新宿区歌舞伎町ホストクラブギルティの元刑事ホストと貸金業者2

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新宿区歌舞伎町ホストクラブギルティの元刑事ホストと貸金業者2

「空っぽだったから……って言われたんです」 杏子がギルティに通うようになって数か月経った頃、海は杏子に 「楊さんは、杏子ちゃんに何でそんなにしてくれたんだろうね?…そもそも、杏子ちゃんに貸金が出来るって、しかも歌舞伎町なんて物騒な場所で…って思ったったのかなあ」 と、素朴な疑問を投げつけてみた。 その答えが空っぽだったからだという。 「楊さん、こんな例え話をしてくれて…ある人が、壺に先ず大きな石を一つ入れ……次に隙間に小石を詰めていき……それが入らなくなると次は砂を入れ……それも入らなくなると水を注ぎ、最後は壺に隙間がなくなった…と。どういう教えか…わかりますか?」 「もう入らなそうな入れものにも、形を変えたものならまだ詰める事が出来る…とかかな。」 海が答えると、杏子は小さく頷き 「私もそう思って答えたんです、でも、この話の言いたいことって、一番大きなもの、大事なものは最初じゃないと入らない…後からは入れられないって事なんですって。人で言うとそれって、倫理観とか…」 なるほど、そうか…って……つまり…と、杏子を見る。 「私、…最初、相当おかしかったみたいで…初対面で師匠は…そういうのを何故か見抜いていて…これは何とかしてやろうと思ってくださったそうなんです……」 どっちに転ぶか掛けたんだよ 楊は以前そう杏子に言った。 まだ、杏子が仕事を始めて間もない頃、楊とブラジル人滞納者の家に取り立てに行った事がある。 大久保のはずれにある古いアパートの二階で、運よく鍵も開いていたため、声も掛けずにいきなり入ると、そこには数人の男に犯されている赤い髪の少女がいた。 部屋のすみにいる滞納者のブラジル人の男は、驚いた表情でこちらを見ている。 狭い台所と、その奥に6畳間、楊は覚醒剤常習者特有の、酸っぱい汗の匂いが部屋に充満していることに気が付き、まずいと思った。 が、杏子は顔色を変えず、少女を助けるでもなく、すたすたと上がり込むと、台所のテーブルにあった財布を掴み、滞納者の男に 「これ、あなたの財布?」 と覚えたてのポルトガル語で聞いた。 男たちは杏子の様子に面食らったようで皆動きが止まっている。 ぽかんとした滞納者が、素直に頷くと「社長、五万ですよね?」と財布を開けて金を取り出し、さっさと部屋を出た。 その場の全員があっけに取られたままだったが、楊はハッと我に返り、「杏子、警察に通報して」と言うと、杏子にはまだ分からないポルトガル語で怒鳴り散らしながら土足で部屋に入ると、少女を男達から引きはがす。 「え…な…なんて通報すれば…」 「もたもたすんな!ブラジルマフィアの薬と女のやり部屋を見つけたって言え!」 後から分かった事だが、少女は15歳で家出をし、SNSで知り合ったブラジル人の男に一緒に暮らさないかと言われ、好きだ、結婚しようと甘言を信じ薬を覚えさせられた挙句、薬の金が欲しかったら自分で稼げと、売春を斡旋させられたが、途中で怖くなって逃げようとしたため、男の友人達に売られ、抑え込まれた…という現場だったそうだ。 男は楊には工場勤務と言って金を借りていたが、裏の仕事として薬の売人と女衒を生業にしていたという。 「いや…あの現場を見て、怯えるでもなく、女の子を助けるでもなく、完全に周りを無視して財布を掴みに行ったお前が、私は一番怖かったよ…」 「どういう状況か分からな過ぎたのと…あそこにはお金を回収に行ったので…とにかくやらなきゃ、と」 共感性の著しい欠如だと、楊は感じた。 幼いころに、妹はおろか同年代の子供との関りが著しく希薄で、なおかつ緊張感を強いられる環境が成長期や情緒を育むべき時期に続いたためか、所々、杏子は第三者への同情や、恐怖心の麻痺と言った症状がみられた。 だが、これはうまくいけば金貸しとしては女帝になる素質かもしれない、楊はそんな成長を遂げる杏子に興味を持ってしまったと言う。 「考えて後からぞっとした。私は一瞬杏子を金貸の悪魔にしようとしていたんだよ。自分の馬鹿さ加減に呆れたもんだ」 楊さんはそれから杏子に何くれとなく、色々な話を聞かせてくれ、教え解き、導いてくれた。 杏子は自分の症状にあくまでも無自覚だったが、話を聞いたり、考えさせられたりしていくうちに、人の心の機微や、同情心、共感能力というものが目覚めてゆくのを感じて行ったのだ。 「器は立派だったけど、中身がいまいち入って無かった。そこに物を入れていくのは楽しそうだなと。それに、余計なものが入ってないから、シンプルに教えやすかったんだよ。そもそも頭がいいしね」 杏子にとって、楊さんは間違いなく仕事だけではない心の師匠 親だった 「…杏子ちゃんは、楊さんの自慢の跡継ぎだね」 「そそ…そんな…」 全身高級スーツなのに、いつも自信なさそうにどもる杏子を、海は妹のようにほほえましく感じていた。 が、次の瞬間 テーブルを倒しかねない勢いで杏子はやおら立ち上がると、入り口に向かって突然走り出し、入って来たばかりの20代前半とみられる客の腕を掴んだ。 何事かと、海が後に続く。 見ると、客は明らかに顔面蒼白になっており、あわあわ…と口を開けていた。 「立花さん…お金…返してもいないのにホストクラブ来ちゃったの…?別の店で、クイックならばれないと思った?」 「ら…来月まとめて返そうと…」 「勝手にまとめないで。いくら掛けあるかわかってるの?100万だよ?ホストクラブ来てる場合?」 「……。」 「あなた、Twitterの裏垢作って売春してるでしょ?昼間の仕事辞めて」 「あ…」 そこまで調べられていたことに驚いたようで、言葉に詰まった。 「昼職辞めたら一括払いって念書いたよね?保証が薄くなるんだから。どうするの?」 「い、一括なんて無理に…」 「だったら帰って。今回だけは見逃してあげる。でも、昼職は辞めるわ、もしこれ以上返済滞納したりしたら…」 「わ、わかったから!うるさいな!!」 そう言って、立花と呼ばれた女は踵を返して出て行ってしまった。 ふう~、まったく…とため息を一つ着くと、杏子はっ、と我にかえって 「ご、ごめんなさい!どどどどうしよう…お、お、お、お客さん追い返しちゃった…!」 と、慌てふためきだした杏子を見ていたホスト達は、爆笑した。 「いいって、いいって」 「初回さんだったから」 「杏子ちゃん迫力ある~!詰めるから怖かったよ!」 「よそで掛けで積んでんなら、うちでも危ないから。」 皆が口々に杏子に声をかける中、海は一人佇みながら …杏子ちゃん……かっこいい…… と、ときめいていた そもそもいつからか杏子から連絡が来るのを心待ちにしている自分がいた。 そこに、いつもと違う杏子の勇ましい姿を目の当たりにした海は、恋に落ちたのだ。 ただ、ここからが不器用な事で、杏子は何を言われようが、客へのリップサービスと捉え、海さん釣りに来ている……ボトル何か入れた方がいいのかな……というホストクラブ思考に陥ってしまう。 例え結婚してくれと言ったとて、結婚営業?!と思われるのが関の山だと悟った。 自分もまだ数年はギルティを辞められなさそうだし……今はこれでいいか。 そう思って、杏子を見守る役に徹してはいるつもりだが、どうやら周りには駄々洩れらしく、今も遠巻きにニヤニヤと見てくる従業員達の視線を感じるのだった。 「あ……じゃあ、そろそろ…」 杏子は時計に目を落とすとチェックを促した。 そうだねと、海はキャッシャーにサインを出す。 お互い名残惜しさは感じていたが、次に会える時までの我慢だ。 「…今日はこの後、桃子と桜子に会うんです」 「あ、妹さん?」 「一番下の桜子が、ユーチューブで生配信やってるんですけど……カブサクチャンネルっていう…」 「えっ?知ってる!歌舞伎町や盛り場のお悩み相談…て子だよね」 「そうなんです、その妹が…この間、北新宿で見つかった赤ちゃんの…」 「骨の!あ…遺灰もだっけ…酷い事件だよねあれ…え?それが?」 「まだよくわからなくて…今日ちゃんと話聞くんですけど、関係者?被害者?……って女の子から凸…つまり放送中に連絡があったみたいなんです」 「えっ?それはすぐ警察に…」 杏子は首を振る 「ああいうユーチューブライブに来る子って、虚言癖の子も多いらしくて……証拠もないのに行けないって。ただ、気になる内容ではあったみたいで、私たちに聞いて欲しいって言われて…」 「そうなんだ、それは気になるね…」 「…海さんは……K産院事件って知ってますか…?」 海が聞き返そうとした時、みつるが会計を持って挨拶に来た。 「杏子ちゃんお久しぶり~!一か月は長かったよ~海ちゃんの寂しそうな顔!僕ちん見てられなかった~!」 「み、店営ですね…」 店営とは、店の従業員ぐるみで、客に君はあいつの本命だから支えてやって欲しいなどと囁き、その気にさせ、更に通わせる営業方法の事である。 「もう~また~!すぐそういう事言うんだもんな~。俺が、いや、このギルティのホストがそんな茶番みたいな営業するわけないでしょ!心が汚れてるよ!」 「す、すみません…実はこう見えて…私過去にちょっと失敗してまして…」 「知ってるよ!てか、何なら一番修羅場俺たちいたよ!」 みつるが突っ込むと3人で爆笑した。 そのまま、みつると送りに出てしまい、いつものように杏子の背中を見送りながら答えを聞き忘れたことを思い出した。 あっ…と思ったが、既に影は遠い。 「海NP、じゃあ今日店の様子見て早く上がろうか」 「あ、はい、今日自分は予約ないんで社長のタイミングで声かけてください」 さっきまでのおちゃらけた雰囲気とは切りかわったみつると店内に戻る。 今日は早く上がって、先日聞いた遼の件について、みつると話し合う事になっていた。 まだまだまばらな客席を見渡すと、海は徐に携帯を取り出し、さっき杏子が聞いてきた事件を検索してみる。 「……何だこれ……」 その時、フロアでシャンパンコールがかかった。 いつの間にかずいぶん時間が経っていたらしい。
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