の裾を咥えて引っ張る。そんな男など放っておけ、とでも言うように。  改めて目の前の男に目を向ければ、その青紫の瞳は真摯な光を浮かべており、敵意や害意は感じられない。それに、何かする気であれば、いつでもできたはずだ、というのはその通りだろう。いくらこの獣がディルを守ってくれるとしても、大勢に踏み込まれでもすれば、少なくとも無傷では済まないし、騒ぎは避けられなかったはずだ。 「……だとしたら、どうしますか?」 「別にどうもしねえよ」 「え?」  軽い返事に思わず間の抜けた声が漏れた。ロイは表情を緩めて、ニヤリと笑う。 「ちょっとカマかけてみただけだったんだが、あんたが世界の終わりみたいな顔するからな……って、おいもうやめろよ!」  その顎を大きく開いた黒い獣の頭をしゃがんで抱きしめて、ディルはほっと息をつく。獣も労るようにその頬を舐めた。 「なあ、ディル」  見上げると穏やかな青紫の瞳がこちらを見下ろしている。 「あんたが何者かは知らんが、話を聞かせちゃくれないか? 別に取って食おうってわけじゃない。だが、あんたの手首のそれは、放っておいていいもんじゃねえ。どこであんたがそれを得たのか、それを話してくれれば対処のしようもあるかもしれん」  その眼差しは真摯で嘘は見えない。黒い獣は不満げに低く唸っているが、それでも敵意を向けてはいない。この獣でさえも、彼がひとまずは信用に足る人物だと、わかっているのだろう。 「……どこから、話せば良いでしょうかね」  ディルにとっては、思い出したくもない過去と、忘れ得ぬ出会いの物語だった。
/57ページ

最初のコメントを投稿しよう!