豊島区北池袋ホストクラブの刑事とホスト

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豊島区北池袋ホストクラブの刑事とホスト

「…教育虐待って言うらしいんですよね」 連日の季節外れの暑さが収まり、急に秋らしい気候になった池袋を歩きながら、少し後ろを歩く北島とみつるに聞こえないよう、西が海に小声で呟いた。 「親の理想の学校に入れるために、友人関係を制限されたり、小さなころから塾に入れられたり、娯楽を一切排除されたり…」 「まさに杏子ちゃんの境遇ですよね」 西も長身だが、並んで歩くとやや海の方が上背があるため、斜め下の視線を送りながら、やはり小声で海が答える。 「当たり前ですけど、子供の精神に大きく影響して、不登校から引きこもりになったり、うつや過呼吸、適応障害なんかの精神疾患に悩まされたりもするらしくて…」 杏子にも吃音などそれと思われる症状は見られる。 「あいつがナイジェリア人に一人で交渉にいった時…かなりやばい状況だったのに、助けを呼ばなかったんです。聞いても外国人と対峙するのは、師匠といた時で慣れた、って言うんですけど…いくら何でも危なっかしいというか…捨て鉢な気が俺にはして…ま、黙って行かせといて今更何言ってんだですけどね」 言って西は自嘲気味に笑う。 「西さんは、杏子ちゃんの危うさの原因が虐待によるものだと?」 「…そうですね。お父さんの浮気や、お母さんのアルコール中毒を知ったってのもあるかも…」 海もその話は以前店で杏子に聞いた事がある。 その日はAV制作会社の社長たちの会食に呼ばれた後で、珍しく酔った状態で来店し、海に過去の詳細を吐露して行った。 杏子の記憶があるのか不明だったので敢えて確認せず、海は一人で胸の中にしまっておいたのだが、西は当時葬儀に出席していたため、桃子たちから聞いたのだという。 初めて聞いた時の、何とも言えないやるせなさを思い出しながら、海は口を開いた。 「悲惨ですよね。極端な親の価値観の押し付けだけでも、選択肢のない子供にとっては苦痛なのに…ましてやそれが親のストレスの発散だったとしたら…」 「ほんとに…そう言えば、最近も判決が出た事件ありましたよね…親の教育虐待の末、娘が親を殺し…」 言って西はハッとした。 海を見ると、こちらを見ているが、その目は怪訝そうにしかめられている。 見たくないものを見たかのように 疑ってはいけないものを疑ったように 気づいてはいけない事に気づいてしまったかのように 「海ちゃん、ここでしょ」 呼び止めるみつるの声に、二人は同時に我に返った。 いつの間にか、目的の場所を通り過ぎていたらしい。 池袋西口を出て北口方面に、思いの外広い通りの飲み屋街を抜け、複雑に入り組んだ道にそこはあった。 「ホストクラブ バック・スペース」 地下に伸びる階段を降りると、オープン前、夕方4時過ぎという事もあって、シャッターは片側しか開いていなかったが、うっすら見える明かりで、既に中に人がいるのは確認できる。 北島がすみません、と扉を叩くと、程なくして不機嫌そうに黒髪を長く伸ばした男が現れた。 「…はい?」 「突然すみません、新宿署の西と北t島です。山下…あ、いや、代表の蘭丸さんですよね。新宿で起こった事件で、ちょっとお話を…」 「はい…」 「ご実家…中野の火葬場やってらっしゃる?ええと…又おじさんが山下修さんという方で、この方…」 北島が全て言い終わるより早く、突然男は髪を振り乱して突進して来た。 咄嗟の事で、西と北島は男に突き飛ばされる形になったが、階段の前に立ちふさがる海とみつるを見ると 「どけおらあああ!!」 と咆哮を上げ、西達同様突き飛ばそうとしたその時、海が片方の手首を掴むと ひねり上げ、うつぶせに押し倒した。 「海さんすいません!」 「か…完璧な逮捕術!」 突き飛ばされた時打った腰をさすりながら、西と北島が賞賛の声を上げる。 「俺じゃねえ!!俺はナイジェリア人なんか!女を殺せなんて絶対に言ってねえ!!!あいつが勝手に…!!」 「お前さ、俺たちに楽させ過ぎなんだよ。はい、公務執行妨害で16時27分緊急逮捕。署でゆっくり話聞かせてくれ」 言いながら北島が、後ろ手に倒れたまま暴れる男を上から押さえつけ、手錠をかけた。 「ふざけんなよ!お前ら…ホストだろ?!」 見下ろす海とみつるを見咎め、睨みつける。 「だったら?」 みつるが返答するが、その表情も声も氷のような冷徹さを孕んでいた。 「お前ら…何裏切ってんだよ、どうせお前らだって女食い物にして稼いでんじゃねえか!!」 「裏切り?…それはお前だろ」 みつるが一歩踏み出した。 「てめえがしでかしたこの事件は、間違いなくこれからマスコミで大きく扱われるだろうよ。…何でホステスよりホストが世間で叩かれるかお前わかってる?女を堕とす、食い物にするジゴロと思われてんだよ。どうせあいつらまともな接客なんかしてねえってな。そのう上こんなことまで明るみになった日にゃ、俺たちはクズの中のクズってレッテル貼られるだろうよ」 「君はホスト業界全体の裏切りものだ」 静かに、しかし重く海が言った。 「これを言いたくて、刑事さんに無理言って同行させてもらったんだよ。逮捕されてからじゃ遅いからな」 よし、行くぞと両肩を西と北島に支えられ、表に待機していた覆面パトカーに乗せられた。 男の体は、観念したように大人しくいう事をきいていたが、車が発進するときに合った海とみつるを見る目は、憎々しげに燃えていた。 男を挟んで、後部座席に乗り込んだ西と北島が、二人に会釈をすると車は発進する。 「どうせお前らだって、女食い物にして稼いでんじゃねえか」 海は男の罵倒する声が耳に残っているのを感じた。 それはみつるも同じであろう。 自分たちは違う、そもそもあいつのやったことは犯罪であってそれとこれとは違う。 そう言い聞かせるが、根本をたどっていくと、自分たちの仕事にやはり行きつく。 自分たちの仕事を汚されたという心の淀みが広がるのを海は感じる。 空を見ると灰色、地上を見ても、ビルもアスファルトも灰色の街に立ちすくんで目を閉じた。 「海ちゃん」 目を開け、隣のみつるを見る。 目つきは険しい 「なんかさっき、ここ来るまでの途中…やたら西さんと小声で親しそうだ合ったけど…あれ何?」 そ……そこ? 眩暈を感じ、仰向けににのけ反りかけたその時 「俺がオーナーになったら、グループを…この業界を絶対に替えるから」 真っすぐ前を見て、身じろぎもせずそう言ったみつるを見て 海は微笑みながら目を閉じた。 「ホストクラブ バック・スペース」 代表 星蘭丸こと 山下正樹 の 事情聴取の内容報告は、翌日午前中に西から電話が来た。 警察が実家の、又おじである山下修の事まで辿っていたことや、桃子が手に入れた証拠を基に追及したため、墜ちるのは早かったという。 その日の夕方 開店前の薄暗いギルティ店内に海はいた 「犯人は…君だったんだね」 うっすら浮かぶ相手の口元が笑った
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