新宿区歌舞伎町二丁目ラブホテルの3姉妹と刑事とホスト

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新宿区歌舞伎町二丁目ラブホテルの3姉妹と刑事とホスト

「ハンカチあるか?」 スモークガラスのバンの後部ドアを開けるなり、冷静な口調で西が言った。 杏子達は、慌ててそれぞれのバッグからハンカチを探しだす。 「かなり匂いがきついんで、必ず当てて。すいませんね、海さん、みつるさんも」 二人はジャケットの内ポケットや、尻ポケットを探りながらいえいえ、と答えたが、その顔面は、特に海は蒼白だ。 「でも、本当に大丈夫なんですか?杏子ちゃん達もですけど、俺たちなんて部外者中の部外者じゃ…」 そう言った海に、海ちゃん大丈夫?唇紫だよ、とみつるが心配そうに声をかけた。 「電話でも簡単に説明しましたが、部屋に大量のホストの名刺がありまして…お二人も、もし知っている子だったら…と確認いただきたくてですね」 なるほど、わかりましたとみつるが頷く 「勿論こんなことイレギュラーです。…いや、刑事の勘なんて、先輩の前でおこがましいんですが…皆なにがしかの形でこの件に関わってるかもしれない人間が、たまたま出会った日に、こんな事件ですから…とにかく、現場にいる者には話してありますので安心してください。」 それが通るという事は、恐らく今現場の最高位は西なのだろう。 5人は薄暗く、出入口がゴムカーテンで区切られている為か、どこかかび臭いホテル駐車場に止めた警察車両のバンから出ると、西の案内で3階だという現場に向かった。 外には既に大量の野次馬がホテルを取り囲んでおり、警官がそれをさばいている声がここまで聞こえて来る。 西が店を飛び出してから、杏子達はどうしたものかと話し合っていたのだが、ものの30分もしないうちに西から杏子に電話が入り、今から警察の車を向かわせるので、現場を全員で見てほしいという。 桜子はすぐに行きたいと申し出、桃子は二人が行くならほっておけないと言い、みつるは、俺たちも呼ばれてるなら…と同行の意思を示したが、海は何やら口を真一文字に結んで無言だった。 歩いて程なくの現場で、わざわざ車…と思ったが、既に現場は騒然としており、周囲に杏子達が顔を見られないためだとわかる。 狭い旧式のエレベーターで3階につくと部屋のドアが6つ。 一番奥の、非常階段に近い部屋が現場だと、出入りする大勢の鑑識の姿ですぐわかる。 桃子と桜子は、お互いの緊張を感じ、手を握り合ったが、杏子は全く落ち付いた風情で、鼻にハンカチを当てて廊下を西に着いて進んでいた。 空気は篭っていて、今まで嗅いだこともない、異様な匂いが廊下にも充満しており、既にまともな呼吸がままならない。 「ここだ」 周りにいた何人もの刑事や、鑑識が西に敬礼や挨拶をすると、その中にいた色の黒い40代と思しき刑事が近寄って来て、どうも、ご協力感謝します。と挨拶をしながら靴カバーやキャップ、手袋などを渡してくれた。 「…警部、やっぱりやめた方が…現場はかなり荒れてますし…特に女性は…」 心配する刑事に、フル装備を終えた杏子が 「有難うございます。でも大丈夫です、修羅場は慣れてますので」 と、言って中に入った途端、見えてきたものは 12畳ほどの室内の中央に据えられたダブルベッド そこはまさしく血の海であった 青白く、小柄で痩せた15、6の小柄な少女が力なく横たわり、下半身は赤黒く変色して乾いた血で染まっている ベッドの両側にそれぞれもう一人づつ、向かって右には背が高く、手足の長いやはり少女が、フリルがたくさんついたいわゆる地雷系の服を乱暴にはぎとられた状態であおむけに倒れており、何故か口元が血で真っ赤に染まっている。 左には太った、原色の服で二人よりはやや年上に見える少女が、ベッドに半身を乗せて目を開けたまま、やはり口元から血を流して倒れていた。 室内は熱く、湿った空気が充満しており、血と体液と汗の混ざった異臭で桃子は吐き気をもよおすと、ごめん、私無理!と部屋を飛び出して行った。 室内には、まだ複数の鑑識と、その中にいた検視官らしき白衣に黒縁眼鏡の男が遺体の検分をしている最中だったが、杏子達を見ると 「どう?知ってる子いた?」 と、当たり前のように聞いてきた。 「…いえ、わたしは」 と杏子 「自分も…店でも見たこと無いなあ…新規は必ず挨拶行くので見てれば覚えてるはず…」 とみつる 「…私も…」 桜子は答えると、周りを見渡し 「あの、この子達、多分ここに住んでたと思うんですけど…荷物とかって」 「無くなってる、携帯も全部。何なら指紋も拭き取られてるよ。」 言うと、検視官は太った少女の遺体の手の平を上に向けた。 「…きゃあっ!」 桜子が叫んだ 「…焼かれてる。指紋を消したんですね」 杏子は焼け焦げた皮膚をもろともせず、その手をまじまじと覗き込んだ。 国内、海外問わず裏社会ではよく使われる手法で、図らずも楊と仕事をしている頃何度かこういう手の人間にも死体にも出会ったことがある。 検視官は落ち着き払っている杏子に興味を引かれたのか 「そう…あとね」 と言いながら、少女の口の上下に持って開け、中を杏子達に見せる。 歯がドリルのようなものでだろうか、がりがりに砕かれており、口中から出血している。 ベッドの少女も、大きな出血に目を引かれて最初は気づかなかったが、同様に歯を砕かれ出血した跡があるが、他の二人よりはるかに血の量が少なく見える。 そのことを杏子が聞くと 「二人は、首をひねられて殺されたすぐあとやられたんだけど、ベッドの子はもう少し前に死んでたみたいだね。ので、生活反応が薄かった」 「…この出血って…まさか」 ベッドを見ながら、みつるが不愉快そうに顔を大きくしかめて聞いた。 「そうね、出産してるね。子供はいない。犯人が連れ去ったか、殺して遺体を持ってってるのか…この子は、失血死だろうね。やたら痩せてて、多分検診もまともに行って無かったんじゃないかな。詳しくは解剖しないとだけど、見たところ慢性的な栄養不良と貧血状態だね」 これでこんなところで出産とはね…やれやれと検視官は無表情のまま首を小さく横に振る。 感情表現は乏しいが、この人なりにこの少女たちを悼んでいるのだろうと杏子はその背中から感じ取った。 「徹底的に荷物や、身元が分かるものは排除してあるのに、ホストの名刺はそのままだった」 西が手袋をした手で、名刺の束をみつると杏子に渡す。 二人は名刺を繰りながら 「好みも系統もバラバラ…何かこの子達、初回あらしみたいですね…」 「うん、安くやってるところを回って…歌舞伎町だけじゃなく上野に池袋の店もあるなあ。一つのところに通わないで初回ばっかりめぐってたとしたら、ホストも覚えてないかもしれない」 初回とは、初めての客がお試しで飲める低価格サービスの事だ。 歌舞伎町では、このサービスばかりで飲み歩くことを初回あらしと言う。 「通ってたところもあるかもですけど、携帯は犯人が持ち去ってる…か」 その時、杏子がハッとし、西に何事か耳打ちした。 「ん?今か?…何で」 「お願いします、すぐ、何もなければそれで…」 「…わかった」 東谷さん、ちょっとお願いしますと東谷と北島に指示を出す。二人は始めこそ訝し気であったが、話を聞くと了解、とすぐに出て行った。 「山形さん、死亡してどのくらいって言ったっけ?」 「死亡推定時刻は48時間以上72時間未満…ここ熱いでしょ?内臓の腐敗が進んでて、詳しくはこれも解剖してからだな」 西に山形と呼ばれた検視官はそういいながら立ち上がる。 どうやらここ数日の、季節外れの暑さがこの匂いを更に加速させたようだ。 「あの家の報道があった後…、桜子ちゃんに相談があった後…」 杏子が思案していると、じっと三体の遺体を見ていた桜子が意を決したように口を開いた。 「この子達じゃない」 「え?」 「もう一人…いると思う」 「何で?」 「声が、この二人の体格であの声は出ないと思う。量産型の、でも声を張っても大きく聞こえずらかったの。外からかけてきてて、聞こえづらかったから、何回か大きく声を出させたんだけど、キンキンするだけで…」 「そんなこと、体格だけで声わかるの?」 西が驚いて聞き返すと、山形が中指で眼鏡を上げながら話に参加した。 「医学的に証明されてるね。身長が高いと声は低くなりがち、あと太っていると共鳴しやすいから、おのずとはっきりした発声が出来るはずだ。確かにこの二人は、聞いたような声を出すには確かに向かない、極端な体格だね」 確かにさっき居酒屋で聞いた動画の凸者の声は、鼻にかかって甲高く甘く、声を張っても聞き取りづらかった。 「近そうなのは、ベッドの子だけど、本人があんな電話してくるはずないし…もう一人、いると思います」 「さっきまで、この辺の見回りやってる生安、生活安全課の刑事もいたんだけど、この子達に見覚えないって言ってたんだよ。他の課員にも急いで聞くって、とりあえずポラ持ってったけど」 「SNSでパパ活の客取ってたなら、街はそれほどうろつかないでしょうし、ホストクラブも中入れば見回りにも見つかりませんからね…」 「すいません、俺そっちの方疎いんですけど、ホストクラブの年齢確認方法って…」 西がみつるに聞く 「店によりますが、顔写真なしのクレカや保険証などなら二枚、運転免許証やパスポートはそれだけで大丈夫です。でも、この辺りは偽造が10~30万でいくらでも作れますし、整形したとか言ってお姉ちゃんの免許書持って来たり。はっきり言って儲かってない店程わかってて入れてますね」 「なるほど…この子たちも、これだけホストクラブに出入りしてたんなら、偽造でも必ず身分証明書はあったろうなあ…」 そうですね、こことここはグループ全体で確認厳しいし…杏子と改めて名刺を見ながらみつるが答える。 「お前…何でさっきあんなこと言ったの?」 西が先ほど杏子から突如依頼されたことについて改めて聞いてきた。 「だっておかしいじゃないですか、指紋を消して、歯を砕いて、部屋中の指紋をふき、荷物を運んで、更に死んでるのか生きているのか、生まれたばかりの赤ん坊まで。たぶん犯人は複数…二人以上はいたと思うんです」 杏子の話を聞いていた山形が、確かにねえ。と興味を示した。 「だったら…この子達があの家の事を何か知っていて、身元を隠して、口封じで消したいなら、さらった方が早くないですか?気絶でもさせて。車中とかで殺して山の中に埋める。たまたま苦情とか無かったみたいですけど、いくら防音とはいえ、ここで殺したりドタバタやる方がリスクですよ」 はい、朝食はパンでした、とでもいうように淡々と杏子は説明を続けた。 普段のおどおどしたどもりや自信なさげな風情など、いつの間にかすっかり消えている。 「まあ確かに、でもそれと…」 言いかけた西の携帯が大きく震え、見ると東谷からだ。 「西さん…警部……やられました」 電話口から東谷の静かだが、怒りに震えた声が聞こえて来る。 「殺られてます。踏み込まれて殺された跡が…くそっ!」 「わかりました。落ち着いて、署に連絡は…あ、もう。自分もこっちが終わったら……そうですか…はい、わかりました、お任せします。じゃあ明日報告お願いします。」 西は電話を切ると杏子に向かい 「お前、何でわかった…殺されてたよ。聞き込みに行った家の住人の一人が」 桜子とみつる、山形をはじめその場にいた捜査員、鑑識が驚き、更に一斉に杏子を見る。 「だからこれは口封じじゃないんですよ」 「何?!」 「見せしめなんです。余計な事言ったらお前らもこうなるぞという」 「?!」 「!……」 「!!」 「………」 こともなげに言う杏子に全員が息をのんだその時 「あの…この方は…」 入り口近くにいた鑑識が示したそこには 海が白目をむいて倒れていた。
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