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新宿区歌舞伎町居酒屋の3姉妹と刑事
「新宿の……骨が…見つかった家の事なんですけど……。」
「北新宿の…八雲さんの配信のだよね、はいはい、それで?」
「えと…あの…と、友達が…いるんですけど…あ…あ…もう、や、やめよっかな…」
「今ニュースになってるよね、骨と灰が大量に見つかったって、赤ちゃんのらしいってやつだよね」
「あ…そ、そう…で…で…あの…う、うちら…あ、と、友達…つ…Twitterで知り合って…歌舞伎町で遊んでて…」
Twitterで知り合った友達と歌舞伎町で遊んでいたという事らしい。
杏子は、ノートパソコンに繋がったイヤホンを、更に深く押し込んだ。
話している少女らしき凸者の声は、量産型と言われる鼻にかかった甘いアニメ声で、そもそも聞き取りにくいのに加え、屋外からかけているのか、街の雑音が更に聞き取りにくくさせてもいた。
ただ一番の原因は、少女が何かに怯え切っているように始終声が震えっぱなしだったからである。
「どこで?トー横とかで?広場?」
「………。」
「……待って、先ず凸者さん何歳なのかな?」
「あ…そ、それは…言うと……んんん…あの…」
「未成年だよね?」
「あ……はい…」
少女のバツの悪そうな、でも言い当てられてどこかほっとしたような声が聞こえる。
「うん、で、相談は友達の事かな?あなたの事?」
「と、友達の…事です…」
「その友達は出られないのかな?」
「あ…カブサクさんに相談するの内緒で…だ、だめですかね…本人じゃないと…」
「うーん、ほんとは本人がいた方がだけど…まあ、いいや。友達と、あの家がどうしたの?」
「友達が…一人…その…妊娠してて…それは、うちら知り合う前からしてたんですけど…ど、どうするのって聞いたら…産んでも育てられないから…でも、もう堕せないし…産んで預けるって…」
「それ父親は?」
「あ…そ、それは、絶対うちの口からは誰とかは言えなくて…でも、ほんとにその人の子かもよくわからなくて…パ、パパ活…うちらホテル住んでやってるんですけど…その子、歌舞伎来る前からしてたらしくて…だから…それもちょっと…」
「わかった、じゃあ相手は自分の子供って認めてないの?」
「あ、それが…その子がその人としか生でやってないって…相手もそれは認めて…で、その…預けるとこっていうのも…その人が紹介してきて…」
「え?さっきも言ってたけど預け先って…それ、施設とかじゃなく?」
「じゃなくて、施設だと…家庭じゃないから…お、お父さんお母さんに育ててもらった方がいいから…なんか、お金持ちの子供にしてくれるとこがあるって…そこなら子供も幸せになれるからって…言われてその子もなら…ってなって…」
「ん?養子先を見つけてくれるって事かな?そんなの民間で勝手にやっていいの?戸籍だって…。」
「な、なんか…もらう人も絶対自分たちが生んだ子供って事にしないと駄目な人たちで…生まれたらすぐ渡して戸籍もすぐその人たちのところに入れるって…だから、友達が妊娠してるとかも秘密で…病院とかも行っちゃダメだって…だ、だから産むとき…う、うちらで産ませなきゃで…」
「……え?待って?産ませるって凸者さんたちが赤ちゃん取り上げるって事?!やばくないそれ?!どこで?」
少女の鼻をすする声が響く。泣き出したようだ。
「…友達とか、サイトとかで出産の事とか調べてて…最初は、楽しかったんです…でも、もうほんとにあと何日かで生まれそうで…私…怖くなってきちゃって…ちゃんと産ませられるかとか…」
「馬鹿言わないで!そんなの危ないに決まってるでしょ!」
「…うううう…」
「…あのね、いくつかわからないけど、まだ未成年の妊娠、出産なんて本当に危険な事なんだよ。検診もまともに行ってないんなら、例えば逆子とかだったらどうするの?」
数分間、鼻をすする鳴き声だけが聞こえ続けた。
「…ちょっと待って、で、それとあの家に何の関係が…」
「あ、あの…も、もういいです。あ、有難うございました…」
「え?!ちょ、ちょっと…あ、落ちた…。」
落ちるとはネット用語で通話を切るという意味である。
杏子は動画を止め、イヤホンを外した。白木のカウンターには隣から画面を覗き込む桜子と、既にビールと枝豆、揚げ出し豆腐で一杯やっている桃子がいた。
「あ、終わった?」
「うん、お待たせしました」
「んじゃ、とりあえずかんぱ~い!」
3人は改めてビールジョッキを高く持ち上げて合わせた。
「しっかし、杏子ちゃんつめたいね~、妹の配信聞きそびれてるなんて」
「ご、ごめんね、このところ、夕方から夜とかのアポばっかりで…丁度桜ちゃん配信やる時間で…」
「ま、本当は私もライブ時間が仕事だから、聞いてるのは次の日とかだけどね」
なんだ~あはは、と笑い合う二人に桜子が割って入る。
「あの~、おねーたまがた、配信生で聞いてるとか聞いてないとか…そんな事はどうでもよくってですねえ…」
「あ、うん、相談の事…だよね?…でもこれが何であの家の事件につながるのか…ってとこが」
「そうそう、肝心なとこで通話切られてるから超消化不良」
「いやあ、そこは本当に私の不覚の致すところで…未成年の相談者につい詰めるような話し方しちゃってさあ、こういう子達って、追いつめられると駄目なんだよねえ~。慣れてるはずなのに、ついつい…」
この手の女の子に、やはり馴染のある杏子も頷き返した。
「わかるなあ…現実どうするの?っていうと、じゃあもういい!!ってなるよね」
「よくないでしょ、そこは。」
桃子がビールの残りを飲み干しながら後を継ぐ。
コの字カウンターの向こうから、痩せた70代と思しき店主が桃子からジョッキを受け取ると
「次、どうされます?」
と聞いてきたので、各々次の酒と料理を数点注文した。
ここは楊さんが杏子に残したものの一つで、初めて連れてきてもらって以来すっかり常連になってしまっている。
店主と楊さんは昔馴染らしく、楊さんはこの店主の前では、他ではしないような仕事の深い話もしてきたものだった。
曰く「この人は絶対漏らさないから大丈夫。うまく聞けば、こっちにいい事教えてはくれるけどね。」との事。
杏子も以前、金を貸した女が歌舞伎町の、いわゆるヤクザマンションに、つてのあるヤクザを頼って立て籠った時、困り果ててこの店で独り飲みながら、そのことを愚痴ってしまった事があった。
その時、店主が
「ヤクザには関わる気ないんですよね?」と聞いてきたので
「勿論です、その子を捕まえたいだけ。」と答えると、徐に
「じゃあね、警察に行って女の子が…妹がさらわれたかもしれないと言って、防犯カメラ一緒に見せてもらいなさい。そしたらその子写ってるでしょ。あちらにしてみたら全く身に覚えのない事、潔白なんだから、すんなり見せてくれると思いますよ。あとこここと…ここと…ここに……」
言われた通り、警察と一緒に出向き、出入口、駐車場、ロビー等の防犯カメラを確認させて貰たところ、当該女が毎週月曜日、深夜に一人で外出していることを確認することが出来、数日後捕獲することが出来た。
警察とマンション管理者には検討違いだったと詫び、その後店主には礼を言ったが、なぜ彼が、マンション内の防犯カメラの詳しい位置を知ってのかは、いまだに謎である。
「…でさ、話を戻しますと、結局この後連絡は取れずじまいで」
「もう生まれそうとか言ってたじゃない、どうしたんだろうね、結局」
桃子が最近いきなり暑いから…と頼んだ冷酒を注ぎながら言う。
「そうなんだよね、まあ、実際妊娠だのパパ活だのって話は聞き飽きてんだけど、実はこの後、リスナー何人かから、あ、杏子ちゃんには言ったけど…K産院事件知ってるかって送られて・・・あれ?」
その時、入り口の戸を開けて、見知った男が入って来た。
「…あれ?!杏子!」
「せ…せせせ、先輩!」
後ろにいた部下と思われる刑事がきょとん顔で見ていたが、改めて杏子を見つけると
「キャッツ…あ、じゃなくて、…金貸しさん…?」と呟いた。
「なんだよ~お前もここ知ってたのか。ってかこないだわりいな、ドタキャンで。」
言いながら杏子の隣に北島と座ると、あ、今の俺の相棒と紹介した。
「い…いえいえ、全然…お忙しくて何より…あ、な、何よりじゃダメですね…。」
「そりゃあな…刑事なんて暇に尽きるよ。あ、桃子ちゃんも桜子ちゃんも久しぶり、相変わらずかわいいな~」
「西さん会いたかった~!」
「西さんこそ相変わらずのイケメンです~」
「いや、そんなこと普段全く言われねえから照れるわ」
「絶対嘘~!」
「いやほんと、怖いしか言われねえ。まあ、こいつももうちょっとこの挙動不審が治ればましなんだけどなあ…」
杏子に憐みの視線を注いだ
「うう…ひ、ひどい…」
「嘘嘘、まあいいよお前はそれで。仕事中はパリッとしてんもんな。」
言いながら西はビールを頼もうとして、ウーロン茶に注文を変更した。
「わりい、三郎」
「いや、いいですよ。帳場立ってすぐですし、生安から何か進捗連絡あるかもですもんね」
「せ、先輩…もしかしかして事件って…」
「…ま、ここだしいいか。最近あった北新宿の事件の担当になっちまって、お前と飲もうと思ってても時間前もって取りづらくなったから、丁度良かったよ。ん?どした」
どうやら西もこの店の「使い勝手の良さ」を知っている一人であるらしく、本来なら内密であろう仕事事情を打ち明けた。
カウンター越しにウーロン茶の入ったグラスを受け取りながら、三人姉妹が顔を見合わせているのに気づいて、西が聞く。
「あ、あの~…ちょっと、お話が…」
「なんだなんだあ…怖えなあ…」
まるで怪談話でも始まるような趣で、じゃ、じゃあ取り敢えず…と五人は小さく乾杯のグラスを当てた。
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