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新宿区歌舞伎町ホストクラブギルティの元刑事ホスト
「へ~、今池袋住んでんだ。いいよね~便利で」
「そうなんです。あ、お近くですか?」
「ううん、住んではないんだけど、前職の職場が池袋でね。もう10年以上前の話だけどさ、西口公園なんか今凄い変わったよね~。でっかいリングなんか出来ちゃってて…」
開店前の煌々とした明かりの中で、雑談を交えながら手元の簡易な履歴書を見て海(かい)は面接を進めていく。
歌舞伎町に余多あるホストクラブの一つ「ギルティ」。
在籍ホストは60名、常時40人以上出勤というなかなかの大箱だ。
ホストクラブは万年人手不足である。
10人入店して一か月後には二人残るか残らないか。
理由は数え上げればいくらでもあるが、やはり簡単に稼げる仕事と考えて現実を知って飛ぶ、つまり逃げるパターンが一番多いと、海は経験上思う。
辞め方は主に、無断欠勤→携帯電話着拒→寮は抜け殻というパターン。
勿論きちんと挨拶して辞めていく者もいるが、数は前者が明らかに上回る。
ただ辞めていくだけならまだしも、大抵が店への客の掛け、つまりツケの代金を解消しないまま飛ぶものだから質が悪い。
100万単位の掛けも少なくなく、店の経営を圧迫せざるを得ないを状況だ。
さて、この子は続きそうかな…
庭瀬 遼。 齢は22歳、未経験と言っているが若いとはいえ一般の男がそうそう整形などしない。
不自然に真っすぐな鼻筋、やたらハリと艶のある不自然に白い肌、これまたくっきりした二重に青のカラーコンタクト。
いやいや、どう見てもこてこての経験者だろ…
まあ、経験者はありがたいし整形とは言えこの手の顔は姫、つまり客に受けはいい。
経験を隠すのは気になるところだが…
「あの、海さんは役職はNPなんですよね?」
NPとは内勤プレイヤーの頭文字の略称だ。
店の運営事務全般を見ながらホストとしても働くので、かなり重宝され、海はギルティでは代表に次いで実質ナンバー2である。
バリバリの業界用語、経験者確定だなこりゃ…
「もう齢だから、本当は内勤専門にしてもらいたいんだけどね。長いもんだから変に色々仕事覚えちゃって、いいようにこき使っていただいてます」
「いや、かっこいいですよ。長くやれてるなんて、それだけ売れ続けてるって事だし。俺も頑張って早く役職つきたいです」
「いやいや、そんな…。でも、うちも目標あって長く続けてくれる子は是非来てほしいよ」
その時、同伴のないホスト達がどたどたと数人まとまって出勤して来た。
「おあざいあーっす!!」
体育会のノリの大きな声が響く。
対して海は はい、おはよ~。と履歴書に目を落としたまま軽い口調で返した。
視線を感じ、ふと顔を上げると、横を通ってロッカールームに行こうとしていた新人ホストの一人が、じっとこちらを見ていることに気が付いた。
目が合うと、軽く首をかしげ、お辞儀をしてそのままロッカールームに続く通路に入ってしまった。
はて、と気にはなったが取り急ぎ面接を進める事にした。
出勤可能日数や時間、寮は希望するかなど、あらかた聞き終わったところで遼が質問をしてきた。
「あの…因みに海さんて、ずっとホスト一本だったんですか?」
よっぽど海に興味があるのか、確かに30半ばも過ぎて現役は歌舞伎町ではそうはいない。
「いや、俺実は、前職刑事だったの」
「え?!すごいっすね!元刑事のホストなんてドラマみたいじゃないですか!!」
はい、よく言われます
そしてこの後の質問も
「どうして辞めちゃったんですか?」
はいきた
因みにこの質問への応対はふっ…とやや斜め下に視線を落とし、憂いを帯びた口調で
「ま、いろいろね、あって…」
これで大体の相手は
職務中に相手を撃って命を奪ってしまったトラウマ…
職務のせいで恋人の死に目に会えなかった負い目…
犯人を車で追っている最中に自転車の子供を…
等々のシチュエーションを勝手に頭に思い描き、それ以上の追及をしてこないのがセオリーだった。
案の定遼も、「あ!な、なんかすいません…面接に関係ないのにあれこれ聞いちゃって…」
と、慌てて今の質問をかき消すかのように胸の前で両手を細かく振った。
言えないなあ……本当の理由なんて……
海は頭の中でやや自嘲気味に昔の回想を始める。
海は名前は源氏名ではなく本名である。
日本海に面した北国生まれで両親が日本海からその名を付けた。
県内の大学を卒業後警察官になり、東京に上京すると、運よく引ったくりや自転車泥棒、痴漢、薬中を順調に検挙し、二年後上司の推薦をもらって池袋警察署捜査一課の刑事に抜擢された。
刑事になって初の事件現場は北口ラブホテル街にあるホテルの一室。
そこで胸を数か所刺され、横たわるデリヘル嬢とみられる女性の遺体の血を見て…………
気絶した
どんな事件にあたるかはまさに時の運。
海は交番勤務のおよそ2年間、まるで血なまぐさい事件には奇跡的に遭遇せずに来たのだった。
結果、自分が極度に血に弱いことを、ことここに至って、初めて知ることとなった。
この初めて倒れた日、コンビを組んでいた先輩刑事は、おいおいまじかよ~勘弁してくれよ~。
と、署に戻った後、笑いながらいじってくれた。
二回目、飲みに連れていかれ、自分も新人刑事の時はな…と親身になってくれた。
三回目、現場でバチ切れされた
四回目、無言
五回目、退職願いの文面のテンプレートがパソコンに送られてきた
という事で、刑事になってから半年も経たず退職したのだったが、とうてい田舎には帰れない。
海の故郷の村はこの令和においてはかなりの寒村であり、村中たどっていくと全員親戚というくらいのまさに絵に描いたようなムラ社会である。
そこから東京で警察官になったというだけでも大したもんだと言われるところ、刑事になったという事は既に村中の知るところとなっていた。
都会暮らしの人間にはまず分からない感覚だろうが、ここで田舎に帰れば途端に噂になり、更に尾ひれはひれが付くのは請け負いで、まさに針のムシロである。
結果、退職とともに警察寮から出て、住むところも帰るところも無かった海が選んだのは、歌舞伎町のホストという道だった。
きっかけはギルティの社長、中庄のスカウトである。
「お兄さ~ん、あ、ごめんね急に~。僕怪しいもんじゃないから。」
そう言って池袋駅構内で突然話しかけてきた中庄は、エルメスの名刺入れから取り出した名刺を海に渡した。
旭グループ
ホストクラブ ギルティ
代表取締役社長 中庄 みつる
「いや、お兄さん見かけて、背高くて顔もかっこいいな~って思ってね、ごめんね、僕今歌舞伎町でホストクラブの代表やってるんだけど…よかったら働かない?」
年の頃は30行くか行かないか。三つ揃いのスリムスーツにノーネクタイ。ホストらしからぬ?単髪黒髪。キリリとしたイケメンだった。
一見夜の仕事というよりは華やかなビジネスマンの風情の男だったが、身に着けている金無垢の時計や、エルメスのバッグがその片鱗をのぞかせていた。
その後近くのカフェで一時間程話込み、めでたく入店から今に至る。
勿論最初は面食らったが、寮もあるし中庄は熱心だったし…
「何より…ここは…歌舞伎町はダメな男に優しい気がしたんだよ…」
「えっ?」
思わず口に出ていたらしい、慌てていやいや、何でもない何でもない。
え~と、じゃあ明日からでいいかな、と誤魔化した。
無事面接が終わり、ミーテイング、音楽が入り照明が落ち、七時の開店時間を迎える。
今日は3組の指名客の来店予定が入っているが、いずれも10時以降の予定なので、それまでは客の付け回し等に集中できる。
新調したアルマーニのスーツとセットした髪で気合を入れるが、早い時間は客もまばらだ。
「海さん、今日はクイックさん来ないんですか?最近見ないような…」
入り口近くでフロアの様子を見ていると、若き幹部補佐、ゆめとが話しかけてきた。
ラフなディオールのスウェットにうざバングの金髪と、今時の売れっ子ホストだ。
クイックとはオープンから1時間、セット料金が割安になる制度で、比較的客の少ない早い時間帯の集客を狙ったものである。
ホストにとって客単価は低いが組数、つまり来客数を稼げるというメリットはある。
「ん~…最近忙しいんだって…。でも今週はどっかで来てくれると思うよ…」
言いながら視線は遠くを見つめる。
「へ~…あの人昼職ですよね?」
「昼…は昼か」
あんまり時間関係あるのかな?個人事業主だしねと付け加えた。
「へー、前誰かに聞いたんですけど、あの人東大卒なんですよね?もしかして、どっかの省庁やら名のある企業にお勤めとか…」
「なーに、ゆめ君。俺の姫にそんな興味あるの?違うよ」
爆弾したら流石に俺でも怒っちゃうからね~。と爆弾、つまり自分を指名している客に連絡先を聞くなどして指名を奪おうとするご法度行為をのことを言うのだが、するなよと冗談半分にクギを刺した。
「いやいや、俺は姫にというか…あの姫に対する海さんに興味があるというか…」
わざとらしく顎に指を当ててう~ん、と唸るゆめとを軽く小突いた。
売れっ子ホストの目は、どうやら誤魔化しが効かないらしい。
「待つ身はつらいよ…」
無駄とわかっていながら、わざとらしい泣き真似で誤魔化す。
やれやれ、と呆れながらもゆめとの追及に容赦はなく。
で?何屋さん?と聞かれ
「歌舞伎で金融…金貸しだよ」
面食らった顔のゆめとが、何か言おうと口を開いたその時。
「海さん、すみませんちょっと・・・お話が」
と、後ろから話しかけられた。
振り向くと、さっき目があったホストが神妙な面持ちで佇んでいた。
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