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新宿区歌舞伎町風俗店の貸金業者とホステスと刑事
「……なるほど…ペット火葬の…確かにそれならどこでも可能ですね。わかりました、お疲れ様です。こっちも終わり次第連絡します。…はい、…はい、それじゃ、後で」
西は携帯を切ると
「いやあ…東谷さんは優秀…ってお前!…相変わらずきったねえなあ食い方…」
そう言って、顔をしかめた。
ここは喫茶店パリジェンヌ。目の前の杏子は更に顔を近づけた犬食いスタイルで、口いっぱいにナポリタンを詰め込み、両頬をぱんぱんに膨らませている。
口からはみ出した数本のパスタで赤く染まった顎を、桃子がかいがいしく拭いてやっていたが、その間も杏子は口に運ぶフォークのスピードを緩めることはない。
「ら、らって…今まれひごとれ…な、何も食べれなか…」
言ったことろで、派手にむせた。
「わっ!きったねえな!」
「杏子ちゃん、ブラウス!」
吹いたパスタで、シャネルのブラウスにシミが着いたのを、慌ててお手拭きで叩くがとても取れない。
桃子はレディディオールのバッグから小さなポーチを取り出すと、中から染み抜きを出し、杏子に化粧室で使ってくるよう促した。杏子は大人しく受け取り、席を立つ前に、グラスの水を喉を鳴らして一気に流し込み、そそくさと立ち去る。
「…いやあ、桃子ちゃんは女の子らしいなあ…てか、あいつの腹減らした時の食い方の汚さは大学時代も有名でさ、居酒屋で飲むときとか、普段はそんなんでもないんだけどなあ…腹減ってると一気食いするよな」
何なんだろうなあと呟きながら桃子を見ると、悲し気な顔でこちらを見ていた。
膝にあったバッグを横に置くと、先ほどまでの華やかで快活な雰囲気は急になりを潜めて、物憂げな表情で語り出す。
「…杏子ちゃん…昔ごはんちゃんと食べさせてもらえたことが滅多になかったんです。西さん、私が18で家出たのは知ってますよね?それ決めたのは11の時なんです」
「食べさせてもらえなかったって…」
満腹になると眠くなって…とかそういう事かと尋ねると、桃子は首を横に振る。
「…うちの親の事大体ご存じと思うんですけど…あれは私が11で、杏子ちゃんが中学受験の直前の頃…ほぼ1週間水と角砂糖だけで…部屋に閉じ込められて勉強させられてて…私、見てられなくてこっそりおにぎり作って持ってこうとしたところを母に見つかって…」
桃子は言いながら、ちらりと化粧室の方を伺ったが、杏子はまだ苦戦中の様で、出て来る気配はない。
「バッシーン!てひっぱたかれて。あんたは自分が落ちこぼれるだけじゃなくて、お姉ちゃんの足まで引っ張るのか!って、言われたんです。もう私もそこで完全に愛想が尽きたのがわかりました。それまでも色々あったけど、もうこの人はダメだなって。きちんと準備して、出れる年齢になったらこの家を出ようって」
西は何も言えなかった。
確かに東大受験の為に勉強漬けの青春を過ごした仲間は大勢いたが、この話はどう考えても虐待だ。もはやスパルタとも言えない。
「…問題集が一冊終わるまでは水だけとか…点数が悪かったから水だけとか…だから杏子ちゃん、お腹空いちゃうとその時の飢えの…恐怖とか怖かった感覚が戻っちゃうみたいで…詰め込まないと、次はいつ食べれるかえ分からないと思ってた記憶で。私、それを見る度…おにぎりを食べさせてあげられなかったこととか……何で…自分だけで逃げたんだろう…って」
桃子は言いながら涙ぐむ。先ほどの姉への、まるで母のようなかいがいしい態度は、後ろめたい贖罪の思いがそうさせたのか…と思い至るが、そもそもそんなことは桃子に何の責もない事だ。
また、そんな虐待を受け続けて育った杏子は、吃音にしろ食事にしろ、数々の後遺症に近いものが残っているのだなと改めて感じた。
「トー横の子達…私時代が違ったら、絶対あそこにいましたよ」
そう、マオ達も一人一人に家にはいられない事情があった。子供は大人、社会の写し鏡だ。子供の有様を嘆くのなら、先ず自分たちの行いをこそ振り返ることが必要なのではないのか。
西は一度トー横広場での生活安全課による未成年摘発の現場を見かけたことがある。摘発された少年少女達のいた場所は、まるで雑草が抜かれた後のようにぽっかり空いた隙間ができ、時間が経てばまた別の少女がそこを埋める。
一旦大人たちはできた隙間に安心するのだろうが、根本の解決はいつまでもなされないまま、これからも行き場のない少女たちは明日そこに集うだろう。
桃子の話を聞いて、考えにふけっていたところに、杏子がいそいそと化粧室から出てきた。
「き、綺麗になりました…桃ちゃん、あ、ありがと…そ、そろそろ行きましょう…」
西が支払いを済ませ、店を出ると、杏子の雰囲気が変わり、吃音も消えた。
三人は風俗街、パールムーンに向かっている。
「あ、桃ちゃん例のものは…」
「やだ、忘れてた。何しに来たのってね、じゃあ西さんこれ…」
言って封筒を西に渡した。中にはプリントアウトされた書類が詰まっている。
「いや、本当にありがとうね」
「まあ、こんな事しかできませんから」
とんでもない、署に帰ったら改めさせてもらうよと言って西は持っていたブリーフケースにしまいこんだ。
「じゃ、ここからは私一人で」
「マイクちゃんと音拾えるか、入る前に確認しろよ」
「杏子ちゃん、本当に一人で大丈夫?」
「じゃない方がよっぽど危ないよ。特に刑事なんか一緒に連れてったら、明日から少なくとも夜は歌舞伎町歩けなくなるね」
絶対に刑事に見えないよう西は軽装かつ、本来ならいなければならない相棒の北島をおいて、今日は一人行動だ。
「彼らの嗅覚は鋭いですから。刑事の雰囲気なんかすぐわかりますよ」
言いながら、隠しマイクの音量をチェックし、問題がないことがわかると、杏子は、何かあったら合図するのでそれまで何があっても入ってこないように、と西に言いつけた。
「しかし、本当に犯人の事喋るのか?…お前大丈夫とか言ってるけど…」
「…やり方があるんですよ。彼らの事は、楊さんと仕事してた時からコミニュティについて知ってますから。まとめてるのは六本木にいるニールって人らしいんですけどね。まあ、奥の手も用意してありますし、大丈夫でしょう」
そう言って、事も無げにじゃ、と二人に手を振ると、地下の階段を下っていく。
西と桃子は杏子が見えなくなると、ごく近くのラブホテルの路地に待機した。道行く人には一見ただのカップルに見えるだろう。
西のイヤホンに、杏子の声が入った。
「ボブ、マイク、ジェイ、アロー」
「アローキョコ、オーナーからキイタ。俺たちにハナシ、ナニ?」
ドアの閉まる音
「ホテルで女の子達を殺した仲間の事を聞きたいの」
一瞬の間の後
椅子を蹴とばすような音が響きわたる
西は思わず息をのんだ。
続けて、壁に何かが打ち付けられるような音。おそらく杏子だろう。
桃子が隣で不安げに顔を覗き込んでいるのに気が付き、大丈夫、というように
口元だけで笑を返す。
今すぐ飛び込みたかったが、合図は無い。
もどかしさに、思わず唇を噛んだその時
「コサレタイカ キョコ」
西は頭が冷たくなるような感覚を覚えた。
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