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中野区民営火葬場の刑事
「はい、確かに山下修は叔父ですねえ…」
まあ、どうぞと言って、主の山下浩二は建物全体の大きさからみてこじんまりした入り口から東谷たちを招き入れた。
ここは中野区の外れにある「中野華倫火葬場」北新宿で昭和29年に自殺した山下修の実家である。
20年前に改装したという箱型の建物は白壁に目立った装飾もなく、出来るだけ己の存在感を消す様に考えられた設計に思えた。
東谷と南田の二人を事務所兼応接室に通すと、何もありませんが、と煎茶を出してきた。
「うちは、親父がここで火葬場始めて、この辺りじゃ一番古いんです。最近じゃ火葬場なんて建てようと計画上がっただけで近隣住民大反対ですからね。公営が増えないと困るのは自分たちなのになあ」
うちは民営ですけどねと言いながら茶をすする。
「でも、民営だってうちみたいに斎場がない火葬場は、今時廃れていくんでしょうけど…」
火葬場経営の愚痴を聞きに来たわけではないので、内心さっさと本題に入りたかったが、相手の話を聞いて、信頼を経てからの証言は確実に質が変わるという事を東谷は経験から知っていた。
「やっぱり職人仕事なんでしょうねえ…」
「いやいや、今は全部デジタルですから楽なもんですよ。昔はボイラーでしたから、それこそ手動の職人技で…。赤ん坊の骨を残せたら一人前って言われたもんです」
「ほう」
「赤ん坊の骨はもろくてすぐに灰になっちまいますが、親御さんにしてたらそれじゃ余りにも酷だってんで…昔、生まれてすぐの赤ん坊んを無くしたご夫婦が、そりゃあもう悲しんでいて、親父がボイラーのハンドルから片時も手を放さず、覗き窓ずっと見ながら火加減なんかも調整しましてねえ…見事形の残ったお骨を見た時の奥さんの泣き笑いの顔が一生忘れられないんですが…今のデジタルじゃもうできないなあ…」
なるほど…赤ん坊を灰にするのは今も昔も造作もない事だったようだ。
「ええと…では、叔父さんの、修さんの事をお伺いしたかったんですが」
「叔父の事と言われましても…私が生まれる前に亡くなってますからねえ。自殺したってのは聞いてましたけど、それがまさか事件の家だったなんて刑事さんからの連絡で初めて知りまして…」
「お父様はご存命ですよね」
「生きてるだけですよ。千葉の老人ホームにいますが、すっかり耄碌してますんで、聞いても私以上に何も聞けないと思いますよ。更に今年の夏の暑さでやられてますから」
「お父様から、叔父さんの事は何か…?」
「あいつは気が弱かった…って言ってましたかね。家で親父の手伝いなんかしてたそうなんですが、博打やらで誘われるままに悪い仲間と付き合いだして…当時って、戦争に行けなかった若い男なんてかなり出来損ないみたいに言われたらしいじゃないですか、そんなこともあったんだろうなあ…親父は長男で、更に火葬場って、当時は無くてはならないって商売でしたから、ギリギリ兵役はまぬがれたれたらしいんですけどね。…まあ、そんなところにキリスト教に啓蒙しちまったもんだから、更に近所でも肩身が狭くなったんでしょうなあ」
「そうですか…お父様も大変だったでしょうねえ」
「う~ん、それが、悪く言ってるのは聞いたことないですねえ。どちらかというと、いつも不憫に思ってたような話しぶりで。まあ、時間が経ったからかもしれないし、ほんとのところは何ともですが」
「因みに、キリスト教…は宗派のようなものは特に…」
「ちょっと待ってください」
キャビネットから古いアルバムを出すと、何回かページを繰り、目当てのところで東谷達に向けて見せた。
古ぼけたアルバムのページにはまばらに写真が貼り付けてあり、その中のセピア色の一枚を指さすと
「カトリック…ですね。あ、この日本人が叔父の修だそうです」
戦後程なくであろう、何もない焼野原の一角のかろうじて焼け残った建物に「トウキョウカトリックチャ―チ」と板に書かれた看板を背にして10人程のアメリカ人、ほとんどは軍服で数人は牧師と思わしき格好の男達の中に、開襟シャツに細面の日本人が一人映っている。
痩せた体、どこか疲れたような目に、でも口の端で笑った笑顔は悲惨んな戦争の後、救いを、安らぎを見つけた人間のそれなのだろう。
「こちらのお写真はお借りしても…」
どうぞどうぞ、と浩二はアルバムから写真を取り出すと、あ、何か封筒に…
と言いながら外に出た。
「ここだと思ったんですけどねえ…」
「ん?」
「いや、外れとはいえそばはすぐ住宅街だし、ここでしょっちゅう赤ん坊燃やしてたら、煙でわかって周りに絶対怪しまれそうじゃないっすか」
「あれだろ」
東谷が、窓から見える駐車場に止められた大型のバンを顎で示したところに、浩二が封筒を手に戻って来た。
「あの車は…」
「ああ、少し前に始めたんですけど、ペット火葬の車なんです。最近はあっちの方が儲かるような…」
「あの中で火葬するんですか?」
南田が立ち上がって窓から覗き込む。
「よかったら、ご覧になります?」
いいですか?いや~、うちもチワワがいまして…もう家族ですからねえ…などと言いながら東谷が腰を上げる。
「最近は、人間と同じレベルで法要なんかもする方が増えてるんですよ。うちは、マンションに住んでる方とかが多いんですが、見えるところで送ってあげたいと…」
話ながらバンの後方の扉を開けると、火葬炉が内臓されている。
嬰児は問題なく火葬できるであろう大きさだった。移動できるこれならどこでも火葬することが可能だろう。バンの外装には何の装飾もなく、一見するとただの一般車両だ。
「うちも予約を戴いて、簡単なセレモ二ーというか、お別れをして、マンションの下なんかで火葬するんです」
「予約はネットが多いんですか?」
「電話と半々ですね。あ、あと、うちの息子が何気に手つだってくれたりなんかしてまして」
その言葉を聞いた途端、東谷の空気が変わるのを、隣の南田は敏感に感じ取った。
「いや、お恥ずかしいんですが息子が都内でホストやってまして…ほら、ああいう仕事の子達って、ペットよく飼うんでしょ?そしたら亡くなった後どうしようって子達が多くて、じゃあうちがペット火葬やってるからやってやろうか、って声かけたら口コミで広まったらしくてねえ。無いときもあるけど、月に多いと3回は車持ち出して、一通り自分でやってますよ」
どこか誇らしげに息子を語る父に、南田は事前に東谷に言われて用意していた3枚の写真を出すと
「ええと…この中に息子さんは…」
「えっ?あ、ああ…この子ですよ。…てゆうか…何でうちの子の写真なんか…」
一枚は遼、二枚目は先日マオが示した男、浩二が自身の息子だと示した3枚目は正に第三の男だった。
不審がる浩二にそそくさと別れを告げると、二人は駅に向かって歩き出す。
相変らずの季節外れの厳しい残暑の日差しの中に、風は秋の涼しさがあった。
「…いやあ、思いがけない土産だったなあ」
「ペット火葬の車とは思いませんでしたよね」
「いやいや、そんなこと行く前から分かってたよ。そこじゃねえよ」
「えっ?」
「お前行く前にホームページくらい見とけよ。ペット火葬やってるって載ってるじゃねえか」
「…す、すいません」
「ったく、そこじゃねえよ。山下修は自殺じゃねえってわかったって事だよ」
「あっ!そうか!」
「カトリックは自殺禁止だ。最近じゃ色んな解釈もでてきてるらしいが、戦後間もなくならかなりきつく伝えられてるはずだろう。信仰真っ最中の男が近所からの迫害程度でそうそう自殺なんかするかよ」
「…確かに」
「やっぱり、今と昔の事件は一本の線だ。…細い線だろうがな」
東谷は西に報告しようと携帯を取り出した。
「ところで東さんチワワなんか飼ってるんですね、顔に似合わずというか…」
「飼ってねえよ。てかどんな犬かも知らねえよ」
あ、警部ご苦労様です中野の方終わりました…と携帯に向かって話す東谷を見ながら南田は
「やっぱ刑事って…てか食えねえ親父さんだなあ…」
と呟いた。
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