新宿区河田町大学病院の貸金業者と刑事と犯人

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新宿区河田町大学病院の貸金業者と刑事と犯人

 「………時代だったんです………」 全体的に白い病院の個室で、今にも消え入りそうな痩せた老女は、かすれながらも、これを最後に伝えなければとでもいうように、伝えて逝きたかったというように、話し出した。 ベッドの横の折り畳み椅子に西と北島が座り、杏子は出入口のドアの横に静かに立って、事の終焉を見届ける審判者のように腕を組み立っている。 「…はじめは…母がやっていたんです。父は産科医…母はダンサーだったのですが…父を手伝っていたりで少々産婆のようなことも…でも、戦争が始まってすぐに父が亡くなって…それでも…困った妊婦さんが途切れずやって来た…」 「…あの、堕胎手術は…」 北島が口を開いたが、その口調は、大学教授に素朴な疑問を投げる学生のようなおどおどしたものだった。 「…父がもういませんでしたし…母はあくまでも助産師程度の知識で、手術なんてとても…それに…産むより堕胎手術の方が危険な時代でした…何しろ麻酔も消毒も…何もかもなかった…でも、生まれれば生まれたで…皆が飢えていたんです。とても育てられない人たちばかり…」 そこまで話すと、そこから街が見えてでもいるかのように顔を窓に向け、遠くを見た。 「戦争が終わってからが…本当に酷くて…歌舞伎町のあの辺りなんて、私娼窟がいくつもあったんですが、母が勤めていた米軍クラブのダンサーからの相談も後を絶たなくて…そういう人たちは…守ってくれる人が必要じゃないですか…それをやっていたのが…鮫島組の人たちで…」 つまり戦後、鮫島組のシノギは私娼やダンサー達のケツもちで成り立っていたという事か。 客に米軍もいたという事はかなり荒稼ぎが出来ただろう。いつまでその勢力が幅を利かせていたのかは定かではないが、バブルの地上げを避けられる頃までは影響力があったと見える。 「はっきりいつからやり始めたのかはわかりません…うちはそもそもあの骨を埋めていた家と…その隣の家が医院だったんです…」 それはもう調べがついていた。不動産登記簿によると、亡くなった産科医、この老女の父にあたる人だった。骨の見つかった家と、その隣のカビと蔦で真っ黒にすすけた家。そこが実際の現場だった。 「母は…父が亡くなってから…鮫島組の人とお付き合い…いえ」 目を閉じ、首を振る 「ジゴロに…ヤクザのジゴロに騙されたんです」 絞り出すような声だった。 「自分たちが面倒みている娼婦やダンサー、…誰も手放したくなかったんですよ。いつまでも男を取らせていたかった…だから言葉巧みに母をだまして…自分に夢中にさせて…俺に捨てられたくなかったらって……母に…生まれた赤ん坊を殺させた……」 俯いていた西が、思わず顔を上げる。 「…頭の…頭蓋骨の柔らかい部分に…箸などの棒状の物を…」 北島が、司法解剖の結果書類を取り出し、読み上げた。 「そうです、そうです…」 嗚咽をあげ、老女はこらえきれないというように泣き出した。 「すやすやと寝ているときに…苦しまないように…」 寿産院事件では、死因は主に窒息死や栄養失調だったというが、このやり方はかつて農村の口減らしで用いられた手法だという。 これもそのジゴロヤクザからの教えだったのだろう。 「……はじめの頃は、中野の山下の家で火葬をしていたんですよね」 「……山下さん、鮫島組の賭場で借金があったようで…悪い仲間とたまり場にいた時に、家が火葬場ならいい仕事があるって…。でも、修さんはもともとは優しい人だったんでしょうね…戦争が終わって…何年かして、もうやりたくないって言ってきたそうで…」 「彼は収容所でキリスト教に触れて…中絶や、ましてや子殺しの罪の重さを自覚しだしたんでしょう…死後の裁きが恐ろしくなった」 「……そう、そうでした。でも…あの頃から、あの一区画、鮫島の息のかかった人たちが…何かしら悪い事をしていた人たちが住んでいて…そこで抜けられるのは…他の人たちに示しがつかなくなるって…山下さん、絶対この事は言わない、秘密にするから、自分は抜けさせてくれって言ったのに…」 「殺された。見せしめになる形で…あなたたちの家ですよね」 はあ…と大きく息を吐いて、老女は頷く。 「あれは、母や私、周辺の関係者に思い知らせるためでも…あれで誰も抜けたり、外に漏らす人は誰も今くなった…。勿論、当時も警察が調べましたが、自殺の見立てと、私たちが留守中、知らない人が入り込んだと言い切ったんです…いくら聞き込みをしても、皆怯えてますから…何も言いません。警察もそこまででした…戦争に行けなかったチンピラが自殺…それだけ…」 現場周辺の老人たちは、そのなれの果てだったのだ。 現代でも、当時と同じ…いや、いない人物の証言で捜査のかく乱を企ててきたのは、以前よりたちが悪くなっていたのかもしれない。 殺された元木保もその一人だった。 「…ところが、それで火葬場で灰にできなくなった赤ん坊を、お母さんは今度は自宅の床下に埋めるしかなくなった…」 「…さすがにそこに住むのは辛かったんでしょうね…でも、産院には住居スペースがなかったし…この事で母もかなり報酬をもらっていたようで…建てたんです。2件隣に。私もバレエをやっていたから…」 「…それがアラベスクですね」 西の問いかけに、静かに頷く老女 ダンススタジオ「アラベスク」 西達が、事件発生後聞き込みをした有吉洋子の母 有吉英恵だった
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