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新宿区西新宿新宿署の刑事2
「いや~な予感すんなあ…」
西が思わず独り言をつぶやくと
「あちらさんも、かなりキちゃってますもんねえ…」
特別捜査本部が設けられた会議室には捜査一課他生活安全課が詰めている。
東谷が視線を投げた先には、この件を担当する20人に及ぶ生活安全課の職員が、死に体でパソコンに向かっていた。
生活安全課は先ず、過去1年以内の妊娠者の情報を、各区の所轄に依頼して産婦人科で情報を集めてもらい、その後保険証の使用履歴や役所の出生届と照らし合わせて、妊娠したが出産の履歴が無い妊婦を洗い出している。
勿論、新宿署管内は自分たちが足を運んで情報を集めていた。更に合同捜査になる為、各区の担当との連携もあり、現段階で最も謀殺されている部署と言っても過言では無かった。
「…1日外歩きまくって、帰ったらパソコンで照会作業って…このままじゃ誰か死にますね。」
「1年以内のデータでめぼしいアタリが無きゃ3年、5年と期間を遡りますからね…しかも中絶してる場合、この辺だとモグリの闇医者もたんまりいます。見つけても、空振りが続けば士気も落ちてくし……。」
東谷が首の後ろを叩きながら呟く。
「そもそも、検診にも来てないかもしれないですしね……。」
うわ…そうなったら、最悪各都内の薬局の妊娠検査薬売り場の防犯カメラを…いやいや…そんなことになったらほんと……二人は世にも恐ろしいとでもいう口調で、決して生安のチームには聞こえないように、声を潜めて言った。
警察の仕事は恐ろしいほどの地道な聞き込みと、証拠集め、確認作業の繰り返しである。
その時間をいかに短縮して、速やかに事件を解決するかが古今東西最も重要なテーマだが、西は聞き込み僅か二日目にして、これは下手をするとかなり長引くのでは…と嫌な予感を感じていた。
「何とかうちがとっかかりを作ってやらないとなんですよね…」
言いながら腕を組んで、西は考え込んだ。
朝礼の後、今日は前日東谷が昨日聞き込みをした家々を、西達が訪問した。
すると昨日の南田の報告どおり、確かに皆が皆服の色から、持ち物の色などよく覚えている。
いずれも高齢者で、目撃してから何か月も経っているであろうにも関わらず、である。
「ご協力、ありがとうございます。大変参考になる情報です。…因みになんですけど、昨日来たうちの刑事の、若い方の服装って…覚えてらっしゃいますか?色とか、靴の形とか」
西がメモをたたみながら、帰りのついでとでも言う体で尋ねた。今日の本題はあくまでもこの質問なのだが。
あばら家と言って差し支えない家の玄関で、もう秋というのに、老人は黄ばんで襟の伸びたタンクトップによれよれの猿股といういでたちで、西達に対応していた。
今日話を聞いた住人はみな、いずれもこれと似たり寄ったりの風体の老人たちだった。
「はあ……ああ…わ、わがんねえよっつ!!そんな…ごっ……!」
老人は突然声を荒げた。
所々歯が抜けている為か、慌てたせいか、うまく言葉になっていない。
「な…なんらよ!ひ…ひろがへっかくおひえてやっらろり!おううんな!」
何だよ、人がせっかく教えてやったのに、もうくんな
と言っているんだな。
西が頭の中で始めた同時通訳が終わるが早いか、老人は引き戸をぴしゃりと閉めてしまった。すりガラスの影が消えて、部屋の中に入ってしまった事がわかる。
「全員こんな感じですもんね…怪しすぎる…」
「まあ、大方予想は付いてたけどな。問題は誰がこの嘘をつかせてるのか、ってことだよ」
西は呟きながらよく晴れた秋空を仰ぎ見る。
「昨日組対に確認した限りじゃ、この辺で目立った組の出入りやシノギは無いって事だったよな…」
組対とは組織犯罪対策課、つまり暴力団犯罪を担当している課だ。
「昔はわかりませんけど…今はボロ屋と老人が点々と住んでるだけですもんね……」
西のヤクザと東のヤクザの組織構成の違いとして、縦と横と言われるものがある。
西は圧倒的権力のある一つの組長からのトップダウンの構成となっているのに対し、東は比較的小規模の団体にそれぞれ組長がいる形となっており、細かな内情についてはやはり外からは伺いにくいが、それでもシノギの事となれば、自然とどこからか情報は入って来るものだ。
今日の聞き込みは結局、昨日感じた嫌な予感の確信を作った形で終了した。
その後署に戻り、本部に結果を報告をして今に至る。
あの老人たちの口を開かせるには、もっとネタがないと難しそうだ…だが、それは何だ……。
ふと横を見ると、東谷も同じことを考えているようだった。
「西さん、あの家の事件、ありましたよ!」
その時、いつの間にかどこかに消えていた三郎と南田が、書類を手に意気込んで入って来た。
「あの家の事件…?」
お前ら何やってたんだよと東谷が言うと
「八雲ですよ、あのユーチューバーが家を借りるきっかけになったって事件を調べてたんです。」
「あ~、頭おかしくなった男が首吊ったってやつか…何だ、ただの噂じゃなかったのか。」
「そうなんです、今本庁のデータベースを南田君と漁ってたら…これ、あの家ですよね?」
三郎は事件番号の振られた画面を数枚にプリントアウトしたものをデスクに広げた。
その1枚目の【現場・外観】とある白黒の写真に映し出されているのは、正にあの家だった。
「写真古いな…いつだ?」
「昭和29年4月です。男が首を吊ったのは、あの家のまさに白骨が見つかった部屋でした。」
三郎の説明を南田が続ける。
「4月8日未明、近所の会社員が夜勤明けに家の前を通りがかったところ、塀の向こうの窓のカーテンが開け放されており、紐のようなものがぶら下がっているのを確認、不審に思って覗き込むと、男が室内で首を吊って死んでいるのを発見したと」
「戦後まもなく…か。死んだ男の身元は?」
「山下 修(30)本籍は中野区です。戦前は実家の手伝いをしていたそうなんですが、この頃から博打で作った借金がかさんで、高田馬場にあった、盗みや強盗を仕事にしている奴らのたまり場に頻繁に出入りしていたらしいです」
「戦争は行ってないのか?」
「肺に持病があって、徴兵検査に落ちたそうです。戦争中は東京の捕虜収容施設にいたと」
「…ふうん…何で自殺なんてするほどおかしくなったんだろうな。」
「それが、この捕虜収容施設ではキリスト教の礼拝も牧師を頼んですることがあったんですが、そこで山下はキリスト教に触れて、戦後キリスト教の信者になったそうなんです」
南田の説明を聞いて、先ほどから遺体の写真を見ていた西は、首からぶら下がっていたものの謎が解けた。
「……これ、ロザリオか」
画像が粗くわかりづらいが、細い紐に粗末な木の十字架が着いたものだった。
「本当に気がおかしくなっていたというより、戦後まもなくですから…数年前まで鬼畜扱いしていた敵の宗教に、ワルだった奴が傾倒したのを揶揄した言葉だったようです」
「…なるほど。じゃあ本当の自殺の現因てのは…?」
「わからずじまいみたいですね。戦後、チンピラ上りが自殺したって、当時の警察が果たして真剣に捜査したかどうか」
だよなあ…と西も頷く
「ただこいつの実家っていうのが…」
「?」
「実は、火葬場なんです。」
「しかも、中野区ですから、現場からもそう遠くない」
うんんんんん??!!!
西と東谷が思わず唸り声をあげたその時突然
ぐううう!!
という更に大きな唸り声が、生活安全課の急ごしらえのブースから響いてきた。
何事かと見ると、パソコンの前で一人の若い刑事が、頭を両手で抑えながらガタガタと肩を震わせ背中を丸くして呻いている。
「やばい!あいつ同期なんです!松本!」
言うが早いか、三郎は松本という刑事に駆け寄った、すぐに他にも数人の刑事が松本の周りに集まる。
「なになに……え~…11歳女児妊娠…実父との強制姦淫の末……ぐうっ…こ、これはきつい……」
松本のパソコン画面に出ていたデータを三郎が読むと、周りに集まった刑事たちからも、うっ…と小さく声が漏れた。
「松本、しっかりしろ!誰か!こいつのカバンの中からメントスとってくれ!松本、食え!」
上長らしき刑事がメントスを受け取ると、松本の口いっぱいに放り込んだ。一瞬落ち着いたかに見えたが、喉につっかえたらしく、急に激しくせき込み出しす。
「な、何か飲み物…あ、これ飲め!」
「あ!!班長だめですそれ!!」
止める言葉は間に合わなかった。上長から渡されたコーラを一気に口の中に入れた松本は、盛大に泡を大噴射させた。
危険行為、メントスコーラの完成だ。
騒然とした室内は、不謹慎ながら爆笑の渦に包まれた。
まるでコントを見た小学生や中学生に戻ったような笑いだ。
当の本人もひ、ひどいですよ~!!と非難しながら、涙を流して笑っていた。
片付けとくから着替えてこい、余計な仕事増やしやがって、と班長に言われて松本は申し訳なさそうに部屋を出て行った。
既に泊り覚悟で着替えを持ち込んであったらしい。
すいません、話の途中で…と三郎は頭を掻きながら戻って来た。
「あいつ子供が大好きで、教師になるか迷って、子供たちを直接守れるって言うので刑事になったそうなんですけど……着任早々、扱ったのが自分の13歳の娘に売春させてる母親の事件で…娘は自分が働かなきゃ弟達のオムツもご飯も買えないって…。」
「あったな、SNSで客を見つけて…調べたら母親のアカウントだったってやつか。」
「母親は、内縁の夫との間に更に3歳、2歳、0歳の子供がいて働けなかった、娘から自分が働くって言いだしたと…」
「クソだな」と西
「下衆すぎて反吐も出ねえ」東谷
「俺の田舎にいい山があるんで埋めてきましょう」南田が言い放った。
「そんな話にならない事件を皮切りに次から次へと…なまじ子供好きだから、相当堪えてるみたいで、時々あんな発作みたいになっちゃうんです」
メントス大量に噛むと落ち着くんですけど。
という三郎の言葉で、先ほどの笑いがまたこみ上げてきた。
「…実際、刑事やってて一番きつい事件って子供絡みじゃないですか。皆、親を責めるけど、そうやって切り離さないで、社会全体で考えないと間に合わないっていうか…」
「そうだな…よく、親がこんなことするなんて信じられないって言うコメンテーターなんかいるけど、いるんだよそんな親が。現実にごまんと。俺たちの日常では割と普通に」
「俺…あんまりこういう事考えるタイプじゃなかったんですけど…」
南田が徐に口を開いた。
「アパートの近くに保育園があって、前から小さな子供はよく見かけてたんですけど…この事件あってから、その子供たち見るのが辛いんですよね。……あの骨や、灰の赤ん坊たちが生きてたら、こんな風に笑ってたんじゃ、成長したんじゃないかって思うと…一度考えだしたら、ここんとこ毎日そのことで頭いっぱいで…」
「お前だけじゃない、俺たちも、ここにいる捜査員、全員がその気持ちだよ。だから犯人は許せねえ」
「子供が生まれるのは当たり前じゃない、奇跡だよ。生まれた子供の人生奪う権利なんて、例え親だろうが誰だろうがある訳がない」
そう、絶対に犯人は捕まえてみせる。
西はさっきまで感じていた、この事件への嫌な予感を、その決意と共に打ち払った。
その日は、明日の朝礼で三郎たちが調べた事件と聞き込みの結果を全体に報告することで話はまとまり、西と三郎は帰りに一杯飲むことにした。
この辺りは同僚が多いので避けて、歌舞伎町にしようとなり、何度か行った事のある居酒屋に足を向ける。
区役所道りの派手なホスト看板を横目に、路地を入るとチェーン店の大きな店舗に挟まれるようにその店はあった。
すすけて茶ばんだ縄のれんが古き良き味わいだ。
初めて行った日、外観は古ぼけているのに、中は入り口の盛り塩に白木のコの字型カウンターが、寿司屋のように気持ちのいい空間だったのを西は気に入った。相当掃除に神経質な店主らしく、あらゆるところが古いが、チリ一つなく磨き上げられている。
署から三郎と事件の話を周りに聞かれないよう、隠語を交えてぽつぽつと話しながら店にたどりつき、暖簾をくぐって中に入った途端、西は思わず驚きの声を上げた
「…あれ?!杏子!」
「せ…せせせ、先輩!」
「あれ?桃子ちゃん、…桜子ちゃんまで?!」
「え~!西さん!ご無沙汰してます~!」と桃子
「やだっ!相変わらずイケメン…」と桜子
面食らって焦る杏子を尻目に、妹たちはキャッキャとテンションが上がっている。
西の後ろでそんな三人の美人姉妹を見て三郎は思った
…これは…
令和のキャッツアイだ!
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