新宿区河田町大学病院の貸金業者と刑事と犯人2

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新宿区河田町大学病院の貸金業者と刑事と犯人2

「まるで悪夢の様でした…」 斜めに上半身を起こした姿勢で、視線は天井の一点を見つめ続け、先ほどまでの記憶をたどるような、どこか弱々しい口調から、一言一言を噛み締めるような、しっかりしたものになっていた。 それは、これまでの話が自身の物ではなく、母の犯した罪の事であったからであろう。 ここからは、彼女の罪の告白だ。 「五年前?…そう、その頃…鮫島組の…出川という男から…何もかも知っている、場所だけ貸せばいい、そうすればお前たちの事は誰にも言わないと…どうやら、出川は母をだましていたジゴロヤクザの死に際の子飼いだったそうで…男が亡くなり、母も亡くって…あんなことは無かった事にしたかったのに…」 英恵自身はその後アラベスクでバレエと、当時最先端であったジャズダンスの講師として身を立てた。 丁度時期を同じくして母と鮫島組の男が亡くなり、日本は高度成長期という事もあって、悲しい依頼は無くなった。 赤ん坊を秘密裏に処理していた家があったなど、鮫島組内部でも都市伝説のような話になっていたのだろう。 以前だと、家の傍にいないと安心できず、アラベスクの住居階で過ごしていたが、この頃には逆に傍に住んでいるのが耐えられなくなり、洋子を出産すると同時に購入した大久保のマンションに転居した。 「…夫とは二年持たず離婚しました。お互いダンサーで…プライドが高いもの同士だったから…。その後はがむしゃらに子育てと仕事と…食べるためにはどんな依頼も受けましたよ。舞台は勿論…キャバレーにストリップショーの振り付け…」 西は、以前アラベスクの事務所で見た煌びやかな衣装の女たちの集合写真を思い出した。昭和40年や50年代だろうか。 皆サンバカーニバルのような大きな羽を付けて、揃いのスパンコールの衣装で満面の笑みをたたえていた。 今思えばどの写真にも、中央にバンダナを巻いたスタイリッシュな女性が写っていたが、あれが若き日の英恵か… 色は日に焼けて薄青緑になっていたが、当時はさぞ華やかな写真だったことだろう。 「…そんな毎日が良かったんです。忙しくて何も考えないでいられた…え?…洋子がそんなことを?…違います…アラベスクに近づけなかったのは…水商売や風俗業の人たちと合わせたくなかったのではなく…勿論あの家に…そして、その周りにまだいた、住人たちに関わらせないようにしていたんです…」 殺された元木たちの事であろう。 今となってはどんなシノギに関わっていたのかは明白ではないが、家の事は知っている連中。 まだ鮫島組の息はかかっていたにしろ、見せしめの事件からは年月も経ち、シノギの仕切りがいなくなっていた状態だ。やさぐれた連中がうっかり子供の洋子に何か吹き込まないとも限らない。 「…ダンス留学もそれで?」 西が聞く 「…それは…ちがいます」 開いた目は、再びきつく閉じられる 「…見ていられなかった!!子供の成長が!…辛くて…」 西は南田の言葉を思い出した。 《あの骨や…灰の赤ん坊たちが生きていたら…こんな風に笑ってたんじゃ …成長したんじゃないかって思うと…》 北島も同様の様で、目が合った。 「あの子達は…母に、男に殺されたあの子達…成長していたらこんな風に…初めてのハイハイ、幼稚園の帽子…ランドセル…セーラー服…笑顔、泣き顔、我儘……その全てを…成長を…もぎ取られた魂…思い出してしまう…洋子を愛している…でもふと、彼女の成長の度に…うねりのように、その感情が押し寄せて…一緒にいるのが…辛かったんです」 重い沈黙が流れた。当時、少女だった英恵の立場では、どうすることもできなかっただろう。 しかし、母の行った悪魔の所業は確実に娘の精神を蝕んでいた。 「…出川も男の晩年に、戯言程度に聞いていた話らしく、実際、初めて家の中を見て、たんびたんびに床を上げて、掘るのではとてもやってられないなと…そこで灰にできるあてはあるので、あの茶棚に入れていたようです…」 そこまで話すと、口元を歪めて笑う 「…ホストですってね。女の子を妊娠させて、さも自分は本気だとその気にさせて…最後まで通わせて…気持ちをぼろぼろにさせてもっと依存させて…って…骨の髄までしゃぶり尽くして…悪魔みたい。…女の子達も…何で気が付かないのかしらね…」 「…飢えてるからです」と西 「…飢え…って」 「心が」 「……」 「本来無料の愛情に値段をつけて、金を払って飢えを満たしてるんです。そこまでやる子達っていうのは。本当の飢餓状態だ。だから無くなったら死んでしまいそうになる」 「……」 「そもそも条件付きで愛されたことしか無い子が多いんです。テストの成績、スポーツの順位、学校でいい子か…いい大学に子供が入るのは、子供の幸せじゃない、親が安心したいがためです。そう、親の愛がそもそも無償じゃない。そういう子にとって、金を払って愛情風の行為を買うって事は違和感がありません。何々だから愛してくれる。何々すれば愛してくれる…生きていてくれるだけでいいから…そんな愛情と無縁な子供たちなんです」 愛情の渇望で本当に飢餓状態になるとすれば、この町は大人も子共も飢え死にの死体だらけになるだろう。 そう言った西に、英恵は小さく頷いた。 家の登記簿は、以前鮫島組がホームレスなどの戸籍を使い、今では誰のものか追いづらいものになっていた。それを偽名で売買したのは英恵だった。 「…いつまで続くのか、恐ろしくなってきました。そのせいで体調も崩しこうして入院を…兎に角誰かに買われて、灰が見つかれば終わるだろうって…本当に考えが甘いですよね。遺灰だってわかって…骨まで見つかって…」 少女たちは殺され、そして… 「元木保を殺したのは…」 「私です!!」 「…有吉さん、それは無理ですよ。とっくに入院なさっていた…」 「いいえ!!私!私です!」 「…」 ノックをせずに部屋に入って来た 杏子は、まるで今やって来るのがわかっていたかのように、驚きもせず体を静かに横によける。 「殺したのは、あなたですね」 後ろ手に扉を閉めて 有吉洋子は静かに頷いた。
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